2-5
無骸霊との戦いからおよそ30分が経過していた。
トウカとネルに手当てをしてもらったレンが、ベンチに腰掛け、肩口に結ばれたトウカのリボンに触れているとイノリの声があった。
「レンー!」
顔を上げると、遠くから小走りで近づくイノリの姿があり、レンは左手を上げて応じる。
「今までどこに居たの? 心配したんだから……何体か無骸霊も居たから被害が出る前に祓いながら探してたんだよ」
「ごめんイノリ! ちょっと色々あって……」
心配そうなイノリにレンは申し訳なさでいっぱいになった。
それと同時に、先ほどの“獣”のような無骸霊を何体も倒したということに畏れを抱き、
「あれ? トウカとネルも一緒?」
イノリはレンから少し離れて居心地が悪そうにしているふたりの存在に気づいた。トウカはリボンを外したことで長い黒髪を靡かせ、ネルも帽子を胸に抱えながらしょんぼりと兎耳を垂らしている。
「……イノリ……」
「なんというかその……」
トウカとネルは正直に話すべきか逡巡している様子だったが、
「――実は俺の前に強い無骸霊が現れたんだけど、この2人のおかげで助かったんだ」
「……えっ?」
「アンタ何言って……」
レンが笑顔で告げた嘘にふたりは顔を見合わせ困惑の表情を浮かべた。
「イノリの友達なんだろ? いいヤツらじゃん。親切に手当てもしてくれたんだよ」
レンは右肩に結び付けられたトウカのリボンと頬に貼られたネルのUFO型絆創膏をイノリに見せる。
「そんなことがあったんだ……色々大変だったみたいだけど、レンを助けてくれてありがとうねふたりとも」
イノリはふたりにペコペコと頭を下げた。
一方のトウカとネルはどうしたものかと顔を見合わせるが、
「レンも無茶したら駄目だよ? まだ葬奏者になってから日が浅いんだから……後で私も怪我の治療するからね」
「ごめん次からは気をつけるよ」
正直に話そうとするトウカとネルだが、レンはいいから、とイノリに見えないように横目でジェスチャーして、
「じゃあ悪いけどこのあたりで」
有無を言わせず、レンはイノリの手を引っ張ってその場を去ってしまった。
※
その夜、神群神社の社務所兼自宅のリビングでは、
「レンの傷、あっという間に治ってすごいね」
イノリはレンの負傷したという右肩を確認していたが、もう傷は塞がっており、跡も全く見えなくなっていた。
「イノリの治療のおかげだよ。あとはトウカとネルの応急処置が早かったからだな」
レンは合わせのあるシャツと黒い上着を羽織る。
こちらもナノマシン繊維によって破れた穴は塞がれ、血の汚れも専用の洗剤を垂らし、表面を軽く水洗いするだけで綺麗になった。ノーブランドでもそれなりに高額なだけはある。
「リボンも洗ったから後で返しておくね」
「代わりに洗濯してくれてありがとう。でも俺が返すよ。たしかあそこのお寺だろ? あんまり離れてないしちょっと行ってくる」
「それじゃお願い。気をつけてね」
レンはイノリから綺麗に折り畳まれたトウカのリボンを受け取り、ポケットに仕舞い込むと玄関を出た。
※
「えっとここで良いんだよな? 神群寺って名前だし。地名だから仕方ないとは言え“仏”じゃないのかよ」
しばらく夜の山道を歩いたレンは、閉ざされた寺院門の前に到着し、寺号標に記された名前を読み上げる。
「もしもーし? 誰か居ますかー?」
寺院門の前に浮かぶ呼び出し用のホログラムウィンドウに向って声を出すレンだが、
「――うるさいわね! 聞こえてるわよ!」
閉ざされた寺院門が勢いよく開け放たれ、その内側から髪をほどいたままにしているトウカとネルが姿を見せた。
「あーそれは悪かった。確かに境内で大声出したら住職とか僧侶の人たちに迷惑だもんな」
バツが悪そうに頭を掻くレンだが、ネルは首を左右に振り、
「……ここにはわたしとトウカしか居ないから別にそれ自体はどうでもいいよ」
「え? ふたりだけ?」
「いいから着いてきて」
トウカに促されるまま、レンはふたりに着いていき、境内を案内される。
寺の境内は深い闇に包まれている。夜空に溶け込む赤黒い汚染霊子を吸い込み、青白い純霊子へと浄化する月の明かりがちらりと梢の隙間から漏れ、その銀色の光が石畳を淡く照らしていた。
冷たく澄んだ夜気の中、ぼんやりと灯りを灯す石灯籠がいくつも並び、ひっそりと立ち尽くしている。
涼しい風が通り抜け、葉の擦れる音が耳に心地よい。それに混じり、遠くの鶯が一声鳴いた。
本堂や仏堂、塔といった伽藍の屋根は光を受けてわずかに煌めいており、境内を取り囲む木々は月光に照らされて幽玄な影を投げかけている。
トウカやネルに続き、仏堂の扉をくぐると、空気がひやりとした。外の風音や鳥の声が薄れていき、静寂が耳を包む。
薄暗い堂内は、ほのかな香の匂いとともに厳かな空気に満たされていた。蝋燭の炎が揺らめき、その小さな光が壁や柱に長い影を投げている。
そして、その中央にそびえ立つものが目に入った。
10メートルを超える、巨大な釈迦如来立像は、まるで時間そのものを超越した存在のように思えた。金箔の輝きが、燭台の揺らぎに合わせて静かにきらめき、どこか生きているかのような錯覚を与える。その柔らかくも威厳に満ちた表情は、見る者の心を奪い、押し寄せるような静寂の中で、言葉を失わせた。
仏像の目はどこまでも深い安らぎを湛え、そのまなざしは、目の前に立つレンの心の奥底を見通しているようであり、同時にそれは、心の中の悩みや迷いをすべて受け入れてくれるかのような感覚だった。
天井近くにまで伸びるその姿は、人間の作り出した物とは思えない壮大さを持っていた。衣のひだや手の細部に至るまでの細密な彫刻が、職人たちの献身と信仰を物語っている。かつて信仰した“神仏”に地球という故郷を追われ、CLOUDという新天地に辿り着いてもなお、信仰を貫いた者たちのなせる業だろう。
「ここの住職……私の父親は6年前、無骸霊との戦いで亡くなったわ。のちに私の葬奏機紅夜叉となるコアユニットを託して、ね。それ以前に母親も私を産んで間もなく亡くなってるし、霊脈が特に密集した地域ってのもあって昔から無骸霊の出没数も他所より多かったから、被害を恐れて僧侶たちもみんな居なくなったのよ」
トウカは仏像を見上げながら自身の過去を淡々と話す。
「そう、だったのか……」
トウカの複雑な身の上を知り、レンの顔が曇る。
しかしトウカは気にするなと手でジェスチャーし、仏像に見送られながら仏堂を出る。
「まぁ、別に淋しくはないわ。ネルが居るし、ちょくちょくイノリもこっちに来てお寺の掃除とか手伝ってくれるしね」
「……神群神社のクオンさんには随分とお世話になったね」
「もう亡くなって、半年なのよね……」
“クオン”という名前をレンは心の内で反芻する。
その人はきっとイノリにとって大事な人だったのだろうが、自分は今までそんな存在が居たことを知らなかったし、イノリもその人を喪った悲しみをこちらに悟らせることはなかった。
それはきっと彼女がレンに義父の死を思い出させ、悲しませたくないと努めたからだろう。
「……なんだかちょっと暗い話題になっちゃったし、ちょっと明るい話題をしよう。じゃじゃーん」
ネルが案内したものをレンは目の当たりにし、その目を輝かせた。




