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金環の毒牙  作者: むひょー
6/7

 強風が吹いた。

 沙織さんの茶髪が激しくたなびく。

 しばしの沈黙。その間は、恐らく一秒にも満たないごくごく短い時間だったのだろう。しかし、私にはそれが一分ほどにも感じられた。

 微動だにしない沙織さんを見ていると、まるで時が止まってしまったかのような、そんな錯覚に陥ってしまったのかもしれない。

 ようやく、犯人の青ざめた唇が震えた。


「な、なにを馬鹿げたこと……。ふざけるのも大概にしなさい」


「僕は至って真剣ですよ」


 動揺する沙織さんをよそに、湊はからかうようにそう言った。

 そして、険しい顔つきになったかと思うと、〝探偵〟は自らの〝推理〟を語り始めた。


「優香さんは毒殺されたと考えて間違いないでしょう。そう考える根拠を述べる前に、まずは優香さんの死因を皆さんに告げておきます。彼女の死因は〝青酸中毒による窒息死〟です。

 青酸中毒とは、青酸系の毒物を摂取したことによって引き起こされる中毒のことで、呼吸困難に陥った後、短時間で死に至ります。

 青酸中毒にはいくつか特徴があり、分かりやすいもので言えば、口元から香る〝アーモンド臭〟と唇や爪が赤紫色に変色する〝チアノーゼ〟が()()()()()こと。

 優香さんは亡くなる寸前、首を掻き毟って悶えていました。このことから、彼女は呼吸困難に陥っていたと考えるのが自然です。しばらくして亡くなってしまった際、僕はすぐに彼女のもとへ駆け寄りましたが、その時、微かに〝アーモンド臭〟が香っていることに気付きました。すぐに唇や爪を調べましたが、どちらも赤々としていました。通常、呼吸困難に陥って亡くなってしまった際、血液中の酸素が枯渇して〝チアノーゼ〟が現れるはずなのですが、それが見られないとなると、彼女は発作などではなく、青酸中毒を引き起こしたのかもしれないと推測するのは容易いことでした。

 実際、彼女には命に関わるようなアレルギー等はなかったようですし、警察も青酸中毒の線で捜査を進めているので、僕の〝推測〟は恐らく〝事実〟でしょう。

 青酸系の毒物は自殺にも利用されることがありますが、亡くなる前まで楽しそうにティータイムに興じていた彼女が自殺するとは考えにくい。また、服毒自殺は――強い主義主張がない限り――喫茶店のような公然の場ではなく、誰にも見られない所で、ひっそりと行うことが多い。ですから、彼女はその毒を〝飲まされた〟と見るのが自然ではないでしょうか?

 以上が、彼女が毒殺されたと考える根拠です」


 湊がここでいったん話を区切るように、私たち三人を順に見据えた。

 沙織さんが必死に反論に出る。


「その毒は一体どうやって飲ませたっていうのよ?」


「紅茶の中に仕込んだのでしょう。彼女は紅茶を一口飲んでから苦しみ始めましたから」


「だ、だったら、一番毒を入れられるチャンスがあったのはマスターじゃない!」


「言ったでしょう? 僕は彼の手元をずっと見ていたって」


「一瞬目を離した隙にでも入れられるじゃない。それなら私こそ毒を入れるチャンスなんかないわよ。私は優香の目の前にいたのよ? 紅茶に入っていたのが事実なら、その紅茶が出てきたのは優香が帰ってきた後。今から殺す人間の前で毒を入れる馬鹿なんか、いるわけないじゃない!」


「その馬鹿がいたんですよ」


「はあ?」


 沙織さんの激しい剣幕に眉一つ変えず対峙する湊。

まるでその質問を待っていたと言わんばかりに、彼は続けた。


「沙織さんの指摘は確かに正しい。ですが、マスターを犯人とするのであれば、不可解な点が多数存在するんです」


 湊は私達に背を向けた。風に煽られてジャケットがはためいている。鬱陶しそうにそのポケットに両手を突っ込むと、再び湊は話し始めた。


「まず第一に、()()()()()が彼にはありません。

 殺人ってのは幾ら衝動的に行った事だったとしても、少なからず動機があるものです。癇に障ることを言われたとか、理性でどうにか抑えていた、積もり積もった殺意が突然プツンと切れたとか。突然来店した客を殺害するなんて、よっぽどの異常者でない限り考えられない。

 まあ、以前からの顔見知りだったという可能性もありますが、お二人が来店して以降、そんな素振りはありませんでした。お互いに無視し合うほど犬猿の仲だったとしても、眉が上がったり、一瞬言葉が詰まったり、よそよそしくなったり、とにかく多少は反応してしまうものです。

 マスター。あなたは優香さんと会ったことがありますか?」


 先程からぼーっと事の成り行きを見守っているマスターに、湊は声を掛けた。


「いや、初対面だよ」


「ありがとうございます」


 沙織さんが眉根を寄せた。


「それは――」


 沙織さんが反駁を加えようとしたところで、湊は食い気味に


「そして第二に、――これは第一の理由に通じますが――毒殺は()()()()()()()()()が高いです。

 衝動的な殺人だった場合、大概はナイフや鈍器などの身近なもので行われます。ですが、毒は違う。毒はわざわざ〝入手〟しなければなりません。一介の紅茶店マスターが商品開発のために毒に〝なりうる〟物を持っていた可能性は考えられますが、今回使用されたと思われる青酸系の毒物はそんなものじゃありません。この点から、以前から優香さんに殺意を持っていて、予め毒物を入手していたと考える方が自然です。

 第一の理由で言ったように、彼には優香さん殺害の動機がありません。動機がない、ということは当然殺意もありません。殺意がなければ青酸系の毒物は手に入れません。手に入れていないのだから、そもそも今回のような殺害は実行できません。つまり、マスターは犯人ではない。どうですか?」


 風は尚も吹きすさぶ。カーディガンを羽織っていても肌寒かったが、そんなことはもう気にならなくなっていた。

 〝探偵〟である湊の姿は、普段の姿からは想像できないほど輝いている。『テイスティ』の英国風の外観も相まって、まるでシャーロック・ホームズが目の前に現れたかのような、そんな心持になった。


「マスターを犯人でないとする理由は、それで終わりなのかしら? だとしたら穴だらけね」


「いや、もう一つ」


 湊が二、三歩こちらに歩み寄ってきて、沙織さんの隣に立った。

 沙織さんが鬱陶しそうに湊を()め付ける。

そんなことは気にも留めず、〝探偵〟は涼しい顔で続けた。


「最後の理由です。()()()()()()()()()()()()()()()()がありません。

 毒殺するにしても、わざわざ客がいる自分の店で、自分の淹れた紅茶を使う必要なんてありません。そんなことをしたら――さっきあなたが仰ったように――彼が真っ先に疑われるのは明白です。そんなリスクを犯す必要はないでしょう。

 仮に第一の理由で言ったように彼に何らかの動機があったとしましょうか。顔見知りであれば色んな連絡手段を取ってどこか人気のない場所に彼女を呼び出せばいいでしょう。第二の理由のように、毒殺を計画していたのであれば、別の場所で毒を混入したらいいでしょう。とにかく、自分の店で犯行に及ぶのはあまりにリスクが大き過ぎる。

俺だったらそうですね。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()かな」


「それって……」


「あれ? 奇しくも今回の事件と、状況が似ていますね」


 湊がニヤリと口を歪めた。


「......面白い推測ね。ならば、私を犯人だとする理由は?」


「簡単なことですよ。第一、第二、第三の裏返しです」


 湊は元の無表情に顔を戻し、街灯の灯りへ、その視線を投げた。


「第一の動機。沙織さんと優香さんは一緒にティータイムを過ごすほどの仲です。その上、沙織さんが『この前教えたやつ』とリップクリームの使い心地を優香さんに訊いていました。以前からの顔見知りという条件に当てはまりますね。あなたから話を聞いていないから詳しい動機は分かりませんが、初対面のマスターに動機があるとするよりは説得力がある。

 第二の計画的犯行。これも同じ。以前から殺意を持っていたのであれば、予め青酸系の毒物を入手しておくことは可能です。ダークウェブなどを駆使すれば、素人でも簡単に手に入れることができますしね。

 第三のリスク。紅茶に毒物を仕込んでおけば、マスターに罪を擦り付けることができます。今のあなたのようにね。沙織さんにリスクはありません。何故なら優香さんの目の前にずっといたんですから。一種のアリバイのようなものですね。

まあ、彼女はお手洗いで一度席を外していますが、その時紅茶は出ていませんでした。毒を仕込むことは不可能です。勿論、目の前で毒を仕込むような馬鹿は常識的に考えて存在しません」


 そこまで言って、沙織さんが堪えきれないというように高笑いをした。


「語るに落ちたわね、探偵気取り君。確かに心理的側面から言えば、私も十分怪しいかもしれない。でもね、どれだけ外堀を埋めようと、実際に毒を入れないと優香は殺せないのよ! 私がどうやって毒を入れたと言うの? 無理よね? だって私はずっと優香の目の前にいたんだから! 私に何の恨みがあるのか知らないけれど、自分の都合の良いように解釈するのはやめなさい? 惨めよ」


 湊は静かに目を閉じた。

 既に沙織さん自身が犯人だと言っているようなものだが、その毒の混入方法が分からないのであれば、彼女が犯人であると断言することはできない。


ここでおしまいか――


 諦めかけたその瞬間、湊は「ククッ」と喉を鳴らした。

 そして沙織さんの耳に口を寄せ、低く囁いた。


「あんまり急かすなよ、犯罪者。そんなに早くブタ箱にぶちこまれたいか? 今からその方法を説明するから、ちったぁ我慢しろよ……」


「なっ――」


 湊の冷え切った声音と表情を見て、私は背筋に電流が走るのを感じた。


「湊……?」


 そう声を掛けるのが精一杯だった。

 確かに湊はぶっきらぼうで、愛想がなくて口が悪い。

 しかし、こんな彼は見たことがなかった。


 湊、あなたは一体……?


 彼は場を取り繕うように咳払いした。


「続けます。

確かに沙織さんが優香さんの紅茶に毒物を混入するチャンスは無いように見えます。実際、警察の捜査によると、紅茶から毒物は検出されませんでした。カップの飲み口や取っ手、ソーサーからも一切検出されませんでした。唯一、優香さんの唇から微量の毒物は検出されましたが、それだけです。このままでは、優香さんは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()としか考えられません。しかし、そんなことは不可能です。たとえ沙織さんのような親しい間柄でも、優香さんに不信感を抱かせることなく、毒物そのものを飲ませることなんて不可能です。

ですが、あなたはそれをまんまとやってみせた。優香さんの目の前で、堂々と。目の前で毒を仕込む馬鹿はいないだろうという先入観を逆手に取って、見事に成し遂げてみせた。では、その方法とは何か?

――沙織さん、あなたは()()()()()()()()使()()()んじゃないですか?」


 点と点が線で繋がったような気がした。

 ああ、そうか。そうだったんだ。沙織さんが優香さんに毒を飲ませた方法。それは――


「リップクリームですって? どうやってリップで優香を殺すのよ?」


「その前に、優香さんが紅茶を飲む直前に取った行動を思い出してください」


 湊がその場にいる全員の顔をぐるりと見渡した。


「お手洗い、か?」


 マスターがそう言うと、湊は軽く頷いた。そしてすぐに、


「では、お手洗いの他に彼女は何をしましたか?」


と問うた。即座に私がその質問に答える。


「化粧直し」


「正解」


 湊は少し頬を綻ばせて、沙織さんに向き直った。


「それでは沙織さん。その前に彼女が、いや、()()()()()()()()()を、思い出してください」


 沙織さんが全身を震わせて、視線を明後日の方向に飛ばしている。


 答えたくない。


 そんな心理が見え隠れしている。湊は仕方がないと言うように息をついて、続けた。


「ポーチを落としたでしょう? 沙織さん」


「……ッ!」


 沙織さんが露骨に反応を示したことを認めてから、湊は真相を語った。


「あなたは優香さんがお手洗いに行く前に、()()()彼女のポーチを床にぶちまけた。大小様々な化粧品が床に散乱しますね。当然、散らかった化粧品を拾い集めてポーチに再びしまい込む。その拾い集めている最中に、あなたは隙を見て、〝沙織さんのリップクリーム〟と〝優香さんのリップクリーム〟を()()()()()。〝沙織さんのリップクリーム〟に予め青酸系の毒物を塗っておいて〝毒入りのリップクリーム〟にし、全く同じ物である〝優香さんのリップクリーム〟とすり替えることで、〝毒入りのリップクリーム〟を〝優香さんのリップクリーム〟に仕立て上げたんですよね。

 僕たちが拾うのを手伝おうとした時に、強い調子で断った理由は二つ。一つは、すり替えるところを複数人に見られたくなかったから。もう一つは、すり替える前に〝優香さんのリップクリーム〟を拾われたくなかったから。違いますか?」


 沙織さんは答えない。暫時彼女の様子を窺ってから、再び湊は続けた。


「さて、すり替えられただなんて知る由もない優香さんは、〝毒入りのリップクリーム〟が入ったポーチを手に、お手洗いへ向かう。そこで、軽い化粧直しとして〝毒入りのリップクリーム〟を自分の唇に塗り、席に帰ってきた。その状態のまま紅茶を飲んでしまったことで、青酸系の毒物が紅茶と共に体内に流れ込み、胃酸と混ざって青酸ガスが発生。彼女は青酸中毒を引き起こして呼吸困難に陥り、間もなく亡くなったんです。

 あなたが優香さんに自分のリップクリームを勧めたのは、全てこの計画を実行するため。彼女は痛く気に入っていたようで、頻繁にそのリップクリームを塗っていたんじゃないですか? 今日だって『こんな感じ』なんて言いながら、嬉しそうにあなたの目の前で塗っていたじゃないですか。だから、お手洗いに行った時に彼女がリップクリームを塗るであろうことも、容易に想像がついたんでしょう? 気に入ったものを何度も何度も繰り返し使用する優香さんのことだから、鏡のあるお手洗いでもきっと塗るに違いない、と。

これは、優香さんと同性で且つ、付き合いが長いであろう、あなたにしかできない犯行だと思うのですが、いかがでしょう? どこか間違っていますか、沙織さん」


 湊にじっと見据えられ、沙織さんは視線を逸らすように俯いた。

 しばらく黙り込んでいた犯人だったが、ようやく言葉を発した。


「証拠は……証拠はどこにあるの?」


「犯行後、すぐに警察がやって来て、今はこうやってお話をしている。その間にすり替えたリップクリームを処分できたとは考えられません。あなたのポーチの中に、優香さんの指紋や唾液が付着した〝優香さんのリップクリーム〟が入っているはずです。そして、優香さんのポーチには〝沙織さんのリップクリーム〟が入っているはずだ。例えあなたの指紋を拭き取っていたとしても、拭き取った痕跡というものは残る。何故拭き取られた痕跡があるのか? 警察は疑問に思って、さらに詳しくそのリップクリームを調べるでしょう。現代の科学捜査技術は舐めない方がいい。きっとすぐに、残った微量の毒物や、あなたのDNAが少量だろうが発見されます。自首をするなら今のうちです」


 沙織さんは観念したように、その場に崩れ落ちた。そして肩を震わせながら、言葉を紡ぎ始めた。


「優香は私の真似をする。最初は可愛らしい奴だって思ってた。大好きだった。元々私は、私に自信がない。だから、優香の行動は私の自己肯定感を高めてくれていた。私は人に真似をされるほど秀でた人間なんだ。優香は私をさらに輝かせてくれる。そんな感じで。今思えば、彼女のことを都合の良い人間だと思っていたのかもしれない。ううん、どこかで見下してたんだと思う。

 でもね、優香は元が可愛いからさ。私の真似をした上で、さらに私の上へ行くんだ。いつも。いつも。いつも! いつも! なんでこんな奴に私は負けるんだ? 私の方が上なのに! 私の真似しかしてこなかったくせに! 〝自分〟なんて一つもないくせに! なんで! なんで! 

 惨めだった。辛かった。死にたかった。そうした自己嫌悪や嫉妬は、いつしか憎しみに変わって――ある日を境にそれは〝殺意〟になった。私は決心したんだ。私の真似をしたことを後悔させてやるって。そして、この殺害計画を立案した。

 それが、私より一回りぐらい下の大学生にこうも簡単に看破されて台無しになるなんて、最後まで私は惨めなままだったわね……」


 透明な二粒の水滴が、彼女の瞬きと一緒にはじき出される。それを合図に、堰を切ったように涙が溢れ出した。アスファルトに黒く丸いシミがぽつぽつと形成されていく。零れ落ちる二筋の涙は、警光灯の光を受けて、それは鈍い赤色に光った。


「沙織さん……」


 そう声をかける私の肩に、湊が軽く手を置いた。

 そして沙織さんの方に向き直ると、努めて冷静に、


「扇警部の元へ」


 そう告げて黙りこくってしまった。


 風に煽られて、丁度湊の表情を覆い隠すように、彼の黒髪がなびいた。

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