02 大事なものは、いつだってそばにある
何時間たっただろうか、泣き疲れた僕は、リビングで、ただただ何も考えずに座っていた。
涙こそ、止まったものの、何かをするような気力など僕には残っていない。
そうしてるうちに母さんが返ってきた。もうそんな時間か。
「ただいまー」
「おかえり」
「あ~あほんとに外は暑いわねー。仕事行くのも嫌になっちゃうわ」
「......」
挨拶ぐらいは返すが、それ以上は話しかけなかった。
だって、そうしたらきっと職場の人がどうたらとか、近所の猫の写真を撮ったからみてくれとか、そんな母さんの無駄話に付き合わされる。
今母さんのオチの無い話を聞いて相槌を打てるような、そんな気分じゃなかった。
そうなるまえに部屋に戻ろう。
ああ、そうだ。自分の部屋じゃなくって漫画部屋にいこう。
家には漫画好きの父さんが作った漫画部屋があった。
母さんは呆れてたけど。父さん譲りの漫画好きの僕からしたらあそこはお気に入りの場所だ。
そこなら、静かだし母さんもめったに入ってこない。自分の部屋で寝ててもいいけど、母さんが来る可能性があるし、変な心配をかけたくもない。
『夏休みだからってだらけすぎよ!』って怒られるのもいやだし、泣いてるのを悟らされるのはもっと嫌だから。
それに、大好きな漫画は、今の嫌な気分を忘れるにはもってこいだった。
目についた漫画を棚から取り出す。
数冊読んだ頃だろうか、下からいい匂いがしてきた。
......そろそろご飯だな。
僕は、目軽く触って腫れてないかを確認する。
だめだ、まだ少し腫れてる気がする。
どうやって言い訳しよう。
『寝すぎて腫れちゃった~』って言おうかな。
小言は言われるだろうが、泣いてたと思われるよりは数段ましな気がした。
カチャリ
玄関から小さく鍵を開く音が聞こえた気がする。
この時間だと多分、父さんだろうな。
案の定、下からいつも通りの二人の会話が聞こえた。
いつもながら父さんは無駄に声が大きい。
上の部屋にまで全部筒抜けだ。
「ただいまー。今日のご飯はなにかな~。おお!唐揚げか!
俺の大好物じゃないか~。」
「おかえり~。そうそう、それに、あの子も大好きでしょ。ほら、最近ふさぎ込んでたから心配だったのよ。」
「ハハハッ、母さんには分からんかもしれんが、あの頃の男はいろいろあるもんなんだよ。大丈夫、大丈夫。ああ、そういえば××は?」
「ん?
ああ、靴があるから家に入ると思うわよ。二階の自分の部屋か、漫画部屋じゃない?
あなた上いくんでしょ。ご飯できるからついでに呼んできて頂戴な」
「じゃあ、ちょっくらいってくっか!」
「もうすぐ出来るから早くしてくださいね。」
「はいはい!」
父さんが階段を上がるトントントンという、リズミカルな音が聞こえる。
もうすぐ来るな。......大好きなから揚げも今日はあんまり食べたくない。
そういうわけにもいかないけど。
漫画部屋の扉がガチャッと開き、父さんが入ってきた。
僕は観念して漫画を閉じる。
「××~。ご飯だぞ~。ふっふっふ驚くなよ!
なんとな!
今日はお前の大好きな唐揚げだぁ!」
「ああ、父さんいまいく......」
「......あれ、何だ居ないのか?
一人で喋って俺バカみたいじゃん。自分の部屋にいるのかな?」
「ちょっと、何ボケてんの、父さん。面白くないんだけど」
意味の分からない変なボケに思わず笑ってしまった。
椅子からおりて振り返った僕と、父さんは目線をあわせようとしない。
あわせないどころか、僕がたった今、机の上に乗せた漫画を見てこう言った。
「ん、あいつ漫画出しっぱなしじゃないか。しょうがない奴だな~、まったく。」
「は?
父さん何言ってんの、僕ここにいるじゃん?
それ全然面白くないよ?」
それでも父さんの目線は僕に合わない。まるで僕がそこにいないような。
何か嫌な予感がした。何かが噛み合ってない。
とんでもないことが起こっているような嫌な予感が。
僕は、父さんの横をすり抜け階段を駆け下り、母さんがいる台所に駆け込んだ。
いつも通り鼻歌をしながら料理をしている母さんがそこにいた。
そういつも通り。心配することなどない、いつも通りの光景だ。変なことなど起るはずもない。
この不安をかき消そうと、僕は母さんに話しかける。
「母さん?
ね!
ご飯の手伝いしよっか?」
いつもは自分から手伝いなんてしないから、きっと母さん笑いながら『あらあら、どうしたの。珍しいわねぇ』とか言うはずだ。
だけど、予想に反して返事は帰ってこない。
僕のことを完全に無視する母さん。そんなことは今までに一度もなかった。
おちゃらけた父さんならまだしも、真面目な母さんまでそんな変なことするはずない。
「ねぇ?
母さん?」
聞こえてるんでしょ?
そう願いながら、震える手を伸ばそうとしたその時。
二階から父さんの叫び声が聞こえた。
「母さん!
母さん!
早く来てくれ!
大変だ!
××が!」
僕がなんだって?
僕はここにいるじゃないか。ずっと。
「どうしたの?
あなた、そんな大きい声出して」
母さんが二階に向かって叫ぶ。
「とにかく早く来てくれ!
早く!」
「?」
父さんの様子が尋常じゃないのに気付いたのか、母さんの表情が曇る。
「もう、何よ?」
そして、母さんは僕のど真ん中をすり抜けて二階へ走っていった。
父さんと同じだ。母さんの視線も、......一度も僕に合わなかった。
マルデソコニボクナドイナイヨウニ。
なんで?
母さんたちまで僕を無視するの?
いつもと違うところなんて......色が、ないから?
色がないならつければいい!
そうだ。どうせほかの色を付けるはずだったんだ。早くつけなきゃ!
早く!
......どうやってつければいいんだ?
そういえば、あの黒い男は色が無くなるとは言ったけど、どうやってつけるかは教えてくれなかった。どうすれば、どうすればいい?
いや考えている時間などないんじゃないか?
僕は、焦る気持ちのそのままに家から飛び出した。
目的は近くのホームセンターだ。あそこならペンキとか絵具とかたくさんあるはずだ。
子どもみたいな考えだけど、僕が考えつく色の付け方はそれぐらいしかなかった。
異常なまでに軽い体。
久々の運動でも痛くならない喉と肺、だけどもうそんなこと些細なことだった。
とにかく今は色が欲しい。色がなきゃ誰も僕を見てくれない。
イロガホシイ。
この横断歩道を渡ればもう目の前だ。
赤だって関係ない。そう思って渡ろうとした時、救急車が通る。
「なんだよ、こンな時に! 急いでるのニ!」
そう、このままだとなにかが手遅れになる。
いやもうすでになり始めている。
そんな気持ちが僕を焦らせていた。
同じ歩道に並んでいる親子の会話が聞こえる
「ねぇおかーさん、きゅーきゅーしゃだよ!
きゅーきゅーしゃ!
ピカピカしててすごいねぇ!」
「そうね救急車ね。ピカピカしててすごいわねぇ......にしてもどこ行くのかしら。近くみたい。大丈夫かしら......」
救急車の通り過ぎる数秒がいつもより長く思えた。
五感を通して感じる全てがスローに思える。
「やっといったカ! ハヤク、早クしないと!」