2015年3月(1)
久しぶり。
“そっちの事情は察してるけど…………ここではやっぱり、今どういう状況なのかを説明してもらっていい?”
ああ。お袋が去年の10月に転倒事故を起こした。車で買い物に出かけて帰宅した時、実家の門扉前で両手に買い物袋を下げたまま仰向けに倒れた。九州の実家は道路から3段ほどコンクリの階段を上らないと門をくぐれない構造になっているので、それが余計にダメージを大きくしたようだ。後から聞いた医者の話によると、お袋はアスファルトの地面に後頭部を激しく打ち付けて急性くも膜下出血になったようだ。転倒とほぼ同時に意識を失ったが、大きな音に驚いて外を覗いた隣人がすぐに状況を察知して救急車を呼んでくれたため、その場で亡くなるという事態だけは避けられた。
ちょうどそのころ、俺は「巫女」の店(いわゆる風俗店)の待合室で自分の順番が来るのを待っていた。すると突然、着信を知らせるスマホのバイブ音が鳴った。普段はこういうとき絶対に出ないんだが、発信元を見ると九州の局番なのに知らない番号からだったので、何か嫌な予感がしつつも応答ボタンを押した。通話相手の第一声は「ゴロウくん、大変なことになったよ。お母さんが救急車で運ばれて行きんさった」で、かけてきたのは救急車を呼んでくれた隣人だった。その人はお袋が搬送された病院名も教えてくれた(後から来た警官に調べてもらったそうだ)。その瞬間、俺はまるで背中に冷水を浴びせられたような気分になったが、「すぐに病院に駆けつけます」とだけ言い、重々お礼を伝えてから早々に電話を切った。この時点では必ずしもお袋の容体がそこまで悪いとは思っていなかったが、とにかく現地に行かないと話にならないと思って九州行きを即断した。当然「巫女」の予約もキャンセルした。とはいえ、東京から九州だ。今は昼過ぎぐらいだから、どんなに急いだって向こうに着くのは夜になるだろう。それだけに一刻も早く出発すべきだと思ったので、自宅には帰らずそのまま空港行きの電車に乗った。車中で空港に到着する時間をスマホで調べ、その時刻に一番近い航空便をネット経由で予約した。空港に着くと、すぐさま(この時生まれて初めて買った)電子チケットをスマホに表示させて保安検査のゲートをすり抜けた。そして搭乗するまでのわずかな時間、レッドに電話して現状を説明した。レッドは「わかった。向こうに着いて詳しいことがわかったらまた電話してね」とだけ言った。会社の上司にも電話すべきか迷ったが、この日は休日だったので後日連絡することにした。
福岡空港に着くと地下鉄で博多駅へ、博多駅からJRで病院の最寄り駅へ。駅からタクシーに乗って目的地の病院に着いたのは21時を回った辺りだった。表玄関は閉まっていたので夜間受付口に行き事情を話すと、ICU(集中治療室)入院患者の家族控え室に通された。俺は、いざ来てみると大部屋の病室で大事に至らなかったお袋が出迎える、なんていう展開も少なからず予想してたので「ICUにお袋がいる」という事実に正直落胆を禁じ得なかった。控え室では、お袋が普段から仲良くしてもらってる地元中小企業の社長の奥さんが出迎えてくれた。奥さんは涙声で、お袋が路上で倒れ頭を怪我したこと、病院に運ばれて緊急手術を受けたこと、手術が終わって今はICUにいること等を話してくれた。でも「医学的なことは私はわからんから……」と、後は担当医に話を聞くよううながされた。その時、兄貴も今こちらへ向かってるとのことで(隣人がそちらにも電話してくれた)、奥さんは一応気を遣ったのか「先生に説明してもらうのは兄ちゃんが着いてからにする?」と聞いてきた。これがなぜ「気遣い」になるのかというと、ウチの実家があるような田舎ではとにかく「長男第一主義」なので、「お宅は長男さんに相談せずに何か決めても大丈夫?」という意味で確認してくれたわけだ。しかし、兄貴は新幹線で来てるそうなので到着がいつになるかわからんし、レッドにも出来るだけ早く伝えてやりたいから、とりあえず俺が先に話を聞くことにした。その代わり、後で兄貴に伝える時のため、奥さんにも証人、というか立ち会いの意味で同席をお願いした。
奥さんが看護師さんに「息子さんが来られました」と伝えると、同じ階にある診察室に案内された。そこでお袋の担当医と顔会わせをして、お袋の頭部レントゲンや3Dの血管画像を見せられながら話を聞いた。それによると、まず、ここに運ばれてきた時点では見られた瞳孔反射(光を当てると瞳孔が収縮する反応)と自発呼吸が時間がたつにつれ次第に弱っていった。原因は、外傷性くも膜下出血による脳浮腫(脳のむくみ)だと思われる。そのまま放置すれば脳死に至るので、当院で頭蓋骨に一時的な穴を明ける手術を行い浮腫の圧力を逃がす処置を行った。その結果、今は、症状の改善が見られないものの悪化することもない「低位安定」の状態にある。ひとまずは死をまぬがれたと思うので、このまましばらくICUで様子を見たい、ということだった。医師の説明が済むと「お母さんに会われますか?」と聞かれたので「是非」と答え、感染防止用のマスク、キャップ、ガウンを着けてICUに入った。
そこのベッドに、病院着を着たお袋は寝かされていた。頭部全体は白いネット包帯で覆われており、それを透かして、手術のために髪が剃り上げられた左側頭部、その地肌を痛々しく這う縫合跡が見て取れた。目は閉じており、そこだけ見れば実家にいる時と何ら変わらない寝顔だった。眉間にシワも寄っていない。ただ、自発呼吸ができないので口には人工呼吸用の結構太い管が挿入されている。そんなお袋の姿を、俺はしばらく、何とも形容しがたい悲しみと寂しさの中間みたいな感情で無言のままずっと眺めていた。ただ、機械がお袋の肺に空気を送り込む「シュー、シュー」という周期的な音だけが響いていた。そのとき、一緒に入室した奥さんが「ゴロウくん、手を握っちゃりぃ」と言ったので、はっとしてお袋の手を両手で握りしめた。…………暖かかった。なんだか、先ほどの寂寞と感情が少しだけ溶かされる気がした。この時、このまま逝ってしまわなくって本当に良かったと心の底から思った。
そこへ、同じようにマスク、キャップ、ガウンを来た兄貴が入ってきた。「先生(医師)の話は聞いた?」と俺が尋ねると「うん」とだけ答えて、あとは俺と同じようにお袋を眺めていた。「そうか、担当医は兄貴にも説明したのか。じゃあ奥さんに同席してもらう必要はなかったな」とかお袋の手を握りながら考えていると、奥さんが兄貴にも「手を握っちゃって」と言ったので俺は手を離したが、兄貴はお袋の手ではなく肩口をずっとさすっていた。
ICUを3人で出ると、奥さんを迎えに来た中小企業の社長さんが廊下で待っていた。ふと気づけばもうとっくに12時を過ぎ日付も変わってたので、各々いったん帰宅しようということになった。俺と兄貴は電話でタクシーを呼ぼうとしたが、社長は「この時間やったら電話してもなかなか来んやろうけウチの車に乗って行き」と申し出てくれた。実家まで送ってもらう車の中、社長はお袋との「出会い」について話してくれた。最初は、社長が支援する町長選挙の候補者の事務所に、お袋が単身乗り込んでクレームを言いに来たのがきっかけだったそうだ。その時のお袋は、対立候補の陣営が流したウワサというかデマを信じてて完全に社長を「敵認定」していた。そこで社長がウワサの1つ1つについて「真相」を説明していったが、正直、お袋の誤解が解けるとは思っていなかったそうだ。ところが、お袋は話を全部聞いたあと「うん、アンタの言うことの方がスジが通っとる。こらぁ、どうもアンタの方が正しかね」と言った。そんな、意外にも公平なモノの見方をするお袋に社長がひとしきり感心していると、お袋は続けてこう言った。「ところでアンタ、スジモン(ヤクザのこと)ね?」 確かに、社長の見た目はまさしく「それ」だ。社長は「ヤクザ顔」、それは誰もが思ってるが決して口には出せないことだった。俺と兄貴がその話にこらえきれず吹き出してしまうと、社長も自ら大笑いしながら「やけんさ、ワシはアンタらの母ちゃんの舎弟よ。舎弟は舎弟なりにな、これからも忠義を尽くさせてもらうけんね」と言った。笑いながらも、最後は涙声だった。