家族が陽キャすぎるんだが
猫猫こと俺は黙り込んでいた。
「どうしたぁ! 猫猫! 俺が質問してるじゃぁないか!」
「猫ちゃんどうしたの? 寒いの? 暑いの? 大丈夫? また学校でいじめられちゃったの?」
違う。俺はいじめられてた事はあるが、今は平穏な日常を送っている。それにしても…。
「質問に答えてくれ! 猫猫! どうしてそんなに暗い顔をしているんだっ!」
「お兄ちゃん! 黙ってちゃ何にもわかんないよ。少しは私も頼って。ね?」
「騒がしいなぁもう…。俺がおとなしく思えるのはお前ら家族が——陽キャすぎるからだよ!」
俺は生来大人しかった。アニメや漫画が好きで美少女を眺めては口元を綻ばせるような人間だ。
学校ではそういった奴らは落伍者として扱われ、『陰キャ』という不名誉なレッテルを貼られる。
その『陰キャ』の対極にいるのが『陽キャ』と呼ばれる奴らだ。
奴らは明るく快活で常に輝かしいオーラを纏っている。俺なんかでは到底届かない高みにいるのだ。
俺なんかとは一生交わることのない存在。ある例外を除いては。
勝気で騒がしいが、困った時は頼りになる一家の大黒柱の俺の父。
そんな父に惹かれ、結婚したのが俺の母。普段は落ち着いているが、楽しむ時は楽しみ、騒いでいい時は思う存分騒ぐメリハリのついた人だ。
そして俺のことを慮るような目で見つめているのは我が愛妹だ。
陽キャらしき端正な顔立ちをしていて、兄としての贔屓目を引いても十分かわいい部類に入るだろう。
家族は全員俺とは正反対。
月と太陽なんて表現は当てはまらない。
ゴミクズと太陽。もしくは塵とダイヤモンドでもいいかもな。
別に家族が嫌いなわけじゃない。むしろ大好きだ。
父は時に厳しく、時に優しく。欲しいものは基本的に買ってくれるし、厳しいのも俺がちゃんとした大人になれるように配慮した結果だろう。
母は常日頃から俺のことを気遣ってくれる。お小遣いがなくなったら補充してくれるし、いじめられた時も一番最初に気がついてくれたのは母だった。口癖のように「愛してる」と言うのは減点対象だがそれ以外は尊敬する母親だ。
妹は俺と同じ遺伝子を継いでいるのが信じられないくらいよくできた子だ。秀麗な顔立ちに勉強の才覚もある。才色兼備という言葉は彼女のためにあったのかと思う。しかも、妹くらいの年頃は反抗期と被っていて、親や兄弟に対し牙を剥くこともあるが、反抗期のはの字もなく俺に懐いてくれている。
俺はこんな家族が大好きだし、その家族に見合うようになりたいとも思っている。
しかし、家族と自分を比較した時どうしても埋められない差があると思ってしまうのだ。
無理もない話だろう。家族は眩しく、俺は暗い。光を与える側と与えられる側。そもそもの性質が違いすぎる。
ただでさえ低い自分の存在価値が、比較すると一層惨めなものに思えてくるのだ。
家族に追いつこうと努力はしたが、差はますます広がるばかり。
「いったい、俺はどうしたら」
「え、何? 何が聞きたいの?」
すかさず妹が聞き返す。うっかり言葉を漏らしてしまったようだ。
「あ、い、いや、なんでもない…」
本当になんでもない。俺自身の問題なのだ。俺が解決するべき問題。家族が気に病む必要は全くもってない。そのはずなのに——
「どうして、どうしてお前らがそんなに心配そうな顔をするんだよ。俺の問題なのに、俺が悪いんだよ。俺が暗いのは俺の問題だ。俺が陰キャなのが悪いだけでお前らには関係ねーだろ! お前らがいくら考えたってわかんねーよ! 人の事もよく知らねーで心配したって何もできねーだろうが善人面すんなよ気持ち悪りぃ。陽キャは陽キャだけでつるんどけばいいんだよ!」
思わず感情が口を衝いて出る。やってしまった。俺の事を大事に考えてくれている家族さえ無下に扱ってしまった。胸の内に仕舞い込んでいたドロドロとした負の感情を見境なく振りまいた。
ああ、俺はこの家族にも見放されてしまうのか。
気づけば目の淵に涙が溜まり、頬を伝って落ちていった。
「猫猫」
厳しい表情を浮かべた父が俺の名前を呼んだ。
わかっている。何もしていない家族に、こんな俺でも暖かく受け入れてくれた家族に暴言を吐いたのだ。粛々と叱咤を受けるか、拳の一発でも飛んでくるか。
なんでもいい。罰を受ける覚悟はできている。この家族に見放される覚悟も。
頼りになる父、愛してくれる母、優しい妹。これらの存在から必要とされなくなれば、真の意味で俺の存在価値は消え失せる。
俺は陰キャだが、家族が暖かかった。陽キャの家族がいるから、俺も期待に応えるために頑張ろうと思えた。その家族との繋がりが切れれば、俺は落ちるところまで落ちるだろう。犯罪者になって一生を冷たい牢の中で暮らすのがオチだ。
山も谷もない孤独で惨めな人生。
死を惜しむ人もなくひっそりと死に絶えるのだろう。
悲観的な想像をしていたら再度感情の波が襲ってきた。
堪えていたはずなのに堰を切ったように落涙が始まる。目の筋肉を総動員して必死に止めようとするが、無様に顔面をピクピクさせるだけで終わった。
「っく、ぐす、ッ、ッ」
涙と共に嗚咽が漏れる。
もう高校生なのに、情け無いと感じながらも嗚咽は止まらない。
妹がいる手前、兄として泣くのはどうかと考えたが、先程の暴言のせいで体裁を気にする必要はなくなっただろう。
小さな子供みたいに泣き喚いた。
家族の前で顔を濡らして泣くのは何年ぶりだろうか。
もうどうでもいい。どう転んだって構わない。
家族は俺が自暴自棄になってみっともなく泣き叫ぶのを真剣な表情で見ていた。
涙が収まり、少し羞恥心が湧いてきたので赤く泣き腫らした目を見せないように顔を伏せる。
「猫猫」
父が発した先程と全く同じ言葉。
しかし、口調はどこか優しげなものだった。
「気は済んだか」
普段とは打って変わって落ち着いていて、それだけ真摯な思いで言葉と紡いでいるのが伝わってきた。
「すまなかったな」
いつもハイテンションな父がポツンと一言呟いた。出てきたのは謝罪の言葉。
なぜお前が謝罪をするんだ。謝罪するべきなのはこちらの方じゃないか。家族は常に味方だった。切り離したのは俺の方だ。
「ごめんね。猫猫ちゃん。あなたに辛い思いをさせていたみたい」
母がゆっくりと口を開いた。
だからなんで謝るんだ。やめてくれ。罪悪感で胸が押し潰れそうになる。
「お兄ちゃん…。気づいてあげられなくてごめんね。これからはずっとそばにいるから」
やめてくれ。お前らが言葉を発する度に、心が掻き乱されるんだ。後悔、劣等感、期待感、信頼、様々な感情が渦を巻いてのたうち回る。
家族はまだ俺を肯定してくれる。愛してくれる。
なのに——
「何もわからない。何も知らないくせに何がごめんだよ。うざいんだよ」
俺が選んだのはナイフのように尖った言葉。
一回目の暴言はまだ取り返しがついたかも知れない。泣き止んだ後も優しく接してくれた。
しかし、今度こそ。二度目の文言で俺は今度こそ家族の仲を切り裂いた。
内心、俺は家族に嫌われたかったのかもしれない。いっそのこと、蛇蝎の如く嫌われた方が分別がついてすっきりしただろう。
思えば、家族が優しくしてくるから、その優しさに甘えてしまいこうして前に踏み出せないのではないか。だから、家族には嫌われてしまった方が都合が良いのでは…。
この期に及んで家族に責任転嫁する自分の浅ましさに苦笑する。短期間でよくもこう凋落できたものだろう。
「猫猫、あなた。私たちに嫌われたいと思ってるでしょ」
母が言う。ああ。そうだとも。よく気づいたね。御名答。正解した報酬に一億円プレゼント!
自然に口角が上がるのを感じる。この笑みに名前をつけるなら『自嘲』だろう。
「お前、何か勘違いしてるんじゃぁないか」
父が言う。勘違い? あるわけない。あるとしたらあんたら家族の俺に対するイメージだ。あんたらは俺の事を大人しいだけの善良な人間だと勘違いしていたようだが、過大評価だったようだ。俺は所詮、恩を仇で返すような、ゴミクズみたいな人間だったってことさ。
「お兄ちゃん……」
見かねた妹がにじり寄ってくる。何をする気だろうかと気にはなるが、何をしようと無駄骨だ。冷めた目で見ていると妹はおもむろに手を振り上げた。
——パンッッ
頬を張られたという事実に目を向けたのは、痛みの信号が脳髄に伝わってから数拍後のことだった。これまで妹に手を上げられたことは覚えている限り一度もない。完全に意表を突かれた。
しかし、これでいい。少なくとも妹に嫌われることには成功した。
「お兄ちゃん。何があったかは知らないけど、知らなかったら心配しちゃ駄目なの? 私は、私たちはみんなお兄ちゃんのことが好きだから。愛しているから心配しているの」
何を言っている? わからない。俺は二度も家族に対してやってはならない事をしたはずだ。本来ならば罵声の一つや二つ飛んできてもいいはずなのに。なのになぜ、妹はそんな真剣な眼差しで俺を覗き込んでくるんだよ。愛してるってなんだよ。これほど俺に相応しくない言葉はないだろう。
「だけど、その心配事の原因が私たちにあるってことね」
母が尋ねる。その通りだ。
しかし、それを知ったところで何ができる? 家族全員が明日にでも陰キャにならない限り俺の劣等感がなくなることはないだろう。
「猫猫」
父が目を合わせて来る。なんで視線を合わせてくるんだよ。何もできないくせに。
真摯な瞳は真っ直ぐに俺の目を貫いていて、父の虹彩には一切の翳りがなかった。ただ愚直に、俺の目を射抜いていた。
その時ふと、気が付いた。
目を合わせようとしなかったのは俺の方だったんじゃないのか? 家族が俺のことを理解しようと、必死に目線を合わせようとする中その目線を拒んでいたのは俺の方だったのではないか?
「猫猫」
愚直に、且つ誠実に、父は明瞭な声で呼びかけてきた。伏せていた顔をあげる。今度は自分から、視線を交わす。
「猫猫。お前がどう思っているかなんて知らないが、俺たちはお前の味方だ」
味方だなんて、今更言われたって遅いんだ。感情が掻き乱される。
「一人で抱え込むな。なんのための家族なんだ。心配事も、悩み事も、共有し、分かち合う。それが家族ってもんじゃぁないのか」
なんだその家族の定義は。家族というものは戸籍で定められた小規模な人間団体の事を指すんじゃないのか?
押し付けがましい。それでいて自分の要求が通ると確信している。まさに陽キャの体現だ。
「だからお前も包み隠さず全部ゲロっちまえ。俺個人の問題だぁ? お前の問題は家族の問題なんだよっ!」
目を通わせた父が言い放った言葉は、理屈も道理も通ってない。恐らく即興で思いついた設定をそれっぽく言ったに違いない。
俺がこんなに悩んでいるのに、父は父なりに考えのだろうが張り詰めた空気と、その言動が釣り合っていない。言ってる理論があまりに稚拙で。
「デュフフ」
思わず口から笑いが漏れた。
「んな、んなぁに笑ってんだぁ猫猫っ‼︎」
落ち着いた口調で説法をしていた父は、瞬時にその皮を脱ぎ捨て普段通りの語り口に戻る。
「お兄ちゃんっ⁉︎ なんで笑っちゃうの⁉︎ いまお父さんが足りない頭でようやく考えついた含蓄のある言葉を披露しているのに」
即座に妹が援護射撃。ナイスだ我が愛妹よ。
「んおおおい‼︎ 一言余計だっつーの」
「確かにいまの理論は破綻しているわね」
常時は鷹揚に物事を見守るタイプだが、ここぞと言う時はノリに乗るのが俺の母親だ。
「母ちゃんまでっっ!」
母娘から醜態をなじられ、気恥ずかしくなったのか父はやけくそ気味に大声を張り上げた。
「んんもういいっ‼︎ お前らぁ‼︎ 今から焼肉行くぞおおお‼︎」
ありがたい父親の弁舌を息子に聞かせるつもりが、笑い草になってしまったのが恥ずかしかったのか、前触れもなく焼肉へ行くと言い出した。
どうやら、これで俺への説教はおしまいらしい。どうにも煮え切らないが本当にこれでいいのか?
「え⁉︎ 突然何を言い出すのかと思えば今から⁉︎」
「もちろんお兄ちゃんもくるよね」
「え、ああ、うん」
ついさっきまで場が凍っていたのにこの落差はなんだろうか。今は逆に父の熱気で汗が流れてしまうほどだ。
しかも、なし崩し的に俺も焼肉に連れて行かれる事になってしまった。
陽キャ特有の押し付けがましさ。
いまは、その強引さが、少し心地よかった。




