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あなたを愛することはないので、せいぜい励んでください

作者: 乃木太郎

 シャルロッテ・ルーデンス伯爵令嬢は、成金令嬢である。商才のあった祖父が多額の資産を築き、当時戦争のために莫大な現金を必要とした王家に利子もつけずその資産のほとんどを貸し付け、そのときに一商家から貴族の栄誉を賜ったのだ。祖父は固辞したらしいが、当時の王が頭を下げんばかりの勢いで頼むので、渋々伯爵となったと聞いている。

 しかし、貴族の世界はいろいろとややこしい。祖父がぽんとお金を出さなければ、戦争に負けて属国となっていたかもしれないことをすっかり忘れ、「金で爵位を買った成金」として、ルーデンス伯爵家は嫌われ者だった。

 祖父が亡くなり、シャルロッテの父がルーデンス伯爵になると、なぜかますますルーデンス伯爵家は他家から冷たい目で見られるようになった。国の恩人である祖父が亡くなったくせに、爵位を返上せず、のうのうとその権利だけを享受していると思われているらしい。王家はまだ、ルーデンス伯爵家への借金を返済できていないというのに。

 この状態をどうにかできないかと考えた王家は、ルーデンス伯爵家と王族の婚姻を打診した。もちろん、ルーデンス伯爵は最初は断っている。もとは平民であることは間違いがないし、王家に恩を売ったという感覚も祖父にも父にもなかったからだ。

 それに、すべての貴族が、ルーデンス伯爵家を嫌っているわけではない。王家に近い公爵家はルーデンス伯爵家に感謝を示しているし、比較的王権派の貴族もルーデンス伯爵家への態度は柔らかいものだ。彼らの中には、ルーデンス伯爵に借金をしている者がいるというのも理由かもしれないけれど。

 そういうわけで、ルーデンス伯爵は最後まで王族との婚姻を断っていたが、先王からくれぐれもルーデンス伯爵家に仁義を通すようにと言われていた現王にやはり頭を下げられる勢いで頼み込まれ、ルーデンス伯爵はしぶしぶその婚約を受けることにしたのである。

 こうして、一人娘のシャルロッテの婚約者として、年齢が一番近い第五王子のユリウスが選ばれた。将来、伯爵を継承するシャルロッテ・ルーデンス女伯爵を支える配偶者となる予定だ。

 この婚約は、王家とルーデンス伯爵家のつながりを貴族に知らしめ、ルーデンス伯爵の名誉をあるべき姿にしていくための、政略結婚であった。

 ところが、まだ幼いユリウスは、この婚約の意味がわからず、初めてのシャルロッテとの顔合わせのときから不満げだった。第五王子なので王位が望めないことは理解していたようだが、「成金貴族」と呼ばれている、しかも下位の伯爵家に婿入することになるのか。そんなふうに思っていることは、シャルロッテが見ても明らかだった。

 シャルロッテは、彼女なりに、伯爵家のためにこの婚約がうまくいくよう、ユリウスにかなり譲歩した。派手なドレスを着ると、「成金だ」と不機嫌になるのでわざと地味なドレスを着て、化粧っ気もない、野暮ったい女を演出したのである。シャルロッテは、ユリウスが不愉快を覚えないよう、そして成金っぽく見えないよう、できる限り地味で、一歩下がって後ろを歩くよう努めた。

 ところが、そうしているうちに、今度はユリウスが、「シャルロッテのような地味な女を連れ歩くのは品位に欠ける」と、シャルロッテのエスコートを拒否するようになった。夜会に二人で参加することは、王家とルーデンス伯爵家の蜜月を示すために重要である。さすがにそうなっては困るのでシャルロッテが着飾ると、「成金令嬢を連れていると思われたくない」とやはりエスコートを拒否された。

 シャルロッテが困り果て父のルーデンス伯爵に相談すると、ルーデンス伯爵から王家に話がいき、「告げ口など卑怯だ」とシャルロッテはますますユリウスに嫌われてしまった。

 結局機嫌を損ねたユリウスは、シャルロッテのエスコートをドタキャンするようになり、シャルロッテは仕方なくエスコートなしで夜会に参加するという恥辱を味わうこととなった。こうなると、ルーデンス伯爵家はますます他家の貴族から冷笑され、軽んじられる。そしてエスコートのドタキャンを知った現王がユリウスを叱り、ユリウスはますますへそを曲げるという悪循環に陥った。

 胃に穴が開くのではないかと思われるほど、シャルロッテの精神はすり減り、とうとう父が、「婚約を解消しよう」とシャルロッテに言う。もともと現王に頼み込まれて結んだ婚約で、シャルロッテを不幸にするための婚約ではない。シャルロッテは限界が近かったのだろう、否定も肯定もせず、ただ、「お父様に従います」とだけ伝えた。それはもちろん、ルーデンス伯爵が婚約を継続しろと言えば継続する、という意味も含まれている。

 こうして、シャルロッテとユリウスの婚約解消が水面下で動き始めたとき、ある夜会でとうとうユリウスが事件を起こした。


「シャルロッテ・ルーデンスとの婚約を破棄して、ここにいるジョセフィーヌ・マルティアノ侯爵令嬢との婚約を宣言する!」


 なんと、いつものごとくエスコートをドタキャンしただけでなく、夜会の場でシャルロッテに婚約破棄をつきつけたのだ。しかも、いつの間にかジョセフィーヌという浮気相手までつくって。

 シャルロッテは、ユリウスのあまりの考えなしの行動に閉口した。この政略結婚の意味をユリウスが理解していないことは早々に気づいていたが、ここまでの愚行を強行するほどバカではないと思っていたからだ。しかし、悪い意味で、ユリウスはシャルロッテの期待を見事に裏切ったのである。


「貴様のような賤しい成金ふぜいとの婚約など反吐がでる!どうせ金の力でこの婚約を整えたのだろう?」


 醜く顔を歪め、ユリウスが吐き捨てるように言った。これはルーデンス伯爵家だけでなく、王家にも唾を吐く言葉だとユリウスは気づいていない。

 シャルロッテは痛む胃をおさえながら、どうやってこの場を切り抜けるべきか思案する。味方は誰一人いない。しかし、簡単に婚約破棄を受け入れることは避けたい。


「金の力で私の寵愛が得られると思ったのか?愚鈍で卑劣な女め」


 ユリウスのこの言葉に、シャルロッテは自分の中の何かが切れる音がした。この婚約は、現王に頼み込まれて結ばれたものである。シャルロッテはもちろんユリウスを婚約者として大切にしようと思っていたが、愛だの恋だのはもちろんあきらめていたし、シャルロッテはシャルロッテなりに努力して我慢して、ユリウスの相手をしていた。そのすべてを、ユリウスはたった一言で踏みつぶしたのである。

 シャルロッテは感情を悟らせない淑女の笑みを浮かべまっすぐにユリウスを見る。いつもと違うシャルロッテの雰囲気に、ユリウスは思わずたじろいだ。


「婚約破棄がしたいとのこと、承りました。持ち帰って父に相談し、陛下にも奏上いたしますわ」

「いやっ……父、その、陛下には私から」

「それでは、わたくしは失礼いたします。父と話さなければなりませんので」


 シャルロッテは立派なカーテシーを披露し、ユリウスが何を言っても背筋を伸ばしたまま、最後まで表情も緩めず夜会会場をあとにする。もうこれ以上、惨めな自分でいたくなかったのだ。




 夜会から戻ると、シャルロッテはすぐに父に婚約破棄劇場の内容を詳細に説明した。証言が得られるはずだと、目撃者の貴族たちも覚えている限り伝える。ルーデンス伯爵はめずらしく眉間にしわを寄せて難しい顔をして、「あとはこちらでなんとかする」とだけ言った。

 自室に戻ると、なぜかシャルロッテは解放感で満たされていた。あんなに守りたいと思っていた婚約を破棄されたのに、悲しいや悔しいという気持ちは一切なく、「終わった」という爽快感が彼女を満たしていたのである。その日の夜、シャルロッテは久々にぐっすり眠ることができた。

 使用人たちの配慮で翌日はのんびりと起きたシャルロッテが、朝食兼昼食を味わっていると、父が慌ただしく食堂に入ってくる。


「シャルロッテ、昨日の今日で悪いが、一緒に登城してくれるか」

「それは構いませんけれど……。まさか、陛下とこんなに早く謁見のお約束が?」

「そうだ。ああ、安心しなさい。シャルロッテに罪がないことは、陛下もわかっておられるから」


 父の柔らかい笑みに、シャルロッテは小さく頷く。ユリウスの件で散々な目に遭ってはいるが、ルーデンス伯爵は現王に忠誠を誓っている。王家の借金についても、返済はいつでもいいと言った祖父の意志を尊重し、支払いが遅れても取り立てるような真似もしない。もちろん、いらないと言っているのに、返済が遅れた場合はしっかり利子をつけて支払われているようだ。現王とルーデンス伯爵の関係は、とても良好だった。シャルロッテはそれがわかっていたからこそ、ユリウスとの婚約を受け入れたのだけれど。

 登城するのに地味なドレスはいけないと、侍女たちのがんばりもあって、普段の夜会以上にシャルロッテは気合いを入れて用意をする。ユリウスにはまた「成金令嬢」と嫌われるだろうが、もう婚約者でなくなる相手のことを考えても仕方がない。

 父と二人で登城すると、なぜか謁見の間ではなく、王の私室に通された。部屋の中には王と公爵家の宰相しかいない。緊張の面持ちで父とあいさつをし、席についた瞬間、国王陛下は机に額をすりつける勢いで頭を下げた。


「愚息が迷惑をかけ、本当に申し訳ない……!」


 シャルロッテとルーデンス伯爵はあまりの勢いに一瞬言葉を失う。たしかにここまでされたら断れないのも理解できると、シャルロッテは心の中で苦笑した。


「陛下、気持ちはわかりますがほどほどに。シャルロッテ嬢が今にも倒れそうです」


 宰相が声をかけてくれて、シャルロッテは心からほっとする。父と二人、床に膝をつくべきかと思っていたところだ。


「……本当に、申し訳ない。すべて私の責任だ。シャルロッテ嬢を傷つけるつもりはなかった、本当だ」


 国王陛下は頭は上げたものの、心から悪いと思っていることが通じるほどどんよりとした顔をしている。なんだか解放感に包まれていた自分が申し訳なく、シャルロッテはちらりと隣の父を見た。ルーデンス伯爵も小さく頷き、シャルロッテは意を決して口を開く。


「陛下、わたくしは陛下のありがたい御心に大変感謝しております。謝罪も受け入れますので、何とぞそれ以上は……」

「シャルロッテ嬢は、すばらしいご令嬢だな。愚息にはもったいない。私の目が曇っていたようだ」

「そんな!もったいないお言葉でございます」


 国王陛下だけでなく宰相にも慈しむような目を向けられ、シャルロッテは顔がほんのり熱くなるのを感じた。父以外にほめられることはめったになかったので、うまく反応ができないでいる。


「こんなにもすばらしいシャルロッテ嬢を一方的に傷つけたユリウスは廃嫡とする。もちろん、婚約も王家の有責で白紙に戻そう。慰謝料も言い値で支払う」


 国王陛下からのありがたい申し出に、シャルロッテは思わず飛び上がりそうになった。婚約が白紙になるということは、シャルロッテの経歴に傷がつくことはない。次の婚約者を見つけることも難しくはないだろう。


「マルティアノ侯爵には、娘の監督不行き届きで半年間の登城禁止と謹慎を言い渡すつもりだ」


 宰相も当然だとばかりに頷いている。ユリウスだけでなく、浮気相手にまでしっかり罰が下ることを知り、不謹慎かもしれないが、シャルロッテは胸をなで下ろした。父がこの現王に忠誠を誓った意味が理解できたような気がする。


「どうだろうか?他に望みがあれば何でも言ってくれ」

「……シャルロッテ、私は、すべてお前の気持ちを優先するよ」


 父に手を握られ、シャルロッテは息を呑む。婚約期間中の苦しみや悔しさがゆっくりと溶けていくようだ。シャルロッテは少し考えたあと、ゆっくりと口を開いた。


「それでは恐れながら、一つお願いがございます」




 謁見の間には、国王陛下に王妃陛下、宰相のほか側近たちと、ルーデンス伯爵、シャルロッテ、それから不機嫌顔のユリウスが勢ぞろいしていた。これから、シャルロッテとユリウスの婚約についての話し合いが行われることになっている。マルティアノ侯爵父娘も、部屋のすみで青い顔をしてたたずんでいた。


「シャルロッテ・ルーデンス伯爵令嬢と、第五王子ユリウスの婚約は、国王である私の願いで結ばれた」


 国王陛下のお言葉に、ユリウスが一番驚いている。今の今まで、ルーデンス伯爵家が金の力で婚約を結んだと思っていたのだろう。


「お待ちください父上!この婚約は――」

「黙れ、ユリウス。貴様に発言を許した覚えはない」


 あまりの冷たい声にユリウスは怯む。


「にもかかわらず、ユリウスはこの婚約がルーデンス伯爵家の策謀と思い込み、シャルロッテ嬢を虐げただけでなく、マルティアノ侯爵令嬢と浮気をし、一方的に婚約破棄をつきつけた。……ここまでで、異論がある者はいるか?」

「父……陛下」


 気を取り直したユリウスが、懲りずに声をあげる。国王陛下はため息をつき、「発言を許可する」と短く言った。


「私はシャルロッテを虐げてなどおりません!」

「……夜会のエスコートを何度も拒否していたな?」

「そ、それは……シャルロッテが……」

「お前がここまで愚かだと見抜けなかった私にも責任はある。よってユリウス、お前を廃嫡とし、北の塔への幽閉を命じる」

「え……」


 ユリウスの顔が一瞬で絶望に染まる。夜会のときは醜くも生き生きとしていたのに、今や見る影もない。こんな男のために神経をすり減らしていたのかと思うと、あの日の自分を殴ってやりたいとシャルロッテは考えていた。


「しかし、だ。シャルロッテ嬢からある提案があるらしい」


 国王陛下に名を呼ばれ、シャルロッテはカーテシーを披露して一歩前に出る。ユリウスが情けない顔でシャルロッテを見ていた。


「はい。わたくしの条件をのんでいただけるのであれば、ユリウス様との婚約を継続したいと考えております」


 にっこりほほ笑むと、ユリウスがシャルロッテに近づいた。


「ああ……シャルロッテ!ありがとう、ありがとう!ぜひその条件をのむよ」

「あら、条件の内容をまだお話ししておりませんが」

「構わないとも!シャルロッテとまた婚約できるなら」


 廃嫡と言われたことがよっぽどこたえたらしい。廃嫡になるくらいなら伯爵家に下るほうがまだマシだ、と思っているのかもしれないが。


「そうですか。……陛下、ユリウス様が条件をおのみになるそうですので、婚約継続でわたくしは問題ございません」

「本当にいいんだな」


 国王陛下が少し悲しそうな目をする。しかしユリウスはそんなことにも気づかず、廃嫡をまぬがれたと有頂天だ。


「シャルロッテ、本当にありがとう。私の真実の愛は君だったんだ」


 ユリウスの手がシャルロッテに伸びる。シャルロッテは笑みをたたえたまま扇を取り出すと、ユリウスの手をぴしりとはたき落とした。


「触らないでいただけますか?あなたのような品性のない方に触れられるなんて、吐き気がします」

「え……」

「婚約継続の条件は二つです。一つ目は、ユリウス様をわたくしの第二の夫とすること。二つ目は、これまでユリウス様がわたくしにしてくださったことを今度はわたくしからお返しすること」

「第二……?お返し……?」


 ユリウスはわけがわからずぽかんとしている。そのアホ面に、ルーデンス伯爵が小さく吹き出したのがわかった。


「ユリウス様がどんなことをしてくださったかわたくしすべて覚えておりますので、しっかりお返しいたします」

「そんな横暴が……!」

「それが嫌なら廃嫡ですわ」


 シャルロッテの言葉に、ユリウスは黙り込む。


「せいぜい、わたくしの寵愛が得られるよう励んでくださいませ。卑劣で愚鈍なユリウス様」

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> こんなにもすばらしいシャルロッテ嬢を一方的に傷つけたユリウスは廃嫡とする。 > よってユリウス、お前を廃嫡とし、北の塔への幽閉を命じる 第五王子ですよね? 次期女伯爵の伴侶としての結婚ですよ…
大変興味深く読ませていただきました。 実は非常に王子様のことが好きなんだろうね。でも向こうがねじくれちゃったからこっちもねじくれちゃってしまったって感じかねえ。非常に愛してたから反動がものすごいとか…
人を呪わば穴二つ。 これが、本作の隠れテーマなのかなぁ。 「やり返す」のはざまぁの一形態なんだけど、同じレベルに堕ちるという事でもある。 廃嫡されたとは言え、王子を虐げる成金貴族の娘。 これから、そう…
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