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第3話: 眠らない日々

 私は三歳になった。


 赤ん坊だった頃に比べると、睡眠時間は格段に減った。以前は無理やり身体が休息を求めてきたが、今はそれもない。肉体的な限界が来ることもなく、数時間の仮眠程度で日々を過ごせるようになった。


 けれど、最近は「寝たフリ」をする時間が増えている。


 その理由は――両親の口論だった。


 私が覚えている限り、両親の間には常に緊張感があった。母親は私に向ける視線に怯えが混じっている。幼い私にもそれがはっきりと分かるほどだった。そして父親はというと、私の異常さをどう利用するかばかりを考えている。


 二人の言い争いは、私が物心ついた頃から日常の一部だった。


「普通の子供が欲しかったのに……どうして、こんな……!」


 母親の声は、怒りよりも悲しみに満ちている。彼女は父親に向かってそう叫ぶと、手で顔を覆い、泣き崩れる。彼女の涙を見て、私は何とも言えない気持ちになった。どうして泣いているのだろう? 私が普通でないから、こんなことが起きているのだろうか。彼女の泣き顔が、どこか私の心に深く突き刺さった。


「何を言ってるんだ、アオイは奇跡の子だ。彼女の存在が世間に知られれば、俺たちは莫大な金を手に入れられるんだぞ!」


 父親は拳をテーブルに叩きつけて反論する。その声には欲望が溢れている。私をただの「奇跡の子」としか見ていないことが、何故か胸に重く響いた。私は人形ではないし、道具でもない。私は――


「お前、もう一度言ってみろ!」と父が叫ぶ声に、私は思わず目を閉じてしまう。深く息を吸い込み、何も聞かないようにする。寝たフリをすることで、この現実から少しでも逃れようとした。けれど、耳に入ってくるその言葉は、次第に私を追い詰めていく。


「アオイはただの子供よ、何もわかってない……」


 母親の呟きが、どこかで引き裂かれるような感覚を与えた。その言葉に私は反応したかったが、どうすればいいのかがわからない。どうして、母親は私を「普通の子供」として扱おうとするのか。そして、どうして父親は、私をまるで商売道具のように考えているのか。


 父親の考えに反発することはできない。私はまだ三歳だ。それに、私はどこまで理解しているのかもわからない。ただ、彼らの間に生まれる「溝」を感じているだけだ。


 母親は私にとって、最も愛情深い存在だと思う。けれど、その愛情が重く、時に押しつぶされそうな気がする。私は普通の子供ではないとわかっているし、そのことを彼女も知っているはずだ。でも、母親が望む「普通」でいることが、私にとってどれほど苦痛か、彼女には伝わらない。


 その一方で、父親は「普通でない私」をどう利用しようとしているのか、私にはよくわからない。彼の言葉には力強さがあり、私を一つの資源として捉えている。私の存在が「奇跡」だというなら、そこに甘んじることなく、何かを掴まなければならないというプレッシャーが押し寄せてくる。


 今日も、私は寝たフリをしている。


 部屋のドアの隙間から聞こえてくる両親の言い争いを耳にしながら、目を閉じて静かに息を整える。母親が涙を流し、父親が荒げた声で彼女を追い詰めていく。どちらも大切な存在で、どちらの言い分にも一理あるのは分かっている。だけど、私にできることは何もない。


「研究所の提案を受け入れるべきだ。アオイの異常さを世間に示せば、俺たちの名前は歴史に残るんだ!」


「そんなことのために、あの子を実験台にするつもり!?私は反対よ!」


 父親と母親の声が交錯する。母親の叫び声が途切れ、父親の声だけが続いている。その内容を聞きながら、私は胸の奥に苦いものが広がるのを感じた。私はただの子供で、何もできないはずなのに、どうしてこんなにも二人の心の中に迷いが生まれているのだろう?


 私が父親の期待に応えるつもりがないことは、彼には伝わっていないようだ。彼が思い描いている「成功」の道を歩むつもりなど、これっぽっちもない。私は普通でありたい、ただそれだけだ。


 そして母親が私を「普通の子供」であるかのように扱いたがっていることも、私はわかっている。けれども、普通の子供であるふりをするのは思った以上に骨が折れる。私にはその道を歩むことができるだろうか?


 私が母親に向ける不安な気持ちを、彼女は受け止めてくれるだろうか。父親の期待に応えることを選ばなかった私は、母親からも見放されるのだろうか。そんな不安が心を占める。


 ふと、私は目を開けた。


 両親の声が聞こえなくなったことに気づいたからだ。


 おそらく母親が涙を流しながら部屋を飛び出し、父親は苛立ちながら酒をあおる――いつもの光景だろう。


 私はそっと布団から這い出し、窓の外を眺めた。


 夜の静寂が広がっている。こんな夜は、何かが変わる前触れのように思える。けれど、それが何なのかは、まだ私にはわからなかった。


 どこかで、両親の声が私に聞こえないように、私も自分の心の中で何かを決めなければならないのだと感じる。答えはすぐには出せないけれど、少なくとも、私は自分がどちらにも振り回されることなく、何かを選ばなければならないことを強く感じていた。

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