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悪魔ちゃん  作者: 神保 知己夫
本編
89/182

2017年3月(3)

 それからどのくらい経ったころだったか、入口のドアが開く音がして兄貴が入ってきた。「遅くなった」と言いながら靴を脱ぎ、奥の部屋まで畳の上をまっすぐに横切って来た。そして俺の横まで来ると、お袋を見下ろしながら「葬儀社の人と何か話した?」と聞いてきた。「まだ、」と答えると、「じゃあ呼んで来るわ」と言って再び部屋を出て行った。数分後、兄貴は葬儀社の担当者を連れて戻って来て、そこから葬儀に関する打ち合わせが始まった。


 最初に担当者から、明日がお通夜、あさってが葬式という大まかなスケジュールが伝えられた。次に喪主は誰かと聞かれたので、前々から話し合ってた通りに兄貴が名乗り出た。その次は菩提寺(ぼだいじ)を聞かれたので、親父が入っている納骨堂のある、実家近くの寺を兄貴が答えた。すると、菩提寺への連絡は葬儀社が入れてくれることになった。その後は、ここいら一帯の一般的な葬儀で参列するだいたいの人数、それに合わせた会場、花や装飾のコース(松・竹・梅みたいな感じだった)なんかを紹介され、最後に、その「一般的な葬儀」をやった場合にかかる予算が提示された。すると兄貴が、「いや、参列者が多いとどうしても対応に時間がとられて、母と一緒にいられる最後の時間が減ってしまうから僕は少人数で行う家族葬にしたい」と言い出した。これについては、喪主の件と違って俺も初耳だった。しかも、正直お袋が望んでた形じゃないように思えた。というのは、お袋はとにかくやたら友達が多くて、例の「ヤクザ」社長が生前「アンタの葬式するときゃ町営のコンサートホール借り切らんといかんやろ」などと冗談を言ってたぐらいだ。それに、お袋自身も大勢が(つど)うにぎやかなことが大好きだった。だからお袋自身は盛大な葬式を望んでるんじゃないのか、と思ったのだ。だが、それを言ってしまえば「喪主」に異を唱えることになる。前にも言ったが田舎は今でも「長男第一主義」なので、その長男が務める「喪主」の意見に物言いをつけた場合、仮に言い分が正しくても周りが味方に付くとは限らない。もしかしたら、あの「ヤクザ」社長ですら「ここは兄ちゃんに譲っちゃり」と言うかもしれない。それに、兄貴から見て俺の意見が「それだけはない」っていう内容で、もしそれを俺がゴリ押してきたら「じゃあお前が喪主をやれよ」という気にもなるだろう。しかし、それを言われてしまうと……やはり俺の手には余る。なぜなら、互いの適性を客観的に見ればどう考えたって兄貴の方が上だからだ。成年後見人になるときに奴が「事務的な仕事はゴローより俺の方が得意」と言っていたが、それについては俺も素直に認めざるをえない。また、葬儀の初手(しょて)の初手ともいえるこの段階で、今後の進行を気まずくするかもしれない意見をわざわざ言うべきなのか、本当にお袋が盛大な葬式を望んでいたという確証もないのに、ということも考えた。加えて、お袋というより自分の気持ちを優先させるなら、そりゃ俺だって「母と一緒にいられる最後の時間が減ってしまう」のは出来るだけ避けたい。そんなこんなを短い間にアレコレ考えた結果、俺は結局「家族葬」という兄貴の基本方針にあえて反対しなかった。しかし、その方針は最後まで葬儀そのものを縛る「足かせ」となってしまい、俺はこのとき自分の意見を言わなかったことを後悔することになる。


 担当者は、新たに出てきた「家族葬」という要望に対し「参列が見込まれるのは何人ぐらいですか?」と尋ね、兄貴はそれに「多くても10人くらい」と答えた。その答えを聞いた担当者は、「では改めて見積もりをしてまいります」と言い(すみ)やかに部屋を出て行った。ちょうどその時、後の便でやって来たであろうレッドが彼と入れ違いに入って来た。大きな自分のリュックを背負い、さらに、俺がいつも旅行で使ってる大きなリュックも手に抱えていた。ここまで2人分の重たい荷物を運んでくるのはさぞや大変だったろうと声をかけようとしたら、そんな俺の横を素通りしてお袋の(そば)まで駆け寄り、布団の上に手を置いて「お義母(かあ)さん……」と呼びかけた。そしてそのまま、無言でお袋の顔をずっと見つめている。まるで、その場にいる兄貴にも俺にも気づいていないかのように。その姿を見ながら、ああ、兄貴が来るまでの俺もきっとこんな感じだったんかな、と思った。しばらくして、その静寂を破ったのは(おそらくしびれを切らしたであろう)兄貴だった。「ミサコさん、わざわざ来てもらってすんません」と言う兄貴に、レッドが「いえ、もともと今日はお母さんのお見舞いに来る予定でしたから」と返したときの声は涙声だった。「ああ、そうだったんですか……」と言う兄貴に、俺は“いやお前それ、最初の電話でオレが言うたからな?”とか思った。それから、レッドは目頭の涙を指で拭いながら鼻をすすり、俺の方に向き直って「それで、お義母さんは最後どんな感じだったの?」と聞いてきた。そこで俺は “ああ、言われてみたら知らんわ……” と気づき、助けを求めるように兄貴の方を見ると奴も “そういや言ってなかったわ” みたいなニュアンスの声で「ああ」と言った。後から聞いたが、その様子を見てレッドは「コイツら……!」って思ったそうだ。


 そこで、いったん場を仕切り直し、兄貴がここに来る前に立ち寄った病院でお袋の担当医から聞いた説明について報告してもらうことになった。ちなみに、兄貴が病院に寄った主目的は死亡診断書の受け取りだ。とりあえず、3人ともお袋が安置されてる隣の部屋の座卓に移動し、レッドが卓上にあった茶器で()れてくれた緑茶を飲みながら兄貴の話を聞いた。それによれば、お袋の肺炎はここ数ヶ月間小康状態と小刻みな悪化をくり返していたんだそうだ。それが、この数日で急速に悪化した。具体的には、(せき)血痰(けったん)が混じる時期とほとんど混じらない時期が不定期に入れ替わる状態だったのが、大量の喀血(かっけつ)を起こすようになったという。それと同時に血中酸素と血圧が低下したため、医師は挿管による気道確保を行った。昨夜はそれで咳や大量喀血のような目に見える症状は改善したが、血圧の継続的な低下は最後まで抑えることができなかった。それで今日の午前6時半、ついに死亡するに至ったということだった。と、そこまでの説明は良かったが、唐突に「だから昨日までは持ち直す可能性があったし、もし重篤(じゅうとく)化したらすぐゴロウに知らせようと思ってた」なんて言い訳を付け足したもんだから、思わず俺も「それでも、肺炎の症状が出た時点で一応知らせてほしかった」と恨み言をいったら、「でも知らせたところで感染症だから面会なんかできなかったしなぁ……それに俺だってお袋が死ぬまで会えなかったぞ?」と返された。俺は思わずカッとなって声を荒げそうになったが、しかし、お袋の前でガチの兄弟喧嘩になるのだけは避けたかったから何とか耐えた。なのに「まあ、今さらそんなこと言ったってしょうがないだろ」とさらに追い打ちをかけて来た。さすがにブチ切れてつかみかかろうとした時、心配げな表情のレッドと目が合った。ふと気づくと、彼女は座卓の下で俺の手をぎゅっと握っている。それに気づくと、まるで憑きものが落ちたように気持ちが静まった。俺は「大丈夫」と小声で言い、軽く手を握り返す。それでレッドは安堵の表情を見せたが、そんな俺らの感情の起伏が兄貴には全く「見えてない」ようだった。前に、“自分が見たくないものは特に意図しなくとも全く「見えない」”というコイツの特殊能力について説明したが、それが今まさに発揮されていた。実際、兄貴はすでに「全て問題は解決した」と言わんばかりの清々(せいせい)した顔でレッドが淹れたお茶をすすっている。たぶんコイツは、俺が今でもこの件を根に持ってるなんて夢にも思ってないだろう。


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