表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/20

静寂

試練の終わりを告げる鐘は鳴らなかった。

けれど、それが終わったことは誰の目にも明らかだった。

雷の嵐が過ぎ去った石畳の広場に、焦げ跡と亀裂、そしてただ二人──

崩れ落ちた渚紗と、静かに立つ紡希だけが残されていた。

声はなかった。

誰も歓声を上げず、誰も言葉を発さなかった。

勝者が語らず、敗者も立ち上がれなかった。

──渚紗は気づいていた。

自分は負けたのだ。

ただ力で負けたのではない。

“戦う理由”を持てなかった自分が、最初から敗者だったのだと。

彼女の中で何かが崩れた。

肩書でも、信頼でもない。

それを支えていたはずの、曖昧な信念そのものが──

そんな彼女に、紡希は淡々と語った。

「もう少し、自分のために戦ってみたらどうだ」

優しさではない。ただの事実として、彼は言った。

戦いを終え、背を向けた紡希の姿は、何かを得た者のそれではなかった。

けれど、渚紗にはわかった。

自分とは違い、彼は“既に答えを持っている”。

だからこそ彼は、ただ立ち去ったのだ。

そして──

観覧席の最上段で、そのすべてを見届けていた相馬颯は、小さく呟いた。

「王喰い、か」

それは、ひとつの試練を終えた男に対する評価であり、警鐘だった。

「これは……ただの始まりだ」

その言葉の意味を、誰もまだ知らなかった。


***

翌朝、学園は日常の風景を取り戻していた。

だが、廊下の噂話、交差する視線の重さが、それが偽りの“平穏”であることを示していた。

──柊木渚紗は、敗れた。

──神宮寺紡希が、勝った。

それだけで、学園全体がざわめいた。

生徒会派は緊張を強め、廊下には監視の目が張り巡らされた。

渚紗は姿を見せず、朝のルーチンさえ途切れていた。

その不在は、“敗北”以上に生徒たちの心を重くさせていた。

一方、反生徒会派の面々もまた浮かれてはいなかった。

神宮寺紡希は確かに勝った。

だが彼はどこにも属さない。

“味方でもなく、敵でもない”。

その在り方こそが──彼の“異物性”をより際立たせていた。


***

生徒会室。

相馬颯は、淡々と試練の記録を確認していた。

──神宮寺紡希、想定超過。

──柊木渚紗、精神的動揺により運用不安定。

資料にはそう記されていた。

彼は静かに呟く。

「やはり、力だけでは足りないか」

篠崎千乃が問う。「交渉に移りますか?」

彼は首を振った。

「今はまだ、時期じゃない」

──しかし、放置もできない。

神宮寺紡希という男がこのまま“秩序の外”に在り続ければ、

やがてこの学園の根幹すら崩しかねない。

彼はすでに、次の一手を探り始めていた。

静かに、確実に、歯車は、確かに回り始めている。


──広がるのは、沈黙ではなかった。

試練の翌日。

学園の空気は一見すれば“いつも通り”を装っていた。

けれど、それはあくまで“演技”だった。

生徒たちの視線の端々には緊張が宿り、

放課後の廊下では立ち止まり、耳を澄ます者すらいた。

「……見たか? あれ」

「渚紗先輩、マジで来てねぇのか……」

「神宮寺って、何者なんだよ」

噂は、もはや火のついた導火線だった。

それを火薬に変えるか否か──判断を下す者たちは、静かに動き始めていた。


***

■ 反生徒会──会合の影

放課後、旧校舎の一室。

そこに集っていたのは、反生徒会に属する“中核”の者たちだった。

薄暗い室内に、木製の机を挟んで向かい合う数名。

その中心に座る青年──東堂蓮司は、肘を机につき、片手で頬杖をついていた。

「……つまり、俺たちの“駒”じゃないってことだな」

誰にともなく投げた言葉。

だがそれは、集まった全員に向けられていた。

「神宮寺紡希。俺たちにとって都合の良い存在じゃない」

「生徒会に逆らった。けれど、それだけだ」

蓮司の言葉は静かだった。

だが、その瞳には確かな読みが宿っている。

「……俺たちは、勝ち馬に乗りに来たわけじゃない。革命がしたいわけでもない。

ただ、あいつらにとって代わる“次”を用意する。

そのために必要なのは、“制御可能な力”だ」

部屋に沈黙が落ちた。

神宮寺紡希──

たしかに強かった。

たしかに、秩序を揺らがせた。

だが、それは“制御”できない強さだった。

だからこそ、危険だった。

「……紡希をどう扱うつもりですか」

そう尋ねたのは、幹部のひとり獅堂環。

飄々とした外見に似合わず、意外に慎重な性格の持ち主だ。

東堂は、無言で立ち上がる。

そして、窓際へと歩み寄り、夕暮れに染まる校舎の景色を見下ろした。

「……神宮寺が“誰の味方にもならない”なら、それでもいい。

けれど、あいつの存在がこの均衡を壊すなら──」

一拍、間を置いて言った。

「いずれ、切り札をぶつけることになる」

誰の声も返ってこなかった。

けれど、その場にいた全員が理解した。

反生徒会の頭目・東堂蓮司は、“敵”と“可能性”を同時に見ていた。

神宮寺紡希は、どちらにも成り得る存在だった。


***

■ 生徒会──揺らぐ内部

生徒会室では、静かな作業音が響いていた。

ファイルをめくる音、端末を操作する音。

それらが、室内の空気をわずかに和らげていた。

──だが、そこにいた者たちの表情は、静かではなかった。

篠崎千乃は資料整理をしながら何度も手を止め、

相馬美久は、隣室から会長室の扉を何度も振り返っていた。

「……お兄ちゃん、本当にこのままでいいのかな」

呟く声に、誰も答えない。

答えられない。

相馬颯は、決して感情で判断を下す人間ではない。

それは分かっている。

けれど、美久の胸にあるのは、理解ではなく、動揺だった。

──紡希と話したあの日から、何かが揺れている。

彼の言葉が、心のどこかに残っていた。

“自分で選べ。後悔のない選択を。”

彼はただそう言っただけだった。

でも、それがどれほど重い意味を持つか──

いま、彼女自身が痛いほど感じていた。


***

■ 渚紗──沈黙の果て

そして、その頃。

広場で敗れた少女──柊木渚紗は、学園のどこにも姿を見せていなかった。

病欠でもない。

ただ、沈黙の中にいた。

部屋に引きこもるようにして、

繰り返し思い出していた。

試練の場の景色。

あの雷光の終わり。

紡希の言葉。

“もうちょっと、自分のために戦ってみたらどうだ?”

何度思い出しても、胸の奥が苦しくなる。

あれが正しいということは、否定できなかった。

だからこそ、自分がどれだけ空っぽだったかを痛感していた。

──私は、誰のために、何のために。

それを知らずに剣を振るい、拳を握っていた。

それが“敗北”だった。

だから、いま渚紗は立てなかった。

まだ、立ち直るための理由を見つけられていなかった。


***

神宮寺紡希。

彼が勝った。

けれど、誰も彼に祝福を贈らない。

なぜなら彼は、“勝者”にはなれなかったからだ。

彼が崩したのは秩序ではなく、“前提”だった。

その前提が壊れたとき、人々は初めて自分の足で立たなければならない。

そのことに、皆がまだ気づき始めたばかりだった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ