2017年3月(4)
それから、正午をとっくに回っていたので、レッドが気を利かせて買ってきたコンビニのパンやおにぎりを3人で食った。食い終わってしばらくすると、葬儀社の担当者が戻ってきて「家族葬」にした場合の予算案を改めて提示してきた。兄貴は予算案の内訳にざっと目を通し、「じゃあそれで進めてください」と言って担当者にOKを出した。そのあと俺とレッドはまたお袋のところへ戻って枕元に座ったが、兄貴は座卓のある部屋で突っ立ったままいろんなところに携帯で電話しだした。会話の内容から、おそらく電話の相手は仕事の関係者や自分の嫁さん、お袋の関係者(たぶん「ヤクザ」社長)ってとこだろうと思われた。兄貴の電話はいつまでたっても終わらず、「ヤクザ」社長と奥さんが到着したときも話し中だった。兄貴が電話しながら会釈をすると、いつになくシリアスな表情の社長が片手を挙げてそれに応える。奥さんは泣きはらした目で俺の腕をとり、「ゴロウくん、残念やったねぇ……私はお母さんが必ず良くなるって思いよったけぇ本当に悔しいよ」と嗚咽を漏らした。社長は無言でお袋の傍までゆっくり歩いてくると、目をつむり頭を垂れて手を合わせた。そして合掌を終えると振り向いて、電話を切り上げ近くまで来ていた兄貴と肩を寄せて相談をしはじめた。話の感じから、さっきまで電話してた件の続きといった体だった。社長は最初「いや家族葬て、あんたのお母さんの葬式にはどうしても出たいゆうモンがこの町には山ほどおるとばい」と渋っていたが、兄貴が「お袋と一緒の時間が云々」「僕のわがままとは思いますが」「弟とも話し合って」といった言い分を主張すると、結局「わかった、長男のあんたが言うことやけぇその通りにしよ」と折れた。その代わり「参列は遠慮してもらうとしても話だけは通しとかなならんモンがおるけ、その人選はワシに任せてくれな」と言うと、それについては兄貴も了承した。それから社長は出前で助六寿司の弁当を頼み、俺らに後で食べるよう言うと「いまから主だったモンにワシが伝えて回るけん」と言い残し帰っていった。
社長が帰るとまた3人になったが、今度は通夜式や葬式の祭壇、花の飾り付け等をどうするかについて葬儀社の人が入れ代わり立ち代わり相談しに来るのでゆっくりとはできなかった。というのも、相談を受けたのは俺らというよりもっぱら喪主(兄貴)だったのに、祭壇の飾り付けや花の選定に関して「俺は、こういうときどんな色やデザインにすべきか、お袋の好みは何だったかとかのセンスがないから」みたいな言い訳をして、俺とレッドを必ず相談に同席させたからだ。しかし、そう言われたところで俺だってそんなセンスはないから、結局、色やデザインについてはほとんどレッドの意見が取り入れられることになった。それらがやっと一段落し、訪問者が途絶えた頃にはすっかり夕方になっていた。その頃には社長が頼んでくれた弁当が届いていたので皆で食いながら、今夜の「寝ずの番」について話し合った。兄貴は「俺は出来れば静かな時間帯にゆっくりと心でお袋と話したい」と言い、夜中から朝にかけての当番を主張した。だから「ゴロウ達には今から夜中1時ごろまでの番を頼めるだろうか」と言うので承諾したら、「じゃあ俺は、今日は朝から一睡もしてないし先に寝かせてもらうわ」と言って個室を出ていった。兄貴が向かったのは、別の階にある故人の親族用ベッドルームだ。兄貴による事前の契約で、そういう部屋が俺らには2つ用意されていた。朝ここに来たとき葬儀社の人に中を見せてもらったが、ホテルのセミ・シングルルームとほぼ同じ設備が揃っていた。そのおかげで、こういう「寝ずの番」の交代も実にスムーズにいきそうだった。もし、もう一つあった候補の葬儀社を選んでいたらそもそも退館時間があるから「寝ずの番」はできなかったし、退館時間の前でも交代したら実家に帰らなきゃならなかった。そういう意味では、こういう葬儀社を前もって探してきて、必要な契約を全部済ませてくれていたのには正直兄貴を見直した。ただ、さっき出て行くとき「朝から一睡もしてない」って言ってたけど、それについては「俺も同じゃボケ」と思った。
兄貴が出て行ったあとは、ろうそくや線香の灯が消えないようにレッドと見守って、消えそうになったら新しいのと交換して火を継いでいった。といっても「寝ずの番」専用のろうそくや線香だから燃焼時間が長いので、ほとんどの時間はただ見てるだけだった。なので手持ちぶさたなこともあり、どちらが提案したわけでもなく自然とお袋の思い出話が始まった。レッドが最初に実家に来たとき、お袋が東京に出て来たとき、事故にあった以降は幾度となく病院を見舞ったとき、まあそれなりに楽しかったり笑えたりすることがあったのでそれを語り合った。が、さすがにテレビも何もない部屋でポツリポツリと話すだけでは睡魔に抗い難かったようで、レッドはそのうちコックリコックリと居眠りをしだした。俺はそれをあえて起こそうとはせず、少し眠かったので自分も横になってみた。するとお袋に添い寝するような形になったので、お袋の横顔を近くでまじまじ見ていたらやっぱり寝ているようにしか見えなかった。もう一度布団の中の手に触れ確かめてみると当然冷たかったが、今度は今朝ほどのショックは受けなかった。頬に触れてみた。冷たい。布団から出ている肩口に触れてみる。冷たい。…………相変わらずショックは受けないが、だんだん悲しさがこみ上げてくる。だが、不思議なことに涙があふれることはなかった。親父が死んだのはもう20年以上も前のことなのでどうだったかは忘れてしまったが、「悲しいけれども涙は出ない」……ふむ、肉親が死んだときの実感とはこういうものだったろうかと思った。その時、レッドがガチ寝に入ってコテンと倒れたのでいったん起こしてから俺ら用のベッドルームに送り出した。その後はろうそくと線香の灯を見守りながら1人で過ごし、1時を過ぎたころ兄貴が戻ってきたので俺もベッドルームに行って就寝した。
翌日は、朝7時に兄貴と交代する約束だったので時間通りに戻ったが(レッドはベッド付属のアラームが鳴っても起きなかったので放置してきた)、俺が「交代しよう」と何度言っても兄貴はなかなか寝に行かなかった。理由を聞くと、「ゆうべだいぶ寝たからまだ眠くない」と言う。確かに、俺と違って都合8時間くらいは寝ただろうから「それもそうか」と思った。そのうちレッドも起きてきたので朝飯にしようと思ったが昨日の食料はほぼ食い尽くしてたので、故人の近くを離れられない俺(といつ寝るかわからない兄貴)の代わりに、レッドに近所のコンビニかスーパーまで買い物に行ってもらうことにした。ところが、近くにそういう店がなかったとのことで帰ってくるまでえらく時間がかかった。なのでレッドが買ってきた朝飯を食ったあと、兄貴に「今後のことを考えたら何かと不便だから、今のうちに実家の車を取りに行った方がいいと思う。まだしばらく寝ないなら、その間ろうそくと線香の番を頼めるか」と聞いたらOKだったのでレッドと一緒に葬儀社を出た。まずはタクシーでJRの最寄り駅に行き、そこから電車で実家近くの駅まで移動して下車。駅からはバスで実家近くまで行って車庫からお袋の自動車を出し、再び葬儀社に運転して戻って来たらだいたい2時間ぐらいが経っていた。すると、お袋がいる個室に兄貴の嫁さんと子ども2人がいた。嫁さんが「遅くなってすいません、昨日はこの子たちの学校があったので……」とか言ってくるのを適当にあしらいながら、「なるほど、だからコイツ(兄貴)は寝なかったのか」と思った。