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苦手な方はご注意ください。

精霊の愛し子の真実

作者: 昼型熊

2作目になります。

異世界の悪役令嬢物っぽいですが、ちょっと毛色が違う感じになります。

よろしくお願いします。


誤字報告、ありがとうございました。

非常に助かります。

 リーンベルは幸せだった。

とある王国の公爵家に生を受け、父と母、兄に囲まれすくすくと育って行った。

そんな彼女の運命が一変したのは、妹が産まれてからである。

それまで蝶と花よと育てられていたが、妹が産まれてからは、父母と兄、公爵家に仕える使用人に至るまで皆、妹に夢中になりリーンベルに対して見向きもしなくなった。


 そんな寂しい思いをする彼女には、一つの秘密があった。

彼女はこの世界に存在する、精霊の声を聞く事が出来たのだった。

精霊との語らいは、彼女の心の支えだった。

しかし精霊は彼女以外認識できないため、いくら彼女が精霊の事を話そうとも、誰一人として彼女の言う事を信用しなかった。


 暗い部屋の中で家族に顧みられていないリーンベルは、常にずっと傍にいてくれた精霊達に慰められていた。

精霊達はいつもリーンベルに優しかった。


「本当に辛いなら、ボク達の国においでよ!」


「ボク達はずっとベルの事を大切に想ってるからね!」


 そう言って慰めてくれる精霊達の存在が、彼女にとって救いであった。


 そんなリーンベルも成長し、公爵令嬢という立場もあって、王国の第一王子との婚約を結ぶことになった。

第一王子は、公爵家の家族と違い、リーンベルをとても気遣った。

その美貌と優しさに、リーンベルは貴族としての義務感とは別に、第一王子に恋をした。

2人は仲睦まじく、いずれこの国を背負う者達として周囲に祝福されながら、共に歩んでいった。


 だが、その関係も破綻する事になる。

王国の学園に、リーンベルの妹である、ルナーリアが入学した事によって。

ルナーリアは、美貌のリーンベルとはまた違った魅力を持ち、守ってあげたいような、庇護欲をそそるとても愛らしい少女であった。

公爵令嬢としての礼儀や成績も優秀で、学園の生徒会に入り、第一王子やその側近達とも交流を深めていった。

そして、僅か半年も経たないうちに、第一王子達はルナーリアに傾倒していった。


 行動する時は常にルナーリアを伴い、婚約者であるリーンベルとの交流がお座なりになっていった。

それ等の事について、リーンベルが苦言を呈すも、全く相手にされず、あまつさえ父母や兄、そして王家ですら容認するようになっていった。

徐々に居場所を奪われていく事に、日々消耗していくリーンベル。

彼女を支えているのは、常に優しい精霊達だけだった。


 そして、卒業式の日に遂にそれは起こった。


「私はリーンベル公爵令嬢との婚約を破棄し、新たにルナーリアと婚姻を結ぶ!」


 式の最中、突然の婚約破棄である。

第一王子の宣言を受け、リーンベルは膝から崩れ落ちそうになった。

まさかこのタイミングでこの様な事をするはずは無いだろうという事と、卒業すればまた以前のような関係に戻れるだろうという希望的観測が粉々に砕かれたからだ。

公衆の面前、それも学園の卒業式という場での婚約破棄宣言。

もはや、どう言い繕った所でどうしようも無くなった瞬間であった。


「可哀相なリーンベル……。。私が君を救おう!」


 突如会場中に声が響き渡った。

女性とも男性とも判断が付かない、だが聞く者の耳朶を蕩けさせるような蠱惑的な声だった。


 眩しい光と七色に輝く花弁が舞い散る中、現れた。

視界に入った瞬間、魂すら吸い込まれそうな美貌と、他を遥かに凌駕する圧倒的存在感。

神にも等しいその存在に、誰もが平伏した。

ただ一人を除いて。


 一人呆然と立ち尽くす女性……リーンベルの前にその存在は立ち、彼女の手を取り告げた。


「我は精霊王、ルーフ・エトルリア。我が愛し子よ。迎えに来たよ」


 精霊王……この世界を形作ったと言われる伝説の存在。

そのような途方もない存在の登場に、会場は騒めいた。

そこにいる者は本能的に理解した。

彼は本物であると。


 精霊の声を聞けるリーンベルは直ぐに理解した。

目の前の彼が常に自分を見守っていてくれた事に。

そして全てを受け入れた。

自分を顧みないこの世界に見切りを付け、迎えに来たと言ってくれた精霊王の手を、取った。


 彼女の手を取った精霊王は満足げな笑みを浮かべ、魔法を発動させた。

この世界とは別の所に存在する、精霊界への転移魔法だ。

別れの挨拶も何も無く、リーンベルは精霊王と共に、この世界から消え去った。


 あっという間の出来事に、会場の多くの人間は圧倒されていた。

そんな中、一部の者達が慟哭とも言える叫び声を上げていた。




 精霊王、ルーフ・エトルリアは心底愉快であった。

やっと、愛し子を手に入れる事が出来たからだ。


 精霊の愛し子……それは古より人間の中から生まれる、精霊達の御馳走と言える魔力を持った者を指す。

その魔力は正に甘露と言える極上の代物で、人間で言えば最高級の嗜好品と言った所である。

ルーフはリーンベルを初めて見た時、絶対に手に入れると心に決めていた。

その為に、あらゆる努力を惜しまなかった。


 まず、産まれて直ぐに手に入れる事を我慢した。

精霊の中には、愛し子が生まれて直ぐに手元に拉致してしまう者が出て来るが、それは悪手であった。

人間の赤ん坊では直ぐに死んでしまうからだ。

長持ちさせる為には、ある程度育つまで待たなくてはならないのだ。

我慢できずに、幼い内に拉致する者も出て来るが、結局はすぐに死んでしまう。

幼いが故に死に易いという事もあるが、故郷の家族を想い、衰弱してしまう例が後を絶たないという事もある。

折角成長しても、故郷に強い未練を持っていると、愛し子は簡単に自死を選んでしまうのだ。

だからこそ、愛し子が肉体的にも精神的にも長持ちする程度に成長を待ち、更に故郷への未練を無くす事も重要であった。


 ルーフはリーンベルの家族に呪いを掛けた。

それは好意や愛情を別の所に誘導させる呪いだ。

ルーフはリーンベルが本来受けるべき、家族の愛情を妹の方へ向けるように細工した。

余りやり過ぎるとリーンベルに危害を加えられる可能性もあるので、成長に害が出ない程度の調整をした。

婚約者たる第一王子の存在は業腹であったが、リーンベルが世界への未練を断ち切れるよう敢えて見逃した。

彼等が仲睦まじくなればなるほど、その後の反動が多くなることを理解してたからだ。

そして時が経ち、舞台が整った所で、第一王子や学園にいる多くの人間に呪いを掛けた。


 リーンベルが心を壊さない様、自ら彼女の心を慰め、彼女の心の安定の為に努力した。

全ては自作自演だった。


 元の世界への未練を全て断ち切り、精霊たる自分に全幅の信頼と愛情を寄せるリーンベル。

ルーフは笑いが止まらなかった。




 彼等は絶望していた。

公爵家の家族はリーンベルを愛していた。

父も母も兄も妹も。

だが、何故かそれを表に出すことが出来なかった。

父は彼女を褒めてあげたかった。

母は彼女を抱きしめたかった。

兄は彼女を認めてあげたかった。

妹は彼女を敬愛したかった。

そう思っていたのにも関わらず、彼女に対して何もしてあげられなかった。


 彼女の言う事を信じなかった。

彼女が得るべきものを十分に与えることが出来なかった。

彼女の大切な存在を奪ってしまった。


 そんな気はサラサラ無かったのにも関わらずに、だ。


 第一王子は嘆き悲しんだ。

大切な存在だったのに……。

何故自分は彼女を捨て妹を選んだのか?

これまで一緒にいた時間と、その想いに嘘なんか無かったのに。


 彼等には分からない。

自分達の心が、力を持った身勝手な存在によって歪められていた事に。




 リーンベルは幸せだった。

あの婚約破棄より数十年が経った今も、一年中常春の様な精霊界で穏やかに暮らしていた。

艶やかな金色の髪に白が交ざり、珠のような肌に少しばかりの皺が出て来ていたが、それでも実年齢を考えれば美しく老いていた。

そろそろ体の衰えを実感する頃であったが、愛しい精霊達に囲まれこのまま人生を終わらせるのも悪くないと、全てを受け入れようとしていた。

そんなある日、リーンベルは絶望の淵に立たされることになった。


 「……それは、どういう事ですか? ルーフ様……」


 震える声で精霊王に問うリーンベル。


 「随分と長い事、この世界に君を留めていたからね。だから君を、元の世界に帰してあげるんだよ」 


 元の世界へ帰す……それはリーンベルにとって死刑宣告に近い発言であった

家族は元より、婚約者であった男にすら見捨てられたリーンベルに、今更帰る所など無く、この精霊界こそが終の棲家であった。

だというのに、元の世界へ帰すなど言われても、リーンベルには受け入れられない話であった。

自分は精霊王にさえ、見捨てられるような粗相をしてしまったのか?

混乱するリーンベルだが、彼女には一切非は無かった。


 単純に、精霊王が彼女に飽きた、唯それだけの話である。

如何に極上の美味たる魔力とは言え、数十年も摂取していればそれなりに飽きる。

加齢や長年の搾取による肉体の衰え、それによっての魔力の劣化も理由に挙げられる。

そして何より、リーンベルの祖国に新たな愛し子が生まれた事により、精霊王の興味がそこに移った事も原因である。

身勝手な理由で精霊界へ連れ込まれたリーンベルは、またしても身勝手な理由で精霊界から放逐される事になったのだった。


 リーンベルの不幸は、精霊の愛し子として生まれた上に、公爵令嬢としても生まれた事に起因する。

愛し子は平民、貴族関係なく生まれる。

基本的に愛し子は短命である。

その理由は常に魔力を精霊に搾取されるからである。

赤子や幼子の内に亡くなる例もあるが、十分に成長しても、数年から持って十年程度で魔力……その源泉である命その物が吸い尽くされるからだ。

だが、公爵令嬢として類まれな魔力を持って生まれた為、リーンベルは例外的に数十年の歳月を生きる事が出来ていたのだ。

他の愛し子のように、長くても十年程度の生であるならば、夢心地のまま逝けたであろうに、彼女は長く生き延びる事が出来てしまっていたのだ。


 新しい愛し子の誕生が、リーンベルの寿命が尽きるまで起きなければ、最後まで精霊王は彼女を手元に置いておいたかもしれない。

尤も、それについては五分五分であったが。


 精霊は基本的に飽きっぽい。

かつて他の精霊によって連れ去られた愛し子の中に、それなりに長い年月を生きた者もいた。

精霊なりにその者達は大切にされていたが、飽きてしまった結果、愛し子達は元の世界に放逐された。

殆どの者は、精霊に捨てられた事によるショックで心身を病み、発狂した挙句に自ら命を絶つか、戻された場所(大抵は森)に住む魔獣によって命を奪われる事になる。

それでも何とか生き延びる者達がいる。

稀にリーンベルの世界で発見される、迷い人と呼ばれる者達である。

尤も生き延びた者達も、寿命が尽きる寸前であり、発見されて間もなく死亡してしまうが。


 リーンベルが気付いた時、彼女は昏い森の中にいた。

彼女は絶望した。

嘗て全てに見捨てられ、唯一彼女を愛してくれた精霊王からも捨てられた。

もはや彼女には一切の希望が無くなってしまった。

淑女としての品位も何もかも捨て、狂ったように嗤う。

彼女の声を聞いて近づいた魔獣が、彼女を餌として認識した。

魔獣が口を開け、彼女に襲い掛かる。

リーンベルは黙り、自身の最期を受け入れたその時だった。


 凄まじい轟音が森の中に鳴り響いた。

それと同時に魔獣が倒れ伏す。

突然の事態に呆然とするリーンベルの前に、騎士と思われる集団がやって来た。


「お怪我はございませんか? ご婦人」


 騎士の集団から一人の男がリーンベルに声を掛ける。

兜を取ったその騎士の顔を見て、リーンベルは驚愕した。

その騎士の顔は、嘗ての婚約者その物であった。

リーンベルにとっての忌まわしい過去と、現状の自身に起こった出来事、それら全てが絡み合った結果、リーンベルは意識を失ったのだった。


 フロント・ガディアは辺境伯の長子として生まれた。

母は王家より降嫁した現王の妹に当たる。

嘗て悲劇を起こした、祖父である前王にとても良く似た顔立ちをした彼は、幼少よりその話を常に聞かされていた。

悪鬼の王の策略により奪われた、祖母の姉の話だ。

話と共に、大伯母の姿絵も良く見ていた。

成長した彼は、辺境伯を継ぐ者として、魔の森と呼ばれる魔獣が跋扈する森で、魔獣の間引き業務を行っていた。

魔獣は放っておくと大繁殖し、人里に降りてくる恐れがあるからだ。

辺境伯は、隣国との国境線を守る他に、魔獣の増加を抑制する役目を背負っていた。


 今日もまた、何時も通り魔獣の間引きを行っていた所、女性の声と思われる物が聞こえた。

大急ぎでその場に向かった所、女性が魔獣に襲われていた。

咄嗟に銃を抜き、魔獣を仕留めた。

そして安全確認の為、女性に声を掛けた。

そして驚愕した。

その女性は、過去何度も見て来た大伯母の姿絵……その面影を残す女性であったからだ。

その女性も、自身の顔を見て驚愕の表情となった。

すぐさま、意識を失ってしまったが、フロントは確信に近い何かを得ていた。

彼は女性を抱え、大至急屋敷へと向かった。

出来得る限りの最高級の待遇と、医師や薬師の手配を行い、王宮への報告も速達で送った。


 リーンベルが目覚めると、そこは何時もの花に囲まれた精霊界のそれではなく、どこか懐かしい天井が目に映った。

柔らかなベッドと、周りを囲む調度品は昔の、まだ公爵令嬢であった頃に身の回りにあったそれと似ていた。

目覚めたばかりで意識がまだハッキリしていなかったが、此処は間違いなく精霊界で無い事は理解した。

ある程度時間も経ち、完全に目が覚めたリーンベルは現状の把握に努めた。

此処は貴族の、それもかなりの高位の位置に立つ者の屋敷であると理解した。

本来であるならば、もっと取り乱していたところだったが、森の中で思いっきり泣き叫んだ事で、ある程度発散出来た為か、リーンベルは幾らかの冷静さを取り戻していた。


 ノックの音がし、メイドが部屋の中に入って来た。

そして目覚めたリーンベルを確認し、一瞬驚愕に目を開くも、直ぐに冷静さを取り戻し、淀みなく挨拶をする。

その後、テキパキとメイドとしての作業を行い、着替えと食事の準備まで行った。

リーンベルにとっては久しぶりの人間の食事だった。

精霊界の食事はそこに咲いている花の蜜であった。

人間界でいう所の完全栄養食であったので、リーンベルは蜜だけで精霊界で過ごせていた。


 出て来た料理は、現代でいう所の病院食に近い、スープに柔らかく煮込んだ具材、パン粥のような消化に良く、また味の濃すぎない物であった。

長年花の蜜で過ごしていたリーンベルにとっては、負担なく食べれる代物であり、この点で非常に助かっていた。

久しぶりの人間界の食事を終え、一息ついた所で、主が面会を求めている事を告げられた。

リーンベルも思う所があったが、今の状況では断る事も出来ないし、知りたい事もあるので、面会を了承した。


 現れたのは壮年の男性と、森で遭った元婚約者に良く似た風貌の青年であった。


「初めましてご婦人。私はタークス・ガディア。この国の辺境伯を任せられている者です。そしてこちらは我が息子で、フロントと申します」


 貴族らしく礼儀正しい挨拶だった。

精霊界では精霊達は皆、フレンドリーだったので、こういった挨拶はちょっと久しぶりであった。

リーンベルは少しばかり逡巡したが、嘗てその身に刻み込んだ、貴族令嬢としての見事なカーテシーで挨拶した。

但し、貴族としての家名は名乗らずに、名前だけを名乗るに留めた。

だが、リーンベルの名を聞いたタークス達は驚くと同時に、納得をしたようだった。


「やはり……貴女は彼の御令嬢であられたか……」 


 得心がいったと言う2人に対して、リーンベルは少し困惑した。

あれから数十年の歳月が経っていたが、どうやら嘗ての公爵令嬢であった自分の名は、まだ世間からは消えていなかったという事かと。

それもそうだろう。

何せ学園の卒業式という大舞台で、当時の第一王子に婚約破棄をされた令嬢なのだから。

今も社交界で物笑いの種になっていても不思議ではない。

それが今になって現れたのだ。

大方、精霊王にすら見捨てられた女と思われたのだろう。

そう思い、暗澹たる気持ちとなったリーンベルに、2人の男は傅いた。

そして2人とも大粒の涙を流し、


「よくぞ……よくぞ生きておられましたッッッ……」


 と、リーンベルに感極まった声を上げていた。

男泣きをする2人の美丈夫の姿に、先程までのリーンベルの昏い気持ちが吹き飛んだ。


「お騒がせして、申し訳ありません」


 深々とお辞儀をし、リーンベルに謝る2人の男達。


「いえ……その、大丈夫ですわ。お気になさらずに。それよりも、一体これはどういうことなのでしょうか?」


 先程までの泣きたい気持ちは、2人の男泣きの姿に跡形もなく吹き飛び、却って冷静になったリーンベルは事のあらましを聞いてみた。


「そうですね……ではまず、リーンベル様は……精霊の愛し子については御存じですか?」


 精霊の愛し子については、精霊達からその名の通り、精霊に愛された者であると聞き及んでいた。


「……精霊の愛し子とは、乱暴な言葉で言うならば、あの悪鬼共……もとい、精霊共の餌なのです……」


 非常に言い辛そうに、タークスは愛し子を語った。

餌……リーンベルにとってはあまりにあんまりな言葉であるが、精霊王の飽きたという言葉を鑑みるに、正にその通りなのだろう。

リーンベルという餌の味に飽きた結果、捨てられたのだ。

眩暈さえ起こしそうなリーンベルだったが、踏み止まり、タークスの言葉を待った。

そして彼女は知った。

あの婚約破棄までの間に何が起こり、そしてその後に何が起きたかを。


 ファーク王国第一王子、ヴィクム・ファークは嘆き悲しんだ。

彼は婚約者である、リーンベルをとても大切に想っていた。

家族からあまり顧みられない彼女を守り、生涯の伴侶として共に生きようと思っていた。

彼女との時間を大切にし、学園卒業後には妻として迎え入れる準備もしていた。

それなのに何故ああなったか、彼には分らなかった。


 学園の最終学年となったその年に、リーンベルの妹であるルナーリアが入学した事で全てが変わった。

ヴィクムはルナーリアに対しては、婚約者の妹以外の感情を持っていなかった。

むしろ、リーンベルを押しのけて家族の寵愛を受けるルナーリアに対しては、苦手意識すらあったかもしれない。

だが、彼女がその優秀な成績で、学園を運営するにあたって、成績優秀者が集う生徒会に入った事で状況が一変した。

それまで、リーンベルに忠誠を尽くしていた、莫逆の友である側近達が挙ってルナーリアに熱を上げていた。

そして、いつの間にか自分自身も、ルナーリアを意識するようになっていた。

リーンベルという立派な婚約者がいるにも拘らず、ルナーリアへの恋慕の情が大きくなっているのが分かった。

側近達がルナーリアと親しくなっている事に、焦りと嫉妬が生まれた。

ルナーリアに傾倒する程に、リーンベルへの気持ちが減っていく事を自覚していく。

リーンベルの忠言すら、煩わしくなっていった。

心の奥底でおかしい、こんなはずじゃなかったと警笛が鳴らされるが、自分ではもう止まれなかった。


 ルナーリア・サークフィスは姉を敬愛していた。

両親や兄はあまり姉と接触する事を好まなかったようだが、第一王子の婚約者として美しく聡明な姉はルナーリアの憧れであった。

第一王子とのお茶会で、2人が寄り添う姿は、ルナーリアにとって尊い理想のカップルであった。

ルナーリアにとって第一王子はあくまで姉の婚約者であり、憧れはあれど、異性としては全く意識をしていなかった。

それが狂ったのは、何時からだろうか?


 学園に入学したルナーリアは、優等生として学園の生徒会入りを果たした。

彼女にとっては生徒会は憧れの姉と同じ活動ができる場であり、未来の王の義理の妹として恥ずかしくない様に自分を高める為の場に過ぎなかった。

それがいつの間にかルナーリアのハーレムのようになっていた。

そして、そのハーレムメンバーに、あろうことか第一王子が加わっていた。


 明らかな異常事態であった。

そしてこれは家の中での出来事に酷似していた。

両親と兄が、自分一人に愛情を掛けるように、生徒会、いや学園全体がルナーリアを肯定していた。

ルナーリアは、この異常な状態を認識していた。

だが、何故かそれを普通に受け止めてしまった。

本来ならば、これはおかしい、異常だ、在り得ないと否定すべきなのに。

理性ではそれを理解しながら、平然と姉を裏切り第一王子と添い遂げる自分の所業をルナーリアは受け入れていた。


 そして運命のあの日、精霊王を名乗る悪鬼によってリーンベルが連れ去られた時、全ての呪いが解かれた。

卒業式の会場のみならず、学園にいた多くの者が嘆き悲しんだ。

特にリーンベルの家族と、第一王子の憔悴は酷い物だった。


 それから今回の一件を、過去まで遡り調査をした結果、公爵家と王家、並びに学園に通っていた多くの者達が何かしらの処置を受けていた事が分かった。

とは言え、その詳細については分かっていない。

状況的に異常であり、違和感を覚えているのにも関わらず、おかしな事が罷り通ったという事実から、呪いのような物を受けたと判断されたに過ぎない。

王国の魔法レベルでは、精霊王を自称したあの存在の起こした事象を看破出来なかったのだ。


 自分達では抗えない、強力な力を持った存在に対する恐れと憎しみが王国を突き動かした。

特に被害の大きかった公爵家と第一王子は、徹底的に精霊という存在を調べた。

その過程で、時折現れる迷い人が精霊に連れ去られた愛し子の成れの果てである事や、赤子、幼子が突如失踪する事件も人攫いなどの犯罪組織だけでなく、精霊によるものであった事が分かったのだった。

王国単独での調査や対応策に限界を感じた第一王子は、他国からも広く知見を求めた。

その中でとある極東の島国に、精霊に対しての対抗策を見出した。


 その国では精霊は悪鬼と呼ばれ、忌み嫌われていた。

昔、島国のヤワト皇国の皇子には幼馴染の巫女がいた。

優れた霊力(王国では魔力)を持った巫女は、皇子の許嫁であり、2人が結ばれる事で、皇国は益々繫栄するハズだった。

だが、皇国に潜む悪鬼の王が巫女の優れた霊力に目を付け、彼女を攫ってしまった。

皇子は八方手を尽くして巫女を探したが、遂に見つける事は出来なかった。

巫女が攫われて十数年程の月日が経った時、ある森で瀕死の女性が見つかった。

それは嘗て悪鬼に攫われた巫女であった。

十年の間、悪鬼によって霊力を吸い尽くされた彼女は、まだ年若いはずであるのにも関わらず、老女のような風貌へとなっていた。

そして余命幾ばくもない状態で、悪鬼により廃棄され、偶然狩りで森に入っていた武将達によって救助されたのであった。

知らせを聞いた皇子は、すぐさま彼女の元へ赴いた。

寿命が尽きようとしていた巫女は、最後の力を振り絞って、自分が十数年の間に知り得た悪鬼の情報を、皇子に伝えた。

全てを伝えた後、巫女は王子の腕の中で息絶えた。

愛する者を奪われた皇子は修羅と成った。


 その後皇子は悪鬼を殲滅する為に行動した。

巫女によると、悪鬼の世界には鉄などの金属類は見当たらなかったとの事だった。

元々鉄などの金属類は、霊力の通りが悪く、術を阻害する性質を持っていた。

人を遥かに超える妖術を操る悪鬼も、鉄とは相性が悪いと看破した皇子は、鉄を使った武具の開発をした。

その過程で金属類の中で、霊力との相性が最悪と言える鉛に注目した。

柔らかい鉛では刀などの武器としての使用は難しいが、それなら直接ぶつけてしまえば良い。

火薬を使って直接鉛球を飛ばす、大砲が発明された。


 悪鬼は隠形の術で普通の人間からは認識できない様にしていた。

認識できないため、目の前にいても、触れられても人間では気付く事が出来ないのだ。

しかし認識こそ出来ないが、そこに存在している。

ではどうやってその存在を捉えるか?

逆の発想だった。

見えない物を見るのではなく、見えないからこそ、そこに有るのだと。

皇子は視覚や聴覚といった五感を極限まで高める強化術を開発した。

その術によって高められた感覚は、微かな臭いや僅かな音、空気の動きを完璧に捉えることが出来る。

術の発動中は、その辺一帯が術者の領域に成るのだ。

領域の中では全てが分かる。

その中で何も感じることが出来ない点がある事も含めてだ。

つまり、そこに悪鬼は存在する。


 興味本位で皇子に近づいていた悪鬼を、皇子は修練の果てに得た強化術で捉え、磨き抜かれた剣術でもって、悪鬼を一刀両断した。

高い魔力を持ち、不死に近い存在である悪鬼には人間の使う魔術では傷を付きにくい。

だが、金属による一撃は悪鬼の持つ魔術耐性を容易に突破し、致命の一撃を与える事が可能だ。

一撃で分断された悪鬼はその無様な屍を晒した。

悪鬼を屠る力と、捉える術を得た皇子は、軍を編成し悪鬼滅殺の為の戦いへと身を投じた。


 この話を知った第一王子と公爵家は狂喜した。

憎き精霊達を殺す術を得たのだから。

早速ヤワト皇国と国交を結び、ノウハウを学んだ。

皇国としても精霊は不倶戴天の敵であり、それらの殲滅に力を貸す事を惜しまなかったのも大きかった。

皇国では更に研究は進み、大砲よりも取り回しが利き、個人でも使用が可能な鉄砲が開発されていた。

王国も共同開発で鉄砲を研究し、より安定感がある拳銃を開発した。

更に王国の魔術理論を皇国の法術と合わせる事により、精霊の姿を浮き彫りにする結界術などが考案された。

強化術は個人の素質と修練によるものが大きい為、全ての者が習得できるものでは無かったが、結界術のお陰で、才能に乏しい者でも十分に機能した。


 また、精霊の呪いについても、術を阻害する鉛を含んだ厄除けのアクセサリーを開発することで、抵抗することが出来るようになった。

こうして精霊に対する準備を着々と進めていった。


 憎き精霊は、王国内でも悪鬼と称されるようになった。

何時でも討ち取れる算段を付けていた時、魔の森にて迷い人が発見され、それが嘗て悪鬼の王によってかどわかされた元公爵令嬢だったという事実に王宮は震えた。


 前王、ヴィクム・ファーク。

数十年前に婚約破棄騒動を起こした彼は、悪鬼打倒の為に尽力し、皇国との国交を深め、結果的に王国に多大な利益をもたらした功績により、王と成った。

切欠は悪鬼による呪いであったが、ルナーリア公爵令嬢も彼と共に悪鬼打倒の為に尽力し、お互いの絆を深め結婚に至った。

お互いに愛し合う仲ではあったが、それでもある一点において拭いきれない感情が残っていた。

彼等は自身の血縁に、かつて自身が起こした愚行を伝え、同じ事が二度と起こらない様に徹底した。

そんな2人も、退位し後継に任せ、離宮にて静かに暮らしていた。

未だ心の内に燻る物はあれど、為すべき事を成し、後はこのままゆっくりと人生の終わりを迎える、そう思っていた。

そこに飛び込んできたリーンベル発見の報告は、枯れて行くはずだった彼等の心を、再び燃え上がらせた。


 全ての真相を知ったリーンベルの心にあったのは怒りだった。

令嬢時代、家族に顧みられなかったのも、心を通わせた王子に裏切られた事も、全ては餌である自分を手に入れる為の手段だった。

精霊達の見せていた優しさは、自分を懐柔するための演技に過ぎず、精霊……悪鬼共は内心ではリーンベルを嗤っていたのだ。

悔しかった、悲しかった。

全て悪鬼共の良い様に踊らされていたのだから。

弱り切っていたハズの身体に、活力が生み出されていいく。

皮肉にもかつてない怒りと悲しみ、そして憎しみがリーンベルに力を与えたのだ。

まだ死ねない、復讐を果たすまでは……と。


 それから少しの間を置き、王都から高速の馬車が辺境伯領へと向かってきた。

前王夫妻である。

リーンベル生存の報告を聞いた彼等は、最新の馬車を用いて辺境伯領へとやって来たのだった。

そして数十年の時を経て、彼等は再会したのであった。


「お姉様ッッッ!!」


 王妃となり、長らく王国の淑女のトップに立っていたルナーリアは、姉の姿を見た瞬間、淑女としての仮面を投げ捨て姉に抱き着いた。


「申し訳ございません! 申し訳ございません!」


 泣きながら姉に抱き着き、謝罪の言葉を連呼する妹の姿に面食らうも、リーンベルは優しく妹を抱きしめた。

既にわだかまり等は無くなっていた。

それら全ては悪鬼達へと投げ捨てていたからだ。


「大丈夫です。全てを知りました。貴女に責任はありませんわ。全ては、あの悪鬼共の所業です」


 慈母の様な笑みで、妹の髪を優しく撫でるリーンベル。

漸くルナーリアも落ち着きを取り戻した所で、今度はヴィクムが部屋へと入って来た。

そして開口一番、両膝を突き平伏した。

突然の行動に目を白黒させるリーンベル。


「すまなかった! リーンベルッ!」


「ヴィクム様ッ?! お顔をお上げください!」


 皇国における最上位の謝罪方法、土下座スタイルをする前王には流石に泡を食ったようだ。

リーンベルは土下座の事は知らないが、仮にも王であった者が地に頭を付けて平伏し謝罪するなんて、通常はありえない事だ。

つまりそれだけ、ヴィクムはリーンベルに対して強い悔恨の情を持っていた事になる。


「謝罪は十分に受け取りました。先程も申した通り、全ては悪鬼達の所業によるものです。貴方方が必要以上に責任を負う事など、何も無いのですよ……」


 国の頂点に君臨した2人が自分に対してこれ程までに責任を感じ、苦しんでいた事実に、改めてリーンベルは怒りを抱く。

実の所、悪鬼の住処にいた頃は、命を貪られていたとは言え、生活自体はのんびりとしたぬるま湯のような生活だった。

そんな中、ヴィクムとルナーリアは血を吐く思いで日々を過ごしていた事を考えると、居た堪れない気持ちになる。

どうせなら、最後の最後まで騙しきっていたら良かったのに。

自分も、家族も皆、最後まで騙していたならば、誰も苦しむ事も無く時の流れに押し流されて、それで終わったはずだったのだ。

だが、悪鬼の王はリーンベルを手に入れた瞬間、呪いを解き、リーンベルもまたその命が尽きる前に夢の中から追い出した。

好き勝手に弄んで、最後には捨てるなど身勝手極まるその行為を、彼等は決して許さなかった。


 それから少し経った後、リーンベルの父と兄がやって来た。

父は既に引退し、公爵領の片隅にある屋敷で過ごしていた。

母は既に亡くなっていた。

リーンベルが居なくなってから数年後に病に倒れたのだ。

その原因は間違いなく、リーンベルの一件であったのは明白であった。

兄は父の後を継ぎ、公爵となり王国宰相へとなっていた。

甥に当たる現王の後継人として、今も辣腕を振るっている。

久しぶりの再会、そして涙の謝罪がまたしても繰り広げられた。

王国トップの三連土下座を目の当たりにした辺境伯の胃に大ダメージがあった。

その日は、家族総出でリーンベルとの再会を祝う催しが行われた。


 現役宰相である兄は、早朝に王都へ戻ったが、残った者達で今後の作戦会議を行う事になった。

まず、リーンベルが捨てられた件について、皆盛大にブチ切れていたが、嘗てあれほど執着した彼女を捨てるという事は、他に代わりとなる愛し子が見つかったからでは? という意見が出た。

実際にそれは当たっていた。

彼等はそうなると誰が愛し子であるかと思案していたが、丁度思い当たる少女が1人いた。

現王の娘、マリーベル第一王女である。

御年5歳であるが、愛くるしい容姿に加え、慈悲深く聡明で類まれな魔力を持つ少女は国民全てに愛されていた。

そして彼女には兄がおり、現王妃は妊娠中で、王国最新の鑑定魔法によると、女児を宿しているとの事だ。

嘗ての公爵家と似た様な家族構成である。

もし、マリーベルが愛し子だとすると、以前と同じ手口を用いる可能性も考えられた。


 結論から言うと、やはりマリーベルは愛し子であり、悪鬼の王は正に前回と同じ方法を採っていた。

一度成功していたとは言え、心底人間を舐め腐った方法である。

当然ながら、呪いに対しての対抗手段は取られており、前回と同じ轍は踏まなかった。


 十年後、マリーベルは15歳になっていた。

表向きは王族の中でも冷遇されているとしていたが、あくまでそう見せかけていただけである。

今回は、兼ねてより国交のあった皇国の第三皇子との婚約式を執り行うとして、盛大な式典が催された。

ここ十年程、悪鬼の王はチマチマと呪いを掛け、マリーベルにちょっかいを掛けつつも未だ表には出て来なかった。

これに皇国の第三皇子は痺れを切らした。

彼はマリーベルと幼馴染の関係であり、お互いに想い合っていた。

そんな大切な彼女に、ハエの如く纏わり付く悪鬼に対して怒りを募らせた第三皇子は、盛大に式を挙げ、悪鬼を誘き出そうと提案した。

王国側としても、悪鬼の放つ呪いには辟易していたので、皇子の提案を呑み、全ての準備を終え、悪鬼の王を迎え撃つことになった。


 悪鬼の王は苛立っていた。

呪いは確かに効いているはずなのだが、以前に比べるとどうにも手応えが薄いようだった。

それに愛し子が十分に成長するのには、幾らかの時間が掛かっている。

こんな事なら前の愛し子を手放さなければ良かったとも思っていた。

そして新たな愛し子が十分な成長を果たした時、何と彼女は海の向こうにある、忌々しい極東の島国へと嫁ぐと発表された。

彼の国は精霊に対して極めて攻撃的で、その昔自身と同格と言える精霊王の一柱を滅ぼすという愚行を行った国であった。

あの国に嫁いでしまっては、奪還が非常に面倒になると思った

悪鬼の王・ルーフは多少予定よりも早まったが、愛し子を手に入れるため、重い腰を上げた。


「蒙昧なる人間共よ、我が愛し子に触れることなかれ」


 婚約式の最中に、普段の隠形の術を解き、悪鬼の王がしゃしゃり出て来た。

極めて上から目線の尊大な態度に、参加した貴族達は鼻白む。

以前であれば、その圧倒的な存在感に呑まれ、平伏していたのだろうが、今の王国人は悪鬼の性質を良く理解しており、更に悪鬼対策も万全である。

更に対悪鬼のスペシャリストである皇国人も参加する中で、悪鬼の王の高圧的態度など、全く問題にならず、彼等からはピエロにしか見えなかった。

それに気づかないマヌケなピエロは、偉そうな高説を述べ、愛し子を差し出すよう要求したのだが……。


「断る! 貴様如き下郎に我が愛しの君は指一本触らせぬわッ!」


 ハッキリとした拒絶を第三皇子は告げる。

高々人間如きに下郎呼ばわりされた悪鬼の王は激高し、魔術でもって、第三皇子を討とうとしたその時、会場内に轟音が響く。


「ぐああああああああああッッッ!!!!」


 突き出した右腕に激痛が走る。

強力な魔術耐性を持ち、並の魔術では傷一つ付けられない悪鬼の王の手から燃える様な痛みが走った。

第三皇子の拳銃による早打ちであった。

腰のホルダーより素早く銃を抜き、撃鉄を上げ、狙いを定めて引き金を引く。

一秒に満たない間にこれらの動作を終え、放たれた鉛弾が悪鬼の王の手の平を打ち抜いたのだ。


 それから会場に控えていた衛兵達も一斉に銃を抜き、悪鬼の王に鉛弾を放つ。

来賓した貴族達は当然避難済みだ。


「ぎゃあああああああああッッッ!!!!」


 全身に鉛弾を食らい、のた打ち回る悪鬼の王。

流石に王を名乗るだけにしぶとい。

倒れ伏す悪鬼の王の前に、幾人かの影が立ち塞がる。


 前王、ヴィクムとその妻であるルナーリアだ。

そしてリーンベル達の父のロストに兄であるゲイルである。

彼等は銃を構え、悪鬼の王の前に立つ。


「実に久方ぶりであるな、ルーフと言ったか? 貴様の名は?」


 そう言いながらヴィクムは銃を放つ。

それは新型の散弾銃であり、小さな鉛弾を広範囲にばら撒く銃である。


「ぎいやああああああああッッッ!!!!」


 放たれた無数の弾丸は悪鬼の王をズタズタに引き裂く。


「その節は大変世話になりましたわ!」


 丁寧な口調とは裏腹の、底冷えのする声色でルナーリアは手に持った拳大の玉を投げつける。

それはドロドロに溶けた鉛を特殊な製法で包んだ玉だった。

悪鬼の王に当たった瞬間それは破裂して、灼熱の鉛が悪鬼の王を焼く。


「ひぎゃああああああああッッッ!!!!」


 高温の鉛に焼かれ、地獄のような痛みが悪鬼の王を襲う。


「ぎゃあぎゃあ五月蠅くてかなわんな。少し黙れ」


 そう言って、悪鬼の王の顔面に拳をめり込ませるゲイル。

皇国に伝わる徒手空拳の技、カラテの基本技の一つ、正拳中段突きである。

手には鉛で出来たメリケンサックという打撃力を強化する武器を嵌めている。

この日の為、十年の歳月を掛けて鍛え上げた一撃である。


「がひッゲフッッッ!!」


 悪鬼の王の端正な顔立ちも、先程の一撃で醜く崩れた。

顔を押さえ、蹲る悪鬼の王の脳天に、強烈な一撃が加えられた。


「チェストオオオオオオオオオッッッ!!!!」 

 

 元公爵、ロストの一撃であった。

これまた皇国に伝わる、一撃必殺を旨とするジゲン流と呼ばれる剣術である。

老齢となり、杖を突かなければ歩行が困難であったロストの、この日の為に磨かれた乾坤一擲の一撃であった。

杖には当然ながら、鉛がコーティングされている。


 身体中に穴が開き、焼かれボロボロになった悪鬼の王。

息も絶え絶えに地べたを這いつくばりながら逃げようとした彼の前に、最後の影が立った。

リーンベルである。

彼女の隣には大砲を構えた壮年の男がいた。

王国でも勇猛果敢として知られた、騎士の男であった。

そしてリーンベルの現夫でもある。

騎士を引退後、辺境伯の屋敷の門番を勤めていた。

悪鬼の王の事もあり、辺境伯の屋敷で匿われたリーンベルと、門番の男はひょんな事から関わり合いを持ち、後にお互い独り身であった事もあり徐々に惹かれ合っていた。

そして数年前に結ばれ今に至る。


 悪鬼の王、ルーフはリーンベルの姿を見た時、嘗ての愛し子である事に気付いた。

彼女の魔力を得られれば、この場を切り抜けることが出来ると思った。

何とか彼女に近づき、その魔力を得ようとしていたが……。


 リーンベルは眼下に這いつくばるルーフを見ても、心は凪いでいた。

騙されていたとは言え、彼の世界では幸福と言える人生を送っていたのだ。

その裏で大切な家族は泣いていたが。

そして力の衰えと、飽きから自身を捨てた事について。

その時は絶望しルーフを憎んだが、今は優しい夫と出会え、幸せな生活を送っている。

全体的に見ればまぁ、プラスマイナスゼロと言った所だろう。

今となっては恨みはない。

同時に愛情も一切無いが。

だから、これから行う事は、怒りでも憎しみでも愛でもない。

唯の処理だ。

この国を害する害虫の駆除、それに過ぎない。


 夫が大砲の照準をルーフに合わせる。

リーンベルは導火線に手ずから火を付ける。

最後にルーフの顔を見る。

虫けらを見るような目で。


「ひぃッッッ」


 何の感情も抱かない、無機質な目で自分を見るリーンベルにルーフは恐怖した。

嘗ての全幅の信頼と親愛を含んだ、温かな眼差しではない。

ひたすら冷たく、空虚な目だった。

その目から逃れようと藻掻いたが、もう遅い。

放たれた大砲の弾はルーフを粉砕した。

ここに悪鬼の王は討たれたのだった。


 バラバラになった悪鬼の王の屍は、鉛を含んだスコップでバケツに集められ、鉛で出来た棺の中に収められた。

この後、棺を溶接し鉛の出る鉱山の一室に封印される。

間違っても復活できないような徹底ぶりだった。


 全ての決着を付けた者達の心は晴れやかだった。

皇国の第三皇子も、悪鬼の王の討伐という皇国的に最高の催しにご満悦だった。

マリーベル的にちょっと引く事案だったが、嘗ての事件と罷り間違えば自身が悪鬼の餌になっていた事実を考えると、因果応報だったと納得した。

空気気味だった現王は、父母や祖父達にドン引きつつも、事後処理を完遂した。


 ヴィクムとルナーリアは離宮にて穏やかな余生を送っていた。

時々姉夫妻とお茶会を楽しんでいるらしい。


 ロストは決着が付いた後は、妻の眠る地で静かに暮らしている。

全部が終わって老け込むかと思いきや、意外とまだまだ元気である。


 ゲイルは何故か皇国に渡り、修行に勤しんでいた。

剣を権に変え長年王国を支えていた男が、拳に目覚めたという。

皇国において幻のカラテ家の異名を得たらしい。


 リーンベル夫妻はおしどり夫婦として、賑やかに暮らしていた。

時々王宮の離宮に呼ばれ、旧交を温めている。

災厄の様な存在に色々と振り回された人生だったが、今はとても楽しんでいるらしい。

 

 他国において、精霊の存在は自然の化身たる神秘の存在とされていた。

故に精霊を忌み嫌う王国と皇国は、他国から爪弾きにされていた。

精霊の実態を知る、王国と皇国からすると愚かにも程がある話だった。

精霊は確かに自然に干渉する力を持つ。

彼奴等はその力で、干ばつや洪水などの自然災害を起こし、それらを鎮める条件として人柱を要求していた。

無論、その人柱は愛し子である。


 それでも長年の信仰というのは厄介な物で、未だに精霊を尊ぶ国が後を絶たない。

中には長年の異常気象が、精霊討伐によって解決した事を受けて、王国と皇国の言う事が正しかったと認める国も出て来たが、それでもまだまだである。

全ての悪鬼を滅ぼすという信念の元、歩み続ける彼等の戦いはまだまだこれからであった。

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悪鬼にリベンジできたのが何よりだったと思う
こういうの大好きです!笑 特に自国でこう扱われている対象が他国ではこう扱われているという文化や価値観の違いがとても面白かったです! 自分達を虫けらのように扱う傲慢な上位存在相手に人間だけが持つ知識と技…
とても面白かったのですが…。 ヴィクムとルナーリアって、結局は結婚しちゃったんですね~。リーンベルに対して多少でも罪悪感が有れば、愛しあったり結婚したりなど出来ないと思うのですが。 僕達私達は悪鬼によ…
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