1-9
エレベーターに乗ったレンは人工の夕陽の眩しさに目を細めつつ、外の風景を眺めていた。
「改めてここから見ると随分と小さく感じるな……」
眼下に広がるのはCLOUDの全貌だ。北東に山脈を、南西に仮想の海を置く3万平方キロメートルの面積を有するその街には1000万人もの人々が生活をしている。
エレベーターが静かに下降し始めると、レンの目の前に広がる都市の風景は刻々と変わり続けた。全面ガラス張りの壁越しに見える高層ビル群は、夕陽が沈みゆく光を受けて輝きを放っている。空は深い橙色から紫へと移り変わりつつあり、日没が迫る証がその色合いに刻まれていた。
最初は都市の高層部分が主役だった。ビルの屋上に配置された霊子吸収パネルや、ガラス窓に映り込む空のグラデーションが目に飛び込んでくる。
『――この度はCLOUD TOWERにお越しいただき誠にありがとうございます。CLOUDの誕生およびCROWDSの設立から既に100年以上が経過しておりますが、改めてCLOUDの沿革をご紹介いたします』
女性の声の館内放送が流れ、レンはぼんやりとCLOUDの成り立ちについて、卒業した“上級学校”で学んだことを思い返す。
100年以上前、“現界”の宇宙に存在していた太陽系第3惑星“地球”は突如として“霊界”から姿を現した神々や幻獣、魔物といった“神霊”と外宇宙から飛来した“異星人”が繰り広げる宇宙規模の大戦“星霊災”に巻き込まれ、未曾有の危機に直面した。
文明は崩壊し、人口は1%を下回り、滅亡の危機に瀕した人類だったが、超高度人工知能AIZを開発し、“神霊”の生態や“異星人”のテクノロジー、そして彼らが利用する未知のエネルギー“霊子”の一部解明に成功したことで状況は一変する。
彼らは叡智を結集し、国家の垣根を超えた共同体CROWDSを設立して、人工島“CLOUD”を築き上げたのだ。
さらに今となってはロストテクノロジーとなり、再現不可能となった太陽を模した超大型霊子炉を用いて、CLOUD周辺の空間を丸ごと“現界”と“霊界”の狭間に位置する“境界”に転送させることに成功する。
そこでCLOUDは極小規模な“現界”として安定した空間を確立して、今に至る……という歴史の筈だ。
エレベーターが緩やかに下り始めるにつれ、徐々に屋上の静寂から街の賑わいへと視界が移り変わった。
夕陽がその姿を徐々に隠していく中、街灯が順々に灯り始める。幹線道路に設置されたランプは黄金色に輝き、車のライトと交わりながら夜の世界を徐々に作り上げていく。
その中で行き交う車たちの流れは、まるで川が流れるように滑らかで、都市の鼓動を感じさせる。
小さな歩道橋では行き交う人々のシルエットが見え、彼らの足元には微かに反射する街灯の光が瞬いている。
『――しかし“星霊災”の戦火を逃れてもなお、混乱は続きました』
空間や物質、生命の肉体および魂……万物を構成する万能粒子にして超高効率のエネルギー“霊子”だが、それはエネルギーとして消費するなど、様々な形で利用するほど劣化し、あらゆる生命の精神や肉体を蝕み、最終的に命を奪うということが間もなく判明したのだ。
しかしこの問題は、“月”を担う超巨大霊子槽に汚染した霊子を送り、そこから逆に“境界”へと汚染霊子を還して自然浄化することで対応したほか、霊子研究の過程で発見された概念“魂”に、“神霊”や“異星人”などオカルトとされた存在のDNAとも呼ぶべき“星霊”の因子を取り込ませる“霊核”技術により、霊子耐性を高めることで解決する。
しかし霊核の影響は魂だけでなく、肉体にも及び、取り込んだ“星霊”の因子に応じて、半霊体の獣の角や尾、耳が生えるといった変異が生じるようになる。
あくまで外観的な問題のみに留まり、交配上の問題は無かったものの、外見の差異から諍いや争いも生じ、魔物系の霊核保有者は差別や迫害の対象になるなど、多数の犠牲が生じる悲劇もあったが、結果としてそれは個人のアイデンティティーを確立することにも繋がった。
エレベーターが夕陽に負けんとする勢いでさらに下降すると、目の前には街の細部が鮮明に現れ始めた。ガラスの壁面越しに眺める都市はどこか忙しないが、その中にも息づく生活の温もりが感じられる。街の賑わいと夕闇の融合は、まるでシンフォニーのような調和を保っていた。
『――そして我々の平穏を脅かす無骸霊です』
“星霊”の脅威から逃れた人類だったが、CLOUDの運営が20年ほど経過してから突如として“無骸霊”という脅威が生まれたのだ。
それらは意思を持たず、本能に従って人間を襲い、その魂と肉体を汚染霊子で冒すことで同胞を増やす生態であり、再び人類は窮地に陥ることとなる。
しかし汚染霊子を活動源とする無骸霊は、逆に汚染されていない純霊子に極めて弱いという弱点があった。
そこでCROWDSは小型かつ高出力の霊子炉を搭載し、高エネルギーの純霊子を生み出す兵器……葬奏機を生み出し、無骸霊への対抗を開始し、今に至る。
夜の気配が徐々に深まりつつある中、エレベーターは静かな動きで街に近づいていく。
その中でレンはガラスに映り込む自分自身を見つめ、都市の移ろいゆく表情と重ね合わせながら、自身の小ささと同時にその中で生きている意味を考える。
夕陽のオレンジの光が黒い闇に呑み込まれていく光景に自分を重ね、
『――というわけで皆様、ぜひ人類の守護者・葬奏者としてCROWDSと共に働きませんか? 葬奏者は高収入! CLOUD TOWERや各施設の提携ラウンジが自由に使える! 社会的信頼性が高い! フリーランスだから働き方も自由自在! 子供たちにも大人気! みんなの笑顔を守れる素敵なお仕事! CLOUD TOWER1階の大会議室では24時間365日いつでも試験を開催中! さぁ世界中の人々があなたを待っている! 来たれヒーロー!! ――CROWDSは無骸霊と戦う葬奏者を応援しています』
……色々と欺瞞を感じるが人手不足を解消したいという切実な思いはしっかり伝わってきた。
レンはぼんやりと壁にもたれかかったまま、ルミアから受け取ったライセンスカードを眺める。
するとようやくエレベーターの扉が開き、ライセンスカードをしまったレンはエントランスに向かう。
そこにはたくさんの人が行き交っており、レンはふと孤独感を覚えた。
こんなにも人がいる中で、自分は“無骸霊”。
その事実に胸が締め付けられる。
憧れだったヒーローである葬奏者になれたのに。
あの子を守りたかったのに。
亡くなった義父の墓前で胸を張りたかったのに。
それなのに自分は世界の敵である無骸霊で、イノリの命も危険に晒した。
「――何やってんだ俺ェ!!」
突然叫び出したレンに周囲の人々はぎょっとする。その異様なものを見るかのような視線がまるで無骸霊を見るかのような目に感じ、レンは更に苦しみを覚えた。
「……っ!」
一刻も早くここから逃げ出したいという気持ちに駆られたレンは、足早に正面の出入口へ向かう。
肩をぶつけられた警備員のロイドが『歩く際は周囲にお気を付けください』と注意するのを無視して足早に自動ドアを潜り、冷たい心を抱えながら外の世界に歩み出る。
彼の肩には沈むような重圧が覆いかぶさり、顔は俯いたまま周囲の景色に目を向ける余裕すらなかった。街の喧騒は遠く、夕陽の穏やかな光が周囲を包み込む静けさの中、彼の思考だけがどこまでも騒がしい。失望と孤独が胸を締め付け、出口のない迷路に迷い込んだような感覚が彼を支配していた。
「――どうも」
透き通るような声があった。
レンの足が止まり、思わず顔を上げる。
そこに立っていたのは、ひとりの少女だった。
狐耳を生やした、虹を内包する銀色の長い髪は夕陽を反射し、まるで純粋な光の流れそのもののように柔らかく輝いている。そのプリズムを散らす金色の瞳は、夕闇が迫る街の中でもなお明るさを失わず、彼をまっすぐに見つめている。
彼女は優しい笑顔を浮かべながら、レンに向かって控えめに手を振った。その仕草は自然で、まるでずっと待っていたかのような温かみがあった。彼の胸に押し寄せていた暗い感情は、瞬間的に裂けるように消え去り、代わりに言葉では表せない安らぎが流れ込んできた。
夕陽の光に包まれ、彼女の姿は儚くも力強い存在感を放っていた。まるで彼が沈んでいた深い闇から彼女が引き上げてくれるような、そんな気がした。
彼は思わず歩み寄ろうとしたが、何故か足がすぐに動かない。胸の奥で鼓動が高鳴り、彼女の存在が目の前にあることが信じられないような気がした。
「――レンさん」
ゆっくりと少女がこちらに歩み寄ると、やがて彼の目前に立ち、こちらの顔を見上げる。
「イノリ……」
レンはきつく結ばれた口を開き、名前を呼んだ。
するとイノリはレンの表情に陰りがあることに気づき、笑顔を失い、
「「ごめんなさい!」」
同じ言葉が重なった。
「「あっ……えーと」」
また繰り返してしまい、2人の顔は真っ赤になる。
「あ、じゃあイノリからどうぞ……」
「は、はい」
ひとまずレディファースト、ということでレンはターンをイノリに譲る。
「その……私のせいで戦いに巻き込んでしまってごめんなさい。本来であれば私があなたを守るべきだったのに……」
「それについては感謝してるよ。調子が悪いのに俺やみんなのために頑張ってくれたんだから」
曇り顔のイノリにレンは笑顔を向けて安心させようとした。
しかしイノリは彼の顔が必死に取り繕った作り笑いであると見透かし、更に表情を曇らせる。
「それに俺もごめん。葬奏者になったけど、なんかその……何というか……」
「お聞きしています。無骸霊になってしまわれた、と」
言い淀むレンだったが、イノリは既に知っていたということで少し吹っ切れた気分になった。
「……うん。それで……それで、イノリを危険に晒して……っ」
できるだけ悟られないようにするつもりだったが、レンの声は震えていた。少しでも気を抜いたら、彼女に情けないところを見られそうで、必死に取り繕うとするが、手は震えて感情は決壊しそうで。
「――それは違いますっ!」
するとレンの心中を察したイノリがレンの手を握る。
優しく、同時に力強く、レンの心を氷解させてくれる。
「私は気を失っていましたが、あの時私は身体を蝕むものから徐々に解放されていることを理解していました。それはきっと、あなたのお陰なんです。私はあなたに助けられて……だからそんな辛そうな顔をしないで……今の私みたいに笑っていてください」
不思議なものだと思う。
彼女の向ける笑顔で。
彼女の紡ぐ言葉で。
彼女の握る手のあたたかさで。
それまで自分を苛んでいた苦しみがすっかり消えていた。
「……ありがとう。少し楽になった」
少し鼻声のレンは眉間を抑えてひとまず立ち直った。
まだ不安は残っているが、ひとまず彼女が笑顔ならそれで良いと。
「あと、もし良かったらタメ口でもいいかな? 名前も呼び捨てでさ」
「わかりました……あっ、わかった、だね」
こちらがタメ口なのに相手だけ敬語なのは少し居心地が悪いと感じるレンは素直に気持ちを伝えると、彼女もそれに応じてくれた。
「これからよろしくね、レン」
「こちらこそ。イノリ」
イノリが右手を差し出し、レンも右手を出して握手を交わした。
「あ、あとこれね。葬奏機。おじさんの大事な形見なんだよね」
「ありがとう。イノリが持っててくれたんだな」
イノリが柱に立て掛けておいた焔魂を差し出し、レンは受け取る。彼は改めてその重さを実感した。
「……そういえば泊まるところはあるの?」
イノリの質問にレンはバツが悪そうに頭を掻く。
「実は元々住んでいたアパートを出てこっちに移り住むつもりだったんだけど、無骸霊騒ぎで引っ越す先を見つけてなくて……しばらくは安ホテルにしようかと思ってんだけど予約もしてないんだよね。なんか良さげなところ知らないかな……?」
「そっか……もし良かったら私の神社でしばらく住まない?」
すると意外な提案があり、レンは驚きに目を丸くする。
「えっいいの?」
「うん。今は私しか住んでないし、ちょっと神社のお仕事を手伝ってもらえればいいから……ちゃんとお給料も支払うから」
「なんなら無報酬でもありがたいくらいなのに報酬まで!? それなら喜んで永久就職するけど本当にいいの?」
「是非!」
イノリは眩しい笑顔で応じ、レンには彼女が女神に見えた。
思いがけない話にレンの顔はパッと明るくなる。
(なんか美少女狐巫女と神社で同棲っていきなり最高のシチュエーションに放り込まれてないか俺!?)
なんだか自分が無骸霊がどうとか、一瞬でどうでもよくなった。
※
夜の路地裏は静寂に包まれていたが、その中を歩く男の足音が冷たいアスファルトに響いていた。彼の歩き方は荒々しく、靴底が地面を叩くたびに苛立ちがその音に乗って伝わってくる。街灯の光は薄暗く、路地の奥に伸びる影が彼の姿を飲み込むように揺れていた。
サイボーグ男……クラッシュの顔は険しく、眉間には深い皺が刻まれている。手には古びたレザーのジャケットのポケットを握りしめ、拳を固く閉じたまま歩き続けている。その義眼は鋭く、周囲を警戒するように動きながらも、どこか焦点を失っているようだった。彼の苛立ちは内側から溢れ出し、肩の動きや歩幅の乱れに現れていた。
路地の壁には古びたポスターが貼られ、剥がれかけた紙が風に揺れている。彼はそれらに目を向けることなく、ただ前方を睨むように進んでいく。時折、彼の足元をネズミが素早く横切るが、彼はそれに気づく様子もない。
彼の頭の中には何かが渦巻いており、その思考が彼をさらに苛立たせているようだった。
遠くから聞こえる車の音や、酔っ払いの笑い声が微かに響いてくるが、彼の世界にはそれらの音は届かない。彼の周囲には冷たい空気が漂い、路地裏の湿った匂いが鼻を突く。
それでも彼は止まることなく歩き続け、苛立ちを抱えたまま闇の中へ進んでいく。
「クソが……俺が戦えればあんな無骸霊ども、どうとでもなるのによォ……」
彼はゴミ箱を蹴り飛ばし、通行人にガンをつけ、ひたすら宛てもなく歩き続ける。
「――あん?」
すると突如彼の前に謎の男が現れた。
その人物は黒いスーツに頭全体を覆うマスクを装着していた。
「誰だテメェ? ぶっ殺すぞ」
「力が欲しいですか?」
謎の男の問いかけに、殴りかかろうとしていたクラッシュの動きが止まる。
「私は知っていますよ。戦えなくなったあなたが力を得る方法を」
クラッシュの、ヤニで濁った義眼に力が宿る。
「なんだよそれ……早く教えろよ!」
「焦らずとも大丈夫ですよ。こちらです」
男は胸ポケットから取り出した“ソレ”をクラッシュに差し出す。
恐る恐る“ソレ”を受け取ったクラッシュはまじまじとあらゆる角度から眺め、ややあって笑みを浮かべる。
「気に入っていただけましたか?」
「まぁ悪くねぇ。本能的にわかった。コイツはすげぇってな」
「それなら結構」
「見返りはなんだ?」
上着のポケットに“ソレ”をしまい込んだクラッシュが謎の男に問いかける。
「ビジネスです。あなたには我々の計画に協力して欲しいのです」