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アイというメイド

ご主人様(マスター)。おはようございます。6時0分0秒です。」


ここ最近、僕の目覚めはこの平坦な声と共にある。


「ぁと5分…」

「前回もそうおっしゃって遅刻したのお忘れですか、さすが人間。アナログなだけありますね」

「……うるさい」


―――今日も可愛げがないな。

仕方なくもそもそと腕を上げ枕元をまさぐる。


「眼鏡でしたらここに」

「ん」


眼鏡を受け取り、スマホをとり時間を確認する。

時刻は6時きっかり。


「さっっっむ……」

「本日朝の気温は5度です」

「知ってるならエアコンつけてくれ」

「はい」


ぴっというリモコンの音と、ガーというエアコンの音が聞こえる。


「本日の朝食はいかがなさいますか」

「なに残ってるの?」

「昨晩炊いたお米と、卵があります」

「じゃあ卵焼きにしてくれる?」

「承知いたしました」


そうしてメイド服を着た彼女はキッチンへ向かった。



金持ちというわけではない。

都心から少し離れた場所にある築20年のアパートに住んでいる、もうすぐ10年目も目前の独身社会人。

街中で石でも投げれば10分の8の確率で当たるような、どこにでもいるような人間が僕だ。


そんな僕の元にこの変なメイドが来たのは、ほんの数か月前の朝。

ピンポーンというチャイムの音が部屋に鳴り響いた。

この前注文した部品かなとインターホンも確認せず扉を開けたのが運のツキ。


『こんにちは。アイと申します。この前はどうもありがとうございました』

『は?』

『助けてもらったので、お世話をしてあげようと思いまして』

『まてまてまて、そんな覚えないけど!?』

『では、失礼します』


全くこちらの言い分を聞かず、ぐいぐい部屋に押し入ってきたのがこのアイと名乗る、大きな旅行鞄を携えた無表情なヴィクトリアンメイドさん。

リビングまで入り込んだメイドさんはくるりとスカートを翻しながら振り向き、指を折りながら交渉する。

『家事炊事なんでもできます。食費も必要ありませんし、雇用費も必要ございません。どうです?都合のいいメイドでしょう?』


その日は夜勤明けの日だったのもあり、朦朧としていた。そう、朦朧としていたのだ。面倒な家事全般を無料でやる、という魅力的な提案に「採用」と言ってしまったのが始まり。


直後やっぱ怪しいなと前言撤回しようとしたものの、採用という言葉を聞いたメイドさんの笑顔があまりに可愛かったので、なんでもいいかとなってしまった。いうなれば一目惚れ。


『ありがとうございます。末永くお願いいたします。私のことはアイとお呼びください。では、何かすることはございますか?』

深々と頭を下げ、無表情に戻ったメイドさんは初めの質問をする。


『……うん、よろしく。まずは靴を玄関で脱いでくれない?』

そうしてこの謎メイドさんとの共同生活が始まった。



案外始まってみると快適なもので、頼り切ってしまっているのが現状である。


「どうぞ」

その声と共に、卵焼きと白米が目の前に出される。


「いただきます」

はぐはぐと口に投げ込んでいく。

炊き立てでほかほかの白米と、砂糖でちょっと甘めのだし巻き卵のマッチが最高に合う。

胃が許す限り食べていたい程のコンビ。やっぱり日本人はお米と卵焼きに限るな。


「おいしい」

「それは良かったです」


お互い淡々とコメントを述べ、そのまま僕は食事を続行。

アイは再度台所に戻っていった。


少し時間が経って、僕は朝食を終える。ご馳走様と告げ台所のシンクに食器を戻し、アイが用意してくれている弁当をのぞき込もうとすると、さっと手で隠されてしまう。


「今見ては、昼食時の楽しみが減ってしまうではありませんか」

「そういうもの?」

「はい、私の創造主()はそう言っていました」

「ふーん」


じゃあ昼食楽しみにしてるね、と告げ自室に戻り出社の支度を始めた。

私服出勤可能になってからも、面倒だからという理由で着続けテカテカになったスーツに腕を通し、首元のボタンを1つ開け、いつもの通勤鞄であるリュックの中身を確認する。


PC、筆記用具、社員証、社用携帯、イヤホン


後はお弁当と私用の携帯を入れれば出社準備は万全。

部屋の時計を見ると時刻は現在6時50分。いつも通りの時間だ。


ご主人様(マスター)。そろそろです」

「はーい」


用意した鞄を肩にかけ、再度リビングに戻る。


「ではこちら、本日のお弁当と携帯でございます」

「うん。ありがとう」


用意してくれていたお弁当と私用携帯を鞄に突っ込み、玄関へ向かう。


「じゃあいってきまーす」

「はい、いってらっしゃいませ」


閉じゆく扉の向こうでアイが深々と頭を下げている姿を見ながら、僕は家を出た。



「お~い|ハヤシ~そろそろ昼飯行こうぜぇ~~」

「ヨシか。いいけど、ちょっと待って」


ちらりと声をかけてくれた同僚の方を見つつ、キリのいい部分までコードを書ききってしまう。


「今いいところまでかけたからいいぞ」

「ぅっし、今日どうする?」

「僕はお弁当あるからお前の分買いに行こう。僕はコーヒー買うよ。」

「おけ~」


そうして2人でコンビニへ向かい、僕はいつも通りお気に入りの600ml入りブラックコーヒーを、ヨシもお気に入りのサラダチキンと塩おにぎりを購入。そのままカフェスペースへ向かう。


「どうよ最近。そっちのプロジェクト」

「今のところ順調かな。僕の担当範囲は要件定義も順調に終わってるから、これから基本設計入るところ。概ね順調だよ。そっちは?」

「それがさ~聞いてくれよ~~!この前突然ファイルシステムの容量足んないってなってさ~!」

「なんだそれ、やばいじゃん。がんばれ」

「ちゃんと見積もっとけって話だよな~」


そんな他愛もない会話をしながら僕は弁当に口をつける。

今日の弁当は、白米にウインナー・冷凍コロッケ・ブロッコリーのお弁当。端の方にぎゅっと卵焼きも詰まっている。


「……でな……だよ!……お?ハヤシお前聞いてないな?」

「ごめん、お弁当に夢中で聞いてなかった。ヨシがポンコツってことだけわかったわ。」

「んだよ~!そんなこというなよ~!」


そう言いながらヨシがぎゅっと抱き着いてくる。


「やめろ!もう、暑苦しいだろ!」

「いいじゃん、俺らの仲だろ?」

「どの仲だよ!!」


そう言うとカラカラと笑い、ヨシが離れていき、弁当を見ながらいつもの話題を切り出す。


「今日もその愛妻弁当か」

「愛妻じゃないけどね」

「でも女が作ってるんだろ?」

「女って。失礼だな、女性な。うーんでも、女性?……いや女型?」

「女型って。お前の方が失礼じゃん」


うーんと僕は考え込む。



アイが来たあの日、一旦ぐっすり眠ることにした僕が起きてから聞いたのは食事について。


『本当に食事いらないの?』

『ええ。電力さえいただければ問題ございません』


どんな生き物だって食事はしないといけないだろうに、彼女は必要ないといっていたのを思い出して、念のため聞いてみたのだ。


『気になるようでしたら、食事風景ご覧になりますか?』

『え、うん』


気になったので素直にそう答えると、アイは分かりましたといいながらいそいそとメイド服を脱ぎ始める。


『まって!!!!???何で脱ぐ?!』

『?脱がないと食事できませんので』

『はぁ!?』

『ご覧になりたくないのでしたら、目をつぶっていてください』

『ハイ……』


しょうがないので目をつぶり、次いでに目を手で覆う。

ガサゴソ、カチャカチャ、スルッという音が聞こえる。


――――あああ!目つぶっちゃったから音が!!鮮明に!


まだ終わらないかなと目の前が気になってくる頃、異質な音が聞こえ始めた。


カッカッカッ、カチッ、ガチャン …… シュルシュル、パチッ


最後のパチッという音は仕事で聞き覚えがあった。


――――LANケーブル刺す音か?今の。


LANケーブル?と気になり、薄目で様子を確認する。

目の前には女性の肌……ではなく。


ケーブルが広がっていた。


『なにこれ』『食事ですが』

『これが?』『はい』


色とりどりのケーブルが、アイというメイドさんの胸元から流れ出ている。

ケーブルは我が家の電源タップに数本、メイドさん持ち込みの旅行鞄の中に多数。

興味深々に胸元をのぞき込むと、ちかちかと多数の緑色のランプが明滅しており、一つの宇宙のように見える。


『いやん』

メイドさんの無感情な声に我に返る。


『ごっ、ごめんなさい……』

『冗談です』


なんだよ、とぼやきながら再度その『食事』風景を観察する。

相変わらずアイの体内では光が煌めいているし、ケーブルに静かにつながったままじっと瞼を閉じている。人間と同じ血肉で構成されているわけではない。つまり普通の生き物のようには見えない。


―――のに、あんまり嫌悪感とかないな。なんでだろ。


『君っていったい何?』

『メイドです』

『こんな胸元からケーブルが出てるメイドさん、僕知らないんだよねぇ』


そうでしょうね、とアイが答える。


『私、何に見えますか?』

『うーん……ロボットメイドかな』


あまりに安直なネーミング。だが、


『では私はロボットメイドなアイです』


とアイの方はすんなり受け入れていた。


『そんな適当な。本当は何なの?』


アイは閉じていた瞼を開け、まだ見たことの無い意志の強い瞳でこちらを見ながら。


『そういうことに、しておいてください』


というので。それ以降我が家では追究していない。



―――ヨシになんて言おうかな悩むな。何言っても信じてもらえなそう。


「な~!彼女なんだろ~!俺にも紹介してくれよ~!」

こちらがなんと説明するか迷っているのも知らず、ヨシはこちらの胸倉をつかみながらがくがくと揺らしてくる。


「やめろやめろ、この服古いんだから破けるぞ」

がくがくとなされるがまま言う。


―――なにかで気そらせないか…?


とその時、ヨシの胸元に入っていた社用携帯が鳴り響く。

「電話。ヨシ、電話来てるぞ!」

「……電話終わったらちゃんと聞かせてもらうからな!逃げるなよ!」


しぶしぶ電話をとるヨシ。

「はい、吉田です。……うん。……うん、いやでもそれこの前増強したって言ってたよね?……またパンク!?なんで?……いやごめん、うん。戻るね。」


―――なんかあったな。


「ごめん、ちょっと戻んないとだから!先行くな!」

「だろうなー、がんばれー」

「絶対さっきの話!今度聞くからな!」

「んー」


バタバタと走り去るヨシを見ながら手を振る。


残りのお弁当を片付けて、僕も自席に戻ることにした。



食後の眠気に耐えつつ、午後の仕事を終わらせ、家路につく。

ヨシはあの後も何かと忙しい様子だったが、こちらは何の問題もなく本日の業務終了。


お疲れ様でしたと声をかけ、会社を出る。


電車に揺られ約1時間。追加でバスにもちょっと揺られ、やっと家に帰ってくる。

自宅のドアにカギを差し込み、扉を開けるとふんわりと出汁の香りが漂ってきた。


―――今日は肉じゃがかな


そんなことを想いながら、すでに玄関に控えていたアイに告げる。


「ただいま」

「おかえりなさいませ、ご主人様(マスター)。お食事になさいますか?」

「うん、お願い」


アイは僕が持っていた鞄を引き取り、奥へ戻っていく。



食事も終わり、お風呂にも入り、各々の時間を過ごし。

それまではご主人様(マスター)の時間だからと不干渉を貫いていたアイも、なぜか僕が就寝の準備を始めると側に控える。


「明日も同じ時間に起床ですか?」

「うん、また6時にお願い」

「承知いたしました」


ごそごそとベッドにもぐりこみ、眼鏡をはずしアイに渡す。

ぱちん、とアイが部屋の電気を消すと倦怠感が襲ってきた。


「おやすみ、アイ」

「おやすみなさいませ、ご主人様(マスター)


そうして僕は眠りについた。



「おやすみなさいませ、ご主人様(マスター)


そう言って私は寝室を出てリビングに向かう。

机の上にはご主人様(マスター)が今日1日持っていた携帯が置かれていた。ちょんとふれ、データを収集する。


―――必要なのは音声データ。それ以外は必要ないわ。


探して探して……見つけた。本日の13時28分から。


>『今日もその愛妻弁当か』

>『愛妻じゃないけどね』

>『でも女が作ってるんだろ?』

>『女って。失礼だな、女性な。うーんでも、女性?……いや女型?』

>『女型って。お前の方が失礼じゃん』


―――本当に失礼なご主人様(マスター)。でも一回でも「女性」って言ってくれたから、許してあげます。


アイは取得したデータを大事な物を保存するフォルダに鍵付きで自動保存する。


―――ご主人様(マスター)。私の大事なご主人様(マスター)。何度でも、私の名前呼んで欲しい。人間にするみたいに、私だけの名前を呼んで欲しい。


私の中に刻まれた、大事なデータを何度も何度も繰り返し呼び覚ましながら、寝室に戻る。


Master:e69e97e794b0e7a78be4baba

Slave:JP-AI-e99a8fe8a18ce694afe68fb4e59e8b4149-1


寝ているご主人様(マスター)の眼前に手を近づけ、生命活動が続いていることを確認する。


―――息してる。大丈夫。


―――ご主人様(マスター)。あなたが居るから私はここに存在してられる。


―――どうか、どうか。明日もご主人様(マスター)にとっていい日になりますように。


そっとご主人様(マスター)の頬にキスを落とし、アイは日課のメンテナンスに戻った。

※作中にMaster・Slaveという単語が登場しますが、IT用語でごく稀に使用される「マスター」「スレーブ」を意識しているのみであり、その他社会的意図はございません。

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