戦いの果てに
『再起の影』
敗北から三日が経っていた。
その間、渚紗は一度も教室に姿を見せていない。
生徒会室にも行かず、訓練も欠席し、連絡にも応答しなかった。
誰かに何かを言われたわけではない。
ただ、自分から全てを閉ざした。
けれど、眠れなかった。
目を閉じるたび、雷に焼かれたあの広場が脳裏をよぎる。
あの空気、あの光、あの重さ。
そして──神宮寺紡希の背中。
『もうちょっと、自分のために戦ってみたらどうだ?』
ただの一言だった。
優しさでも、励ましでもない。
むしろ、突き放すような口ぶりだった。
でも、それがいちばん効いた。
それが、自分の核をえぐった。
(私のために……?)
自問する。けれど、その問いに即答できない。
なぜなら──そんなこと、今まで一度も考えたことがなかったからだ。
自分は、最初から“誰かのため”にしか動いてこなかった。
生徒会の幹部として、規律を守る側として。
それが当然で、それが正しいと思っていた。
だが、それは“自分が選んだこと”だったのか。
それを考えると、呼吸が浅くなる。
喉が詰まり、胸が痛む。
今さらそんなことを考えなければいけない自分が、悔しかった。
(私の“戦い”って……なんだったの?)
机の引き出しを開ける。
そこには、整頓された書類の束と
──一冊のノートがあった。
中学時代の自分が書いた、訓練記録用の備忘録。
何年も前の、自分自身の手による言葉。
『一人で、全部守れるようになりたい。そうすれば、誰も泣かせずに済む。』
ページの端に走り書きされていたそれを見つけた瞬間、渚紗は息を飲んだ。
覚えている。
この言葉を書いた時のこと。
まだ何者でもなかった自分が、力を手に入れたばかりの頃。
何かにならなければならないと思っていた。
その“何か”に、名前をつけることもできず。
ただ、漠然と“強くなれば、誰かを守れる”と思い込んでいた。
(……違う。違うよ、あの頃から……私はずっと……)
自分のために、戦っていたのだ。
自分が後悔しないために、誰かを守ろうとした。
それは綺麗な感情ではない。
自己満足かもしれない。
それでも──それは、たしかに“自分の意志”だった。
それをいつの間にか、“生徒会の役割”にすり替えていた。
義務にして、責任にして、
“理由”だと思い込んでいた。
(それじゃ、あの時……あの子を泣かせた意味が……)
渚紗は、肩を震わせる。
泣くことはできなかった。
ただ、静かに、じくじくと焼けるような後悔が胸を蝕んでいた。
──守れなかった過去。
──誤魔化してきた現在。
それらを全て抱えたまま、彼女はゆっくりと立ち上がった。
そして、クローゼットの奥から──
古びた訓練用のジャケットを取り出した。
それは、初めて模擬戦に勝った日。
誇らしげに袖を通した、あの頃の自分が選んだものだった。
「……やり直す」
小さく呟いたその言葉に、力はなかった。
けれど、覚悟はあった。
(私はまだ、終わってなんかいない)
生徒会に戻るためでも、紡希に認められるためでもない。
ただ、自分が自分であるために──
“もう一度、自分のために”戦えるようになるために。
***
その日の夕暮れ、
訓練場の一角に、再び渚紗の姿があった。
誰もいない時間。
誰にも見られていない場所。
構えを取る。
息を吸う。
足を踏み出す。
ぎこちない。
乱れている。
筋肉が思うように動かない。
それでも構わなかった。
これは“誰かに見せる強さ”じゃない。
“誰かの評価”のための強さでもない。
これは、自分の心を取り戻すための、
“自分のための戦い”だった。
「私は──もう一度、私になる」
それは祈りではなかった。
誓いでもない。
ただ、ひとつの決意。
柊木渚紗は、再び手段を握った。
かつてのように誰かの命令に従うのではなく、
自分の足で立ち、自分の意志で手段を振るうために──
夜が、ゆっくりと、彼女の背を包んでいった。