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夕方の光がビル群の窓面に反射し、街全体がオレンジと金色の輝きに包まれている。
「ん……?」
レンは微かに瞼を開けた。最初は視界がぼんやりと滲み、光と影が曖昧に混ざり合っているように見えた。しかし、次第に目の前の空間が鮮明になっていく。
視界を覆う天井は曲線的なデザインが特徴的で、光沢のある白い素材が使われていた。その中央には柔らかく変化する間接照明が埋め込まれており、穏やかな琥珀色の光が部屋全体を包んでいる。
陽光が窓から差し込むことで、その人工的な光と自然光が調和し、空間に不思議な温かみを与えていた。
彼が寝ているベッドの周囲には、スリムで透明なパネルが配置されており、施設内の大型霊子炉から供給される純霊子が、パネルとパネルを繋ぐチューブを経由して室内を満たし、体内の“ケガレ”を禊ぐ。
周囲にはホログラムウィンドウがいくつも浮かび、脈拍や体温、血圧といった彼の体調データを表示する。
ベッド自体も機能的で、彼が少し動くと自動的に姿勢を調整し、快適なサポートを提供してくれるほか、柔らかな触感とほど良い弾力が心地いいと思える。
壁際には幾何学的な模様が刻まれた収納キャビネットが並んでおり、それらが無機質になりすぎないよう、上部には小型の植栽が並べられていた。植栽は自動散水システムによって常に新鮮な緑を保っており、機能性を重視するあまり、どうしても無機質的になってしまう空間に自然の息吹をもたらしている。
窓の外には夕日のオレンジ色が広がり、雲が絹のように薄くたなびいているのが見えた。医務室が高層階に位置しているため、眼下にはビル群とその間を行き交う車たちが小さく見え、晴天の下、都市の風景がまるで絵画のように広がっている。
彼は目を細め、耳を澄ませた。
医務室内は静寂に包まれており、微かに聞こえるのは空調から流れる心地よい風の音と、自身の心拍を示すモニターの低い電子音だけだった。
我に返り、ホログラムウィンドウで時刻を確認すると17時となっていた。
どうやら丸一日気を失っていたらしい。
「ラウル、“彼”が目を覚ましたわ。ヴラムに連絡を」
カーテンが開く音とともに声があり、目を向けると、そこには桃色の髪に悪魔のような角と、翼と、尻尾を生やした魔女のような格好をした少女が、隣で何やらホログラムウィンドウを操作している狼の耳と尻尾を生やした銀髪の少年に話しかけている。
「了解、モニカ。そういえば回収した彼の葬奏機はどんな感じなんだい?」
「ブラックボックスの塊でわからないことだらけね。正直、葬奏機と呼称すべきかもわからない……規格外としか言えないわ。葬奏機は主に低コストで共通設計の量産型と、フォーマットしたコアユニットをベースに葬奏者がその身に宿す霊核や霊能に合わせて文字通りゼロから設計・構築する当人専用のオリジナル型があるけど、アレはイノリと同じく、コアユニットと使用者の霊核が完全に同一化してるタイプよ。サンプルが皆無だわ。彼から何か聞ければいいけど……まぁ期待はしないわ」
「ますますヴラムが興味を持ちそうだね。じゃあそのあたりも伝えておくよ。そうそう、良かったら後で一緒にお茶しない?」
「まだ色々と仕事があるじゃないの。それを終えたらね」
レンを置いてけぼりにしたまま、ラウルと呼ばれた少年はルンルンと鼻歌でも歌いそうな軽快な足取りで出入り口へ向かう。
「っとルミア。来てたんだね」
すると彼が自動ドアを潜ろうとしたタイミングで、室外から長い金髪に白い天使の翼を生やした修道服の少女が現れた。
「こんばんは、ラウル。皆さんが何やら忙しそうだったので、教会の方は他のシスターの方々にお任せいただいてこちらに来ました。モニカ、あとはこちらに引き継いでいただいて大丈夫です」
「ありがとうルミア。気を付けてね。……と言ってもあなたなら心配もないでしょうけど」
「買いかぶり過ぎですよ。わたくしはただのシスターですので」
シスターの少女、ルミアと入れ替わるようにラウルとモニカはレンを一瞥だけして部屋を出る。
ふたりきりになったところでレンはようやく微笑むルミアに問いかけた。
「ここは……?」
「こちらはCLOUD TOWERの医療センターです。あなたの治療と健康状態を確認させていただいておりました」
はぁ、とレンはいまいち状況がわからず気の抜けた返事をする。
「申し遅れました、わたくし、シスターのルミアと申します」
「あー……俺はレン。よろしくルミア」
「こちらこそよろしくお願いします、レン」
ルミアが手を差し出し、レンも握手に応じようとするが、
「そういえばイノリって……? 痛ッ!?」
全身に凄まじい激痛が走り、呻く。
「あまり無理に動かない方がいいですよ? 全身筋肉痛でしょうから」
そうして彼はようやく何があったかをぼんやりと思い出した。イノリが突然気を失ってしまい、自分はあの“怪獣”の無骸霊と戦っていたのだ。それからは何も覚えておらず、レンはイノリの無事について案じる。
「イノリは無事ですよ。むしろここ最近は僅かに調子がよろしくなかったのに少し快調という程で」
「それは良かった……」
ルミアの言葉に一旦レンは安堵に胸を撫で下ろした。
「で、俺自身は……? イノリが気を失って、初めて葬奏機を起動させて、“怪獣”の無骸霊と戦っていたことまでは覚えてるんだけど……」
「――それは俺から話そう」
また新たな人物が部屋に入ってきた。
その人物についてはレンも誰か知っている。
というか最近会ったばかりだ。
「レン、だったな。調子はどうだ?」
「ヴラム、か? はっきり言って最悪の気分だな。頭はグラグラするし全身ズキズキで死にそうだ」
「そうやって愚痴を吐ける程度には元気なようで何よりだ」
ちっとも元気じゃねぇ、とレンは思いつつ痛みに耐えながら身を起こしてヴラムに身体を向ける。
「……さて、正直に話そうか。お前はあの時、無骸霊になっていた。そして俺たちは暴走したお前を実力行使で止めた。信じられないと思うがな」
「は……? 無骸霊に? 俺が……?」
ヴラムの話を一瞬聞き間違いかと思った。
――自分が無骸霊だった?
レンの鼓動が早くなり、嫌な汗がぶわっと吹き出て呼吸のペースが早くなる。
悪い冗談だと思いたかった。
「しかし無骸霊や葬奏機の研究が進められているこのCLOUD TOWERの施設で調べてもその痕跡は全く確認されなかった。少なくとも現時点のお前は純粋な“人間”だ。客観的には、俺たちの報告に偽りがある可能性の方が高いとすら言えるだろうな。しかしAIZのログやネルのドローンのカメラ映像、霊子の観測データはお前が無骸霊だったことを証明している」
ヴラムがレンの目前にホログラムウィンドウを表示し、映像を再生する。そこに映し出されたのは上空から撮影した動画で、倒れているイノリと、レンが戦った覚えのある“怪獣”と、赤黒い炎を纏う、亡霊のような自分の後ろ姿があった。
「なんだよこれ……」
「不安にさせてすまない。しかしこれは紛れもない事実だ」
レンはぎゅっと己の胸を抑える。
記憶のない自分の正体が無骸霊ということに目の前が真っ暗になった。
自分はこれからどうなってしまうのか、何もかもがわからず不安に押し潰されそうになる。
「しかし幸いなことに、今のところAIZはお前の保護をするという方針だ。もちろん、無骸霊となって暴走した場合は俺たちが適切に“処理”をするが、少なくとも拘束されて何か非人道的な扱いをされることは無いから安心しろ。それにこの情報はお前と接触した葬奏者以外には最重要機密として秘匿されている」
「それは何で……?」
「超高度人工知能であるAIZの真意は不明だ。だが、ひとつ考えられるとしたら――お前が無骸霊から人類を救う鍵ということだろうな」
ヴラムの話はあまり頭に入ってこなかったが、要はひとまずは保護観察処分ということだろう。
当分は身の安全は保証されるとのことでわずかにレンは気持ちが軽くなる。
「さて、すまないが予定が入っていてな。俺はそろそろ行く。ルミア、後は任せていいか?」
「おまかせを。お疲れ様です、ヴラム」
ルミアは頭を下げ、ヴラムの後ろ姿を見送る。
「しばらく検査などで呼び出されるかもしれませんが、一旦はお帰りいただいて結構です。もしお身体の具合がよろしくないのでしたらしばらくおここで休みいただいても結構ですが」
「……いや、申し出はありがたいけど帰るよ。ここだと色々考え込みそうだから」
レンはゆっくりと身を起こし、ベッドから降りて靴を履き、ハンガーに掛けられた上着を羽織る。
「わかりました。それではこちらをどうぞ」
「これって……」
ルミアが差し出したものを受け取り、まじまじと眺める。
それは1枚のカードだった。
「葬奏者のライセンスカードです。こちらのIDをデバイスのアカウントに紐付けておいてください。アプリもインストールいただけると優待割引などが多くのお店で利用できますのでよろしければそちらも」
「あ、ありがとう。是非そうしておくよ」
なんか営業みたいだなと思いつつ、レンはライセンスカードを紛失しないようポケットに入れた。
「……そういえばライセンスが無いまま葬奏機を起動させて無骸霊と戦っちゃったんだけどアレってやっぱマズかった?」
「本来であれば罰則がありますね。しかし緊急事態だったのと、筆記試験等は通過していたので、特例として昨日未明時点でライセンスを付与していたということでAIZは処理しておりますので今後お気をつけていただければ結構です」
寛大な処置にレンは感謝し、出入り口へ覚束ない足取りで向かう。
「エレベーターはこちらを出て突き当たりを左に曲がっていただくとございます。それでは、またの機会に」
「あ、あと俺の葬奏機は?」
恩人の形見について尋ねるとお辞儀していたルミアが顔を上げる。
「それについては“彼女”がお持ちです。下でお待ちですよ?」
ルミアは少しだけ悪戯っぽく微笑んだ。




