2017年3月(5)
その後、兄貴の嫁さんと高校生の長男はお袋の枕元まで行き正座して手を合わせた。が、それが終わるとすぐに4畳半くらいの控えの間へと引っ込んでしまった。中学生の次男などはお袋に寄り付きもせず、最初から控えの間にこもってずっとポータブルゲーム機で遊んでいたそうだ。兄貴の子どもたち2人は、東京に出てきたお袋とランチして帰るとき「バイバイー!!」と無邪気に手を振っていた当時とはだいぶ変わったみたいだ。兄貴は俺らとしばらく今後の段取りなんかについて話してたが、「ちょっと久美と話してくる」と言って控えの間に消えた。兄貴一家はそこで30分くらいワチャワチャやっていた。部屋から漏れ聞こえてくる声の感じでは、兄貴と嫁さんが何ごとか相談していて、たまに長男が口を挟むといった感じ。そして、話し声が途絶えたあたりで兄貴が出てきて「眠くなってきたから少し寝るわ」と言いながら自分のベッドルームに向かった。
嫁さんと息子たちの方は、兄貴が寝に行ってもなかなか控えの間から出て来なかった。そこへ「ヤクザ」社長が現れ「兄ちゃんおるね?」と聞いてきたので今は仮眠している旨を伝えたら、「いつごろ起きてくる?」と重ねて聞くので仕方なく控えの間の襖をノックし、出てきた嫁さんに社長の質問を伝えた。すると「4時間ぐらい寝るって言ってました」と答えたので、そのまま伝えたら「原口、芳井、中村にはアンタの母ちゃんのことを伝えとるけぇ後から連絡してみて」という兄貴への伝言を頼まれた。3人とも俺が聞いたことのない名前だったが、おそらくお袋が世話になった(あるいはした?)地元の関係者だろうと思われた。兄貴はお袋の成年後見人だから、そういう人らとも(たぶん社長を通じて)知り合っていたんだろう。社長とはそれから、さっき兄貴と話してた葬儀の段取りなんかについて話し合っていたが、その最中に兄貴の嫁さんが息子らを連れ部屋から出てきて「じゃ、私たちはお邪魔になるといけないのでいったん失礼します。私の実家でいろいろと準備してからまた戻ります」と愛想笑いしながらそそくさと出て行った。「ヤクザ」社長とは会釈だけで目も合わせずに帰って行ったのは、たぶん自分の悪評をお袋からさんざん聞いているであろう社長を避けたんだと思う。
諸々についての俺の説明が終わると、社長は「わかった。そんなら、ワシはまだ行かなならんトコロがあるけ」「夜の通夜式には戻ってくる」と言い再び出て行った。それから夕方までは、割とひっきりなしに葬儀社の人がやって来た。必要な書類に署名や捺印させられたり、お袋の名前の読みを確認されたり、誰が弔電を送って来そうかを聞かれたりみたいな、俺でも対応できそうなことは全部俺がやったが、祭壇や仏具の選定、弔辞を誰に頼むかなんてのは兄貴と相談した方が良いと思ったんで後回しにしてもらった。ちなみに、弔電を送ってきそうな相手については兄貴と「あくまで家族葬だから、お互いの職場から電報を打ってもらうのはナシにしよう」と申し合わせておいたので、兄貴がらみのところも含め「現状、送って来そうなところはない」と答えておいた。
夕方になったころに兄貴が戻ってきたので、「ヤクザ」社長の伝言を伝えた。「ふ~ん」という返事でわかったかどうか不明だったが、確実に伝えたのであとのことは放っておいた。その頃になっても葬儀社の人らの訪問は絶えなかったから、以降は兄貴と一緒に対応した。葬儀場や祭壇の装飾、仏具なんかの選択は、迷って相談してきたとき以外は兄貴に選ばせた。というのも、俺が最初お袋の好みや思い出を基準に選んでたら、値段や(本で調べてきた)慣習やしきたりを理由に逐一異を唱えてきたからだ。そんな感じで、式場に設置するレンタルの灯籠を兄貴が選び終わったあたりで嫁さんが戻ってきたので奴が報告すると、嫁さんは開口一番に「いくら?」と聞いてきた。兄貴が「五千円」と即答すると「ならよし」と言って夫婦の会話は終了。俺とレッドは思わず顔を見合わせた。もしレッドだったら、値段なんて二の次三の次で、選んだ灯籠はどのくらいの大きさか、どんな色や模様だったかを真っ先にたずねたはずだ。なぜなら、レッドにとってはお袋の好みや思い出にマッチすることが一番大事だからで、もちろん俺もそうで、でも兄貴夫婦にとっては値段の安さが何よりも重大だったらしく(「五千円」の即答→「ならよし」の流れは絶対そうだろう)、そう考えると、上手いこと似た者同士がくっ付くもんだと思った。
さて、夜になったので本来なら俺が仮眠をとる番なのだが、今夜はこのあと納棺から通夜式という段取りになっているのでそういうわけにもいかなかった。納棺に先立ち遺体を洗い清める湯灌をすることになったが、この部屋からお袋を動かさず、専門の業者さんが組み立て式の簡易浴槽&目隠しシート内でシャワーを浴びさせ、病院着から白装束に着替えさせて棺に納めるまで全てをお任せでやってくれるという。シャワーのときはこちらが指定した香り付けができるらしく、フローラル、柑橘系、アクア、ウッドの中から選ぶことができた。そこで兄貴が迷わず「ウッド(樹木)」を指定したら業者さんが「ウッドですか!?」と聞き返して微妙な空気が流れたので、見かねて俺が「お袋は花が好きだったのでフローラルで」と訂正した。「なんでウッドなんだよ?」と後で聞いたら「いや、俺が好きな匂いだから……」などと言い訳した。いや、お前の好みとか知るか。
納棺が済んだらお袋は棺ごと通夜式の会場に搬送され、俺らも葬儀社が用意してくれた喪服に着替えて会場へと向かった。会場には事前に渡しておいた写真から作った遺影が中央に飾られ、それを見てようやくお袋を「送り出すんだ」という意識が芽生えかけてきた。参列者は、とにかく「家族葬」ということで兄貴一家と俺ら夫婦、「ヤクザ」社長夫妻しかいなかったので受付は不要だったが、絶対に誰も来ないという保証もないので一応設置して、式が始まるまではレッドに座っててもらうことにした。そしたら1人だけ、県会議員と名乗る男性が受付に現れた。椅子に座ってる俺にレッドが報告しに来たので受付に駆けつけたら、あとから追いかけてきた「ヤクザ」社長が「お前なんで来たんか、家族葬て言うたやろ!」と声をあげた。すると「県会議員」は「いや、そらお世話になった人やけぇ線香だけでもあげとうて……」と言い訳した。社長と「県会議員」はしばらくゴニョゴニョ話していたが、俺のところに戻ってきて「すまんけど、こいつもお母さんの“舎弟”みたいなモンやけ、式にだけ出さしちゃって」と言った。俺は兄貴に相談しようかとも思ったが、すでに菩提寺からお坊さんが到着して挨拶してるとこだったので独断で了承した。それについては後で兄貴に報告したが別に何も言わなかった。ちなみに、この時の「県会議員」は、社長が「話だけ通しとく」と言った3人のうちの1人で(具体的に誰だったかは忘れた)、本物の県会議員だそうだ。それにしても、「ヤクザ」社長だけじゃなく県会議員まで「舎弟」にしてたなんて、お袋はこの町で一体どういう位置づけだったんだろうと改めて思った。
通夜式自体は何ごともなく終わり、お袋は棺に入ったまま元の部屋に戻ってきた。たぶん午後9時ぐらいだったと思うが、そこで俺は限界が来たので兄貴に言ってベッドルームに行き4時間ほど仮眠した。レッドも一緒に寝たが、4時間後に起きたのは俺だけだった(まあ、いつものことだ)。部屋に戻って「交代しよう」と言うと、兄貴は「ん」とだけ言って当たり前のように自分のベッドルームに向かった。これまでのトータルでいうと俺の睡眠時間の方が兄貴よりだいぶ少ないんだが、そんなことを気にしてる風には全く見えなかった。




