2015年3月(3)
ただ、その後兄貴は、お袋の病院関連や実家を維持するための手続きや問い合わせ、支払いといった諸々の事務処理を本当に自分1人で引き受けるようになった。それまでは、たまに手続きや調べ物の手伝いを俺に頼んでくることもあったが、それも一切しなくなった。一方、週に1回ぐらいのペースで、自分がやった事務処理の詳細を逐一メールや電話で報告しつつ、自分の一存で決めるべきでない(と兄貴が思った)案件については俺の意見を聞いてきた。そうなると俺もさすがに心苦しくなり、「これまで通り俺の出来ることはやるけど?」と申し出たところ「いや、俺の方は必要経費が出てるから大丈夫。それより、俺は九州に帰っても成年後見人としてやる事が多すぎて病院に長くいられないから、その分ゴロウがお袋を見舞ってやってくれ。もっとも、そっちは自費だから毎月というわけにはいかんだろうが……」というのが兄貴の答えだった。まあ、そう言われたとしても「手伝う」と言うのが人の道なのだろうが、正直、兄貴の方針は「お袋の資産になるべく手を付けない」「そのために節約できるところは極言まで節約する」という、俺とは全くの正反対なので(俺は明確に「お袋のためになるなら資産なんかいくら減ってもいいからやってやりたい」)、下手に手伝えばお互い険悪な雰囲気になりそうだからあえて兄貴に全部任せることにした。その代わり、「お袋の見舞いを」という兄貴の希望に最大限添えるよう毎月九州に帰った。3回に1回はレッドと一緒に帰ったから、まあまあの出費にはなったが。
そんな兄貴から去年の12月、再び同じ喫茶店に呼び出された。対面で会うのは約1ヶ月ぶりだったが、お互い一言か二言挨拶したら早速本題に入った(俺たちはいつもそう)。兄貴の話を要約すると次の通り。まず、今の病院は地域の「救急医療センター」という位置づけから、急性期を脱したお袋は出ていくよう迫られている。一方で、お袋の意識が回復した場合に備え今から身体リハビリを開始しなくてはならないが、今の病院にはその施設も体制もない。よって、兄貴が見つけてきた、意識のない患者にもリハビリを施してくれる病院に転院させたいと思うがどうか?ということだった。その提案に対し、俺は「どうもこうもない、全面的に賛成だ」と答えた。そんなワケでお袋の転院が決まったが、転院当日は兄貴がどうしても仕事の都合で立ち会えなかったため、俺とレッドが代わりに立ち会うことにした(それまでずっと兄貴に任せっきりだったので喜んで引き受けた)。ところが、転院搬送されたお袋が病室に入った後に顔会わせした新しい担当医から、いきなり「1ヶ月で出ていってください」と言われた。「あの、兄からは3ヶ月入院できると聞いているんですが……」と言うと、「それは回復の見込みがある患者さんの場合です。ですが脳画像を見る限り、お宅のお母さんはそうじゃない。当院は回復する見込みのない患者さんには早期に転院していただく方針ですので」と言い返された。そのまま、「次の診察時には転院先を決めて来てください」と言われ俺らは追い出された。それにしても、転院したばかりですぐまた転院しろとは「また困ったことになった……」と思い、九州に帰った時はいつも報告に寄っている「ヤクザ」社長のところでついグチをこぼしてしまった。すると社長は「それはおかしい!」と言って、すぐに出て行った。それから1時間ぐらい、社長の会社の事務所で奥さんと一緒に待っていると社長が戻ってきた。そして戻るなり、「安心しぃ。3ヶ月は居れるようになったばい」と言った。聞くと、ここを出てすぐ例の病院に行って担当医に詰め寄ったらしい。「治る見込みがないとか、言われた家族がどう思うか考えんとか!」と叱りつけると「そんなつもりは……」とタジタジになったそうだ。社長がこんなに強気に出れるのは(後から聞いた奥さんの話によると)その病院の院長と懇意にしているからだそうだ。ちなみに、社長はこの病院だけじゃなく、近辺にある病院のほとんどに地域貢献の一環として寄付をしたり若手医師の経済支援をしているので、地域の医療界では名の知れた「顔役」らしい。俺とレッドは本当に有り難くて社長にひとしきり礼を言ったが、その時、社長が出て行った時とは違う高級スーツを着て青いネクタイを締めているのに気づいた。これも奥さんによると、ここ一番で社長が着る「戦闘服」なんだそうだ。いずれにせよ、社長は事故当日に「(お袋の)舎弟なりに忠義を尽くすけんね」と言った約束を、言葉通り息子である俺たちに果たしてくれた。
それからは特に何ごともなくリハビリ病院での3ヶ月が過ぎていった。そしてまた転院する時期になり兄貴に呼び出されたのだが、今度の転院先はリハビリでなく、清拭や口腔ケアといった介助に重きを置いた病院に変えたいと提案された。実は、それについては俺も思うところがあった。というのも、お袋のリハビリには何度か立ち会ったが、その都度お袋は苦痛にひどく顔を歪ませるので見ているこっちが辛かったからだ。リハビリを行う療法士からは「これは本当に苦しんでるのではなく不随意的な反射です」と説明を受けたが、それがわかっていても正直見ていられなかった。なので、今回も兄貴には「全面的に賛成だ」と答えた。そして、今度もまた兄貴はすでに転院先を決めてきていたが(今のところ結果オーライだから何も言わないが、できれば事前に相談してほしいという本音はある)、その病院はこれまでと違い入院期間に制限が無いということだった。なので、これからしばらくはお袋に「ゆっくり」と身体を休めてもらい、リハビリについては、もし意識が戻りそうな兆候なり反応なりが現れたら改めて考えることにしたいという。それについても俺に依存はなかったので、その後は兄貴の提案通りに事を進めてもらった。そして今に至る、というわけだ。今の病院は医師にも看護師にも不満はなく、お袋も日々平穏に毎日を送っている(意識がないことを除けば)。俺の気持ちもだんだん落ち着いてきたんで、そろそろ「そっち側の事情」も聞こうと思って今日は来た。
“そう。ところでお母さんが事故にあったとき、どうしてすぐに来なかったの?”
そりゃあ、ここに来りゃアスタロトが仕組んだだの、お袋が「ラスボス」だの、魂の浄化とか形質だとか、神と悪魔の確執とか、そんな話を聞かされることになるだろ? 正直、事故直後はそのテの話を聞きたくなかったんだ。
“まあ、無理もないわね。それで? 今は「そんな話」を聞いても平気なの?”
そうだな。ていうかむしろ、最近は「お袋は女神級のはずなのに何でこうなった?」とか「悪魔ちゃんやアスタルテは事故のとき一体何してたんだ? その後も何してた?」とかが気になってきた。
“じゃあ説明するけど、……本当にいいのね?”
ああ。気持ちの準備は出来てるから、何を聞いてもいきなりブチ切れたりはしないよ。
“わかった。まずはアンタが言った通り、お母さんの事故はアスタロトの企みによるものよ。なぜこの時期に?って思うかもしれないけど、それにあまり意味はないわ。アンタと母親は、生まれた時から悪魔や魔界の住人に絶えず監視され攻撃を受け続けてきてるって話は前にもしたわよね。その攻撃が、たまたま今回は母親を守護する天界の加護が弱まったタイミングと重なって「当たって」しまっただけ。”
なんで天界の守護が弱まったんだ?
“知らないわよ、そんなこと。天界側から接触して来ない限り意思疎通なんてできないし、向こうの情報も私たちには一切入って来ないから。だから、事故のとき私たちが何をしてたかって聞かれても「何もしてなかった」としか答えようがないわ。なんせ私たちは一貫して「蚊帳の外」だったんだから。でもね、私は「魔神」でもあるから悪魔側の事情なら少しはわかる。だから、アスタロトがアンタの母親の肉体を毀損したことで、かえっていま窮地に陥ってるってことは知ってる。”
? なんでそうなる?
“アンタの母親と直接対峙することになったからよ。事故で肉体の頸木から解放されほぼ魂だけの存在に戻った彼女は、悪魔や魔界がこれまで干渉してきた経緯を全て知ることになった。その中でも、アンタが最近堕落させられてオーバードーズで殺されかけた件には大激怒したわ。だから即座に天界の郎党を引き連れてアスタロトに直接反撃を開始した。そうなるとお母さんってやっぱ「女神級」だからねー、アスタロト単体では到底勝ち目なんてなかったの。だから奴は魔界の仲間に片っぱしから助力を求めて、なんとか今は膠着状態に持ち込んでるってところ。”
うーん、もしお袋がそこまで強いんだったら、攻撃が上手くいっても逆にカウンター(反撃)くらって自分の方がヤバくなることぐらい俺でもわかるけどなあ。アスタロトってもしかしてバカなの?
“ではないけれど、神性を前にして攻撃せずにはいられないっていうのは、ひょっとしたら彼ら自身にも抗いがたい「本能」なのかもね。もしくは、天界の加護が弱まった今回のタイミングって私から考えてもちょっと「不自然」だから、もしかしたらアスタロト側が攻撃するように陥れられたのかも……。”
ふーん、まあいいや。それより、俺が今日一番聞きたかったこと聞いてもいいか?
“いいわよ。”
お袋の意識は戻るのか? いつ、っていう時期までは無理なら答えなくてもいい。いつまでかかってもいいから、最終的にはお袋が「戻ってくる」って考えてていいのかだけでも答えてくれ。
“それは、お母さん次第よ。”
…………。 ……理由を聞いてもいいか?
“いま激高しそうになったわね、……よく耐えたわ。お母さんはね、今すぐ「戻ってくる」と深刻な後遺症が避けられないのを懸念してるの。そうなったらあなたを護れなくなるから。もちろん、意識が戻ればアスタロトとの確執に関する記憶は失われるわ。でも魂の形質が損なわれていなければ、その発露で無意識にあなたを護る行動をとることができる。ただし、それでも肉体の損傷が一定限度を超えていれば、形質の十分な発露が阻害されてしまう。そうなるとあなたを完全に護りきれなくなるから、今は「戻ってくる」べきじゃないとお母さんは考えてるの。”
じゃあ、もし肉体が十分に回復すれば……
“「戻ってくる」こともありうる。でも、それは正直難しいわ。だって、アスタロト側と全面対決しながら、あなたに攻撃が向かわないかを常時監視しつつ防御しなきゃならない。そこに加えて、自身の肉体を修復することにまで力を割くっていうのは……。”
いや、俺の方は護らなくたっていいよ。だからそれを伝えてくれ、って、ああそうか。お前らの方から意思疎通することはできないのか…… いや、待てよ。なら、どうしてお袋が「戻ってくる」のを逡巡してるってお前にわかった?
“そう、本来ならわからないはず。それがわかったのは、今回は天界の方から私たちに接触があったから。そして、天界からお母さんの意向を伝えられたわ。私たちに「しばし、ゴロウの守護を頼む」って。”
そうだったのか。じゃあ、お袋は自分の肉体の修復もあきらめてないんだな?
“ええ。でも、それでも修復は困難ってことだけは頭に入れといて。お母さんの脳がどのくらいダメージを負ったかは、あなたも担当医から聞いて知ってるでしょ? お母さんの力をもってしても、今回はもしかしたら難しいかもしれないの。”
いいよ、それでも。少しでも希望があるって聞けただけでも、今日のところは十分だ。
“わかったわ。……頑張ってね。”
ああ。