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悪魔ちゃん  作者: 神保 知己夫
本編
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2017年3月(8)

“今さら言ってもしょうがないけど、その時に来てくれたらその後の流れも変わったでしょうに……”


 まあなぁ。けど俺だって完全に楽観視してたわけじゃないし、「もしかしたら……」とは思っていたよ。だから最初にそうなった時は、かなり注意深く経過観察をした。そしたら、何日かは症状が続いたけどだんだん胸の痛みがとれてきて、しまいには普通に運動できるようになったんだよ。それで、その時はあんまり深く考えずに忘れちまった。ところが数ヶ月経ったころにまた似たような症状が出た。でもこの時も、何日か経ったら症状がすっかり消えちまった。そんなことを何回かくり返すうち、俺もすっかり慣れてきてあんま気にしなくなった。ちょうどその頃はお袋の見舞いで東京と九州を往復したり、仕事の方もそこそこ忙しい時期だったんで、そういうアレコレに紛れてって感じだったと思う。


“そういえば、転職してからの仕事はどうなの? 「忙しい」ってどのくらい無理させられたの?”


 いやぁ、前の会社に比べたら全然だよ。今の会社は大きいから労働組合もちゃんとしてるし、土日は基本休みで残業もない。月に1回実施する世論調査の時だけは例外的に土日勤務だけど、次の週には必ず代休を取れる、というか上司から取らされる。仕事の内容も全然ハードじゃない。月1の調査日以外はデータの整理とか調査手法の研究(論文読み)ぐらいしかすることがないし。まあ唯一の不満といえば、せっかくDBCっていう大手のテレビ局に勤めてるのに芸能人とか有名人とほとんど会えない、つーか今んとこ一回も会ったことないってぐらいか。番組の収録スタジオは別の階だし、その階に行ってもエレベータ降りたらすぐにガードマンが来て通せんぼされる。報道部には世論調査のデータと集計レポートの納品でたまに行くけど、相手は毎回同じ記者だから女子アナとかと喋ったことなんて一度もない。


“へえ、そうなの。だったら、胸の発作が出たときに「そこそこ忙しかった」ってのは一体どういうことなの?”


 ああ、あの時は国政選挙があったからな。俺がいる世論調査室(報道部の分室)はおおむねヒマな部署だけど、大きな選挙があるときだけは別なんだ。選挙期間中に大規模な全国調査を何度かやるし、調査の準備や本番運用、事後の集計・分析、記事の構成を考えたり予定原稿の一部を執筆したりとやることがいっぱいありすぎて帰りは毎日終電みたいな生活になる。でも、それだって長くて一ヶ月くらいの期間だよ。ただ、その時期と症状が出たタイミングが運悪く重なっちゃったからさ、それでも、近所にあるかかりつけのクリニックには定期的に通ってたよ。そこの医者に一応相談したけど「一度大きな病院で詳しい検査を受けませんか」って言われた。まあ、そりゃそうだよな。でも「今は忙しいし選挙が終わったら……」って感じで一時保留にしてもらったんだ。そしたらさっき言ったみたいに症状が消えて、それから1年くらいは全く症状が出なかった。だから俺も「治ったのかな」って思って、そのうち忘れちゃってた。まあ、そのときはまだ、言うても「肋間神経痛」ぐらいなんじゃないかって思ってたしな。


 けど今年になって、年が明けてからまだ間もないころ、レッドと自転車こいで出かけたとき急にあの痛みが襲ってきて前を走るレッドについて行けなくなった。それでもなんとか声を振り絞って、「ちょっと!まって……」って声をかけたら、レッドは自転車を停めて「え、どうしたの? 私ぜんぜんスピード出してないよ?」って驚いてた。それがきっかけで、もう一度かかりつけ医にちゃんとした検査をお願いすすることにした。……そうしないとレッドがメチャクチャ怒るから。


 でも、大病院で大がかりな検査をする前に、ひとまずかかりつけ医のところで出来る検査を一通りやりましょうってことになった。最初に受けたのは、クリニックのベッドに寝て心電図をとるオーソドックスな検査だった。で、これは特に異常なしという結果だった。次に、ベルトで腰に巻く特殊な装置を何日間か借りて、1日の生活を通じた心電図を取るっていう検査をした。これも異常なし。この時点で、かかりつけ医は「心臓が原因じゃない」っていう所見に若干傾きかけていたが、「やっぱり念のためCT検査(X線を使った身体内部の画像診断)は受けましょう」と言って大学病院に紹介状を書いてくれた。ところが、CT検査でも異常は見つからなかった。だからいったん「別の原因を探しましょうか」って感じになって、それこそ「肋間神経痛」から「帯状疱疹」まで、別の病院を順繰りに巡って検査する流れになりかけたが、そこで、かかりつけ医が「どうも自分は心配性なもので……」と言い「完全に心臓の線をつぶして我々が安心するためにも」ってことで、強力な磁石と電波で心臓の断面を見るMRI検査が受けられる病院の紹介状を書いてくれた。この検査で、俺の心臓には重篤な疾患が見つかった。もし異常がなければ心臓の断面はキレイなO型になるが、俺の断面画像はC型だった。“O”の輪の形が途切れて“C”になるそうだが、途切れた部分が血流の断絶を表しているとのことだった。


 それから、改めて大学病院で心臓疾患に特化した検査や診断を受け、「冠動脈の狭窄(きょうさく)による狭心症(きょうしんしょう)」という俺の病名が確定した。冠動脈は身体の中でもケタ違いに酸素と栄養を消費する心臓へ向けて血液を送るメインの血管で、俺の場合それが詰まって85%ほどふさがっているとのことだった。もし完全にふさがってしまうと「心筋梗塞」となり、心臓が壊死して死に至ることもあるらしい。なので、出来るだけ早く手術しないと命に危険がおよぶと宣告された。これが発見できたことについては、今でもかかりつけ医が「心配性」だったことに感謝している。


 それからはバタバタで、手術前検査も含め1週間ほど入院するという話だったので急いで会社に休職届けを出し、今やっている業務の引き継ぎを出来る限りやって、あとはレッドに手伝ってもらい入院に必要なモノ(タオルとかパジャマ、下着や洗面道具など)をそろえた。入院先は最初に検査を受けた大学病院で、入院当日はまず病院の事務所みたいなところで書類手続きをおこなった。それから手術を担当する医師の診察を受け、そこで改めて手術についての詳細を説明された。俺が受けるのは「冠動脈ステント留置法」と呼ばれるもので、手首に空けた穴から挿入するカテーテル(管)で金属製の網状の筒(ステント)を心臓近くの冠動脈まで運び、血管の狭窄部位まで達するとステント内部のバルーンをふくらませて血管を拡張する。その後バルーンは(しぼ)ませてカテーテルで回収するが、ステントは拡張されたままの状態で血管内に残る。これによって十分な血液が流れる流路が確保される、ということだった。以前はこれだけのことをするのに、胸をメスで開いてあばら骨を切断し、医師が胴体の中に手を突っ込んで冠動脈を手技で拡張していたそうだから、患者の身体的負担は非常に大きく、術後の回復にも相当な期間がかかっていたそうだ。それに比べると、カテーテルを使う今のやり方は患者の負担が軽く回復も早い、非常に「安全」で「楽」な治療法という話だった。


 といった諸々のイニシエーションが済むと、看護師に案内され自分が入る病室へと向かう。病室に着くと持参したパジャマに着替え、ベッドに横たわって入院生活がスタートする。俺の場合は入院3日目に最終検査を行い、そこで病変部分の現状を確認した上で5日目に「冠動脈ステント留置法」の手術本番というスケジュールになっていた。ところでこの3日目に行う最終検査だが、本番の手術同様に手首からカテーテルを挿入して冠動脈まで到達させ、検査用の薬剤(造影剤(ぞうえいざい))を注入する。その状態でレントゲン撮影すると患部の詳しい状況がわかり、手術が可能かどうか、また治療の効果があるかどうかがわかる。この最終検査で、俺は手術可能で効果アリという結果が得られた。そして今日は入院4日目、いよいよ明日の手術本番を控えている身の上である。つまり、これは今、病室に持ち込んだノートPCでベッドに横たわりながら書いているというワケ。


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