2012年7月(2)
“まず、結婚式の以前と以後ではアンタと「する」ことの意味合いが全く変わってしまったから。今やアンタとの「行為」は「子作り」に直結するのよね?”
ああ、結婚式が終わったら作ることになってたからな。でもそれって、もともとレッドから提案したことなんだぜ? それまでは本人が強く望むから毎回避妊してたけど、式の直前に「そろそろ作ろっか」って自分から言い出したんだ。それ以降ずっと俺はその気でいたから、こないだなんて笑顔でゴマかしながらも頑なに拒み続けるレッドについ声を荒げちまった。そしたら翌日ベソかいてて、俺も本当に申し訳ないと思ったから「ゴメン」って謝ったら「いいよ」って許してくれたけど、気持ちが落ち着くのを待ってなぜ拒むのかを聞いてみたら結局「わかんない」としか答えなかった。なあ、ホント意味わかんないんだけど、お前どうやってあいつをあんな状態にできたの?
“あのね、さすがに彼女が子どもを作ることに何の不安も抱えていなかったら、私にだってどうしようもなかったわよ。彼女は彼女なりに拭いがたい不安があったのよ。”
不安って、どんな?
“そりゃ、すでに妊娠しにくい齢になってるし、高齢出産なんだから健康リスクもあるし、産んだ後の育児とか働き方に何の展望もないし、にも関わらず脳天気にセックスしたがる夫はいるし……”
ああー、そういうことか。でも、そんなら言ってくれりゃあよかったのに。
“だから、「子作りしよう」って言い出したのは自分だから、彼女の方からは言い辛かったんじゃないの! その分、アンタが察しろって話だよ。でもまあ、その辺りはどこの夫婦でも大なり小なりある不安だから決定的なものじゃないわ。彼女の中で一番大きかったのは、子どもが出来たら「アンタの一番」が自分じゃなくなるかもしれない、ってこと。”
ええ!?本当かよそれ。だって「子どもにパートナーを取られる」みたいのは、普通は妻じゃなく夫の方がもつ不安なんじゃないの? それに、俺そこまで「子煩悩」になりそうな自覚もないし、客観的にみたってそんな兆候ないと思うんだけど。
“そうね。確かに、もし私が干渉していなければ彼女がそこまで不安になることはなかったと思う。でも、「あなたへの執着」を私が植え付けたことで彼女はそうなってしまった。そして今回、私はそれがわかった上で、さらに彼女の「執着」を煽って何倍にも増幅した。その結果、レッドはあなたの愛情を根こそぎ奪ってしまいかねない「我が子」が生まれてくることを何よりも恐れるようになった。だから、あなたとの「行為」を一切拒むようになったの。”
……なるほど。それが、さっき「お前のせいか?」って聞いたとき「そうだ」って答えた理由か。
“ねえ、もうわかってるんでしょ? なんで私がそんなことをしたのか。”
まあ、お前が「子作り」の話を持ち出した瞬間にわかったよ。原因は、俺が昔アスタロトと交わした契約だろ? この作品の初めの方、サブタイトルが「1997年12月」のエピソードに書かれてるな。それの再掲になるけど、該当箇所を改めてここで引用しておこう。
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そうさな、まず今のまんまじゃ博士号どころか修士号とるのすらおぼつかねぇ。アスタロトはすべての学問と知識を司るときく。俺に超自然的な力をもって、大いなる知の力を授けよ。それに、勉強がうまくいっても、いまはハッキリ言って経済的に苦しい。我に富を与えよ。多くは望まん。生活できるだけでいい。
〝よろしい。では、それと引き替えに貴様の魂の成長分をいただく。なお、これより先に生まれる貴様の子供の魂を担保とする。担保の回収条件は、子供が生まれるまでに心からの平和を他人に与えることができぬ場合だ。それから、貴様の望みを実現するために、貴様の精神と肉体の半分を徴発する。〟
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これで一番問題なのは、「担保の回収条件は、子供が生まれるまでに心からの平和を他人に与えることができぬ場合」って部分だろうな。やっぱ今のオレじゃ、例えば、レッドやお袋にも「心からの平和」は与えられてないのかな?
“アンタの母親が「他人」といえるかは定義上の問題だと思うけど、どっちにしろダメね。レッドには現在進行形で不安を与えてるし、母親には、「心からの平和」を与えるどころかアンタの方が与えられてるっていう関係性よ。それに、アンタの母親は魂の形質からいってあくまで「与える」側の存在であって、「与えられる」側に回ることは決してない。”
じゃあ、もし俺らに今子どもが出来たら……
“アスタロトに回収されるわ。”
でもちょっと待ってくれ、そういや俺とアスタロトの関係性は「前の悪魔ちゃん」が自分の消滅と引き換えに断ち切ってくれて、その後、俺の魂の所有権はお前の本体であるアスタルテに移ったんじゃなかったっけ? だったら……
“そうよ。でも、所有権の移転はアンタの子どもにまでは及ばないわ。むしろ、だからこそアスタロトにはアンタの子を回収する正当な権利があるの。だって借金で例えるなら、返済義務のあるアンタが踏み倒して逃げたような状態だものね。その場合、貸し主であるアスタロトは大手を振って担保を差し押さえることができる。そうでしょ?”
じゃあ、お袋の「加護」は? お前言ってたよな、俺が「女神級」のお袋の「加護」ってヤツで絶対的に護られてるって。その「加護」は……
“レッドまでなら、「義理の娘」ってことでアンタと一緒に護られてるわ。でも、アンタの子どもは……気の毒だけど対象外よ。”
なんでだよ、俺の子どもだってお袋の「孫」じゃねえか。なんでお袋は護ってくれないんだよ? おかしいだろ!
“子どもは「親」が護るものだからよ!! だからアンタのお母さんは、アンタ達を「子ども」として全身全霊で護ってるじゃないの。そして!アンタの子どもは、本来ならアンタ自身が……”
全身全霊で護るべき存在だった。それを俺は、あろうことか悪魔なんかに売り渡しちまった……のか。
“そんなことお母さんだって夢にも思ってないわよ。そもそも全く想定してないんだから、彼女の「加護」が及ばないのも当然の話よ。”
自業自得ってことか。……だったらさ、一切合切を覚悟の上で、それでもあえて産んで、その後は俺が命をかけてアスタロトから護るっていうのは駄目か? 文字通り、子どもが助かるんなら俺は死んで地獄に堕ちたっていい。それで何とか助けてやれないか?
“本気? 護りきれなかったらどうなると思うの? アスタロトとこんな会話をしたことも忘れたの?”
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もし、もしだ。将来俺に子供が生まれたら、その子を差し出すといったらどうする?
〝魂をいただく。〟
殺すのか?
〝殺すとすれば、出産前か新生児の段階だ。赤子の魂は、我々が力を発揮する際のよい触媒になるからな。他には、その子を我々と現実世界とのパイプ役として使うことも考えられる。〟
オーメンのダミアンみたいなもんか?
〝そのような通俗的な理解しかできぬなら、そう考えてもよい。〟
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“母親と違ってほぼ無能力と言っていい今のアンタじゃ、とても子どもを護り切ることなんてできないわ。そしたらアンタの子はこんな目に遭わされるのよ? アンタそんな危険な賭けに、この上まだ我が子をベットしようっていうの!?”
……どうにもならないか。いや、いいよ、わかった。ちょっと言ってみただけだ。だいたい、俺自身はそこまで子どもが欲しいわけじゃない。それに、もともとの相談事はセックスレスだったわけだしな。それだって、今のレッドとの暮らしにヒビが入るくらいなら別に解決しなくたっていいんだ。
“そうね、きっとそれが賢明よ。とはいえ、きっと「子どもを作らない」という選択をしたことは、後々まで尾を引く後悔となってあなたを責め苛むことでしょうね。でも、それでも、無理に子どもを作ろうとして残酷な悲劇に見舞われるよりは遥かにましよ。そうなればおそらくレッドは立ち直れなくなるだろうし、2人の間にも永遠に癒えない傷がきっと残ってしまうから。だからレッドのためにも、我が子をあらかじめ売り渡してしまった代償として、あなたには自分だけが苦しむ道を選択してほしい。それはつまり、彼女には何も言わず、自らに課した「子どもを作らない」という誓いを密かに貫き通すということ。そして、それは私とアスタルテの総意でもあるわ。あと、これは想像だけど、お母さんを守護する「神」クラスの勢力もおそらく近い意見なんでしょう。そうでなければ、何らかの形でこちら側の動きに干渉してきてると思うから。”
わかった。まあ、何にせよレッドの不安が取り除けるなら俺はそれでいいよ。
“お願いね。あ、そうそう。セックスレスの方は、アンタが今後も避妊を継続してくれそうって心証が得られればレッドの方も応じてくれるようになると思うから。”
そうなの? 俺としては、今もまあまあ「巫女」の店には行ってるから、無いなら無いで何とかならんこともないけどな。
“だめだコイツ”