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悪魔ちゃん  作者: 神保 知己夫
本編
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2015年3月(2)

 それから数日間、俺と兄貴は実家に寝泊まりし、ガレージに置いてあったお袋の自動車で連日病院に通うことになった。担当医はお袋の容体を「低位安定」とは言ったが、しばらくの間はいつ急変して危篤状態になってもおかしくないとのことだったので毎日様子を見に行く必要があったからだ。そんな中、確か事故後2日目ぐらいだったかと思うが、俺が運転する車で病院から帰る途中、兄貴が「まあでも、お袋は昔から運が強かったしそのうち意識が戻るんじゃないか?」みたいなことを言った。俺は、コイツ担当医の話を聞いてなかったのかよと思い、ついイラっときて「なわけねえだろ。瞳孔が開いて自発呼吸がない時点でもう詰んでんだよ!」と言い捨てた。兄貴はそれ以上何も言わなかったが、果たして、事態はその後兄貴の楽観的な予想に少しだけ寄せる形で推移した。まず、お袋の脳には事故以前から動脈(りゅう)があったが(事故後のCT検査で判明)、今回の疾患による刺激で破裂する恐れがあり、もし破裂すれば今度は助からないと言われていたがそれが起きなかった。次に、3日目あたりから脳の()れが徐々に引いていき、それにともなって血圧や体温も通常時に近いレベルになって安定してきた。その結果、なんと1週間後には自発呼吸が戻ってきた。その頃には内臓も本格的に活動を再開した兆候が見られたので、栄養補給の点滴を止め口から流動食を流し込んでみたら消化が始まったそうだ。担当医は「今度は自信を持って、生命の危機を脱したと言えます」と宣言した。その結果、お袋はICUから一般病棟に移ることになった。さすがに意識が戻るところまではいかなかったが、事故当日に聞かされた状況から考えると、まさに「奇蹟」と言っていい劇的な変化だった。


 ところで、この1週間、俺と兄貴は実家と病院を往復してただけじゃなかった。突然「社会生活」から離脱することになったお袋に代わって、いろんな手続きや挨拶回りをしてまわっていた。具体的には、実家の固定電話の通話履歴を見たり郵便物を片っぱしから開封して、税金や光熱費の支払いはどうなってるか、何か定期購入してなかったか(新聞とか牛乳とか)、最近はどんな人と連絡を取り合ってたか等を調べて、それぞれの関係者に電話したり訪問して回ってた。その間レッドには電話かメールで状況を知らせてたが、事故後3日目には職場に休暇届を出して九州に来てくれた。なので、それからは俺と兄貴とレッドの3人で手分けして、いろいろな調べ物や電話連絡をする体制に変わった。レッドはこっちに来るとき俺のノートPCを持ってきてくれたので、ネットでいろいろ調べたり、会社に状況をメールで報告するのが大いに(はかど)った。あと、手続きや挨拶で外出する時にも基本的に3人で行った。初日からお世話になった「ヤクザ」社長のところには毎日顔を出して逐一状況を報告してたが、最初にレッドを連れて行ったとき、社長も奥さんも「ああ、あんたがあの(・・)ミサちゃんね?」とたいそう嬉しそうな顔をした。俺もレッドも「?」となったが、聞くとお袋が何かにつけて東京に行った時の思い出話をし、レッドがまるで実の娘のように良くしてくれたと自慢してたので、社長らは「なんか前から良う知った人のような気がしとったんよ」と言った。ちなみに、兄貴の嫁さんが九州に帰って来ることはなかった。もともとこっちが地元で専業主婦だから帰って来れそうなもんだが、子どもがいるのでそうもいかなかったのかもしれない。兄貴とは毎日電話で連絡を取り合ってたそうだ。


 そんな感じでお袋の容体が安定したので、社長らとも相談してひとまず俺も兄貴も東京に引き上げることになった。そして、俺らが東京にいる間、急きょ病院に駆けつけなきゃならない事態が発生した時は社長らが対応してくれると請け負ってくれた。俺としては、大変有り難いと同時に心苦しくもあったが、今回の経験から何かあっても最短で5時間ぐらいあれば東京から帰って来れそうだとわかったので、それまでの間だけお言葉に甘えることにした。東京に帰った翌日から職場に復帰したが(言いそびれてたが、その後結局転職したので、ここで「職場」と言ってるのはDBCのこと)、上司に状況を報告して同僚に不在を詫びた後は普段通りの毎日に戻った。九州で起きたことがまるで夢だったかのように、東京での毎日は以前と全く変わらなかった。


 東京に戻ってしばらく経った頃、「相談がある」といって兄貴に呼び出された。転職前の会社と違ってDBCは兄貴の会社から地下鉄2駅分くらいしか離れてないので、中間地点ぐらいにある喫茶店で落ち合った。兄貴の話は「自分がお袋の成年後見人(せいねんこうけんにん)になりたい」ということだった。俺も兄貴も九州でお袋の代わりに手続きをしてて痛感したのは、実家の税金や光熱費、病院の支払い等で出費が必要となったとき、お袋の銀行口座から払おうと思っても本人の委任状がないと引き出せないということだった。でも「成年後見人」になれば、お袋の預金を引き出せるのはもちろんのこと、何か新しい治療を受けることになったときの同意書にもサインできる、といったように本人とほぼ同等の法的権利を行使することができるそうだ。ただ、「成年後見人」に任命されるには地元(九州)の家庭裁判所で審査を受けなければならず、また任命後も、例えば預金を使った場合は「何に使ったか」を逐一家裁に報告して私的流用がないかのチェックを受けなきゃならない。ようは、正直いろいろ面倒なわけだが、もしそれをしなければ入院費や税金、公共料金といったお袋関連の出費はいったん俺らが全部立て替えることになるらしい。そして、その金が戻ってくるのはお袋が亡くなって、正式に俺らが遺産を相続してからになるという。俺は「別にそれでいいじゃねえか」と思ったからそう言ったが、兄貴は「いや、それじゃ経済的にも精神的にもお互いもたないぞ」と強く主張してきた。その上で、家裁で審査を受けるための手続き一切を自分が全部引き受けていいと言う。ただそれには、兄貴を「成年後見人」に推薦する「親族意見書」に俺がサインする必要がある。でも、もし自分が「成年後見人」になったら、病院や各種公的機関の支払い・手続き、家裁への収支報告等の事務処理全般は自分がやるので、俺には今後一切面倒をかけなくて済むようになるという。しかし、「それだとあまりにも兄貴側の負担が大きすぎるのでは?」と疑問を呈すると、「いや、その代わり俺が東京と九州を行き来する交通費や宿泊費は全部お袋の預金から出るようになる。お前の方は、悪いが後見人じゃないから九州に行くときの費用は全部自腹だ。でも逆に言うと、俺が汗をかく分の釣り合いはその“不公平”で十分に取れてると思うよ。それに、正直こういう事務的な仕事はゴローより俺の方が得意だから」とか兄貴に言われると、なんとなく「そうかもな」という気がしてきて、結局「親族意見書」に署名・捺印してしまった。ただ、実を言えば俺も、何か裏の意図があるんじゃないかと疑わなかったわけじゃない。だが、この場合考えられる「最悪の結末」は兄貴によるお袋の資産の横領・着服といったトコロだろうが、結論からいうと俺はそれを「やむなし」と考えた。なぜなら、俺はお袋の財産をアテにしてなかったし今後もする気はないからだ。といっても、もし横領の明白な証拠が見つかれば法的な責任はキッチリとらせるが。ただ、賠償なんかで金が戻ってこなかったとしてもそれは別にかまわない。


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