2010年6月(1)
えっと、久しぶり。
“はい、ご無沙汰。とりあえず、この3年間にあったこと全部話してくれる?”
んー、日本経政総研を辞めるときの挨拶で「専門学校で非常勤講師のアルバイトをしながら、博士号取得のための研究と論文の執筆に専念します」って言ったけど、最初のころは本当にその通りの生活をしてた。博士論文の研究テーマは「環境汚染を削減しつつ経済成長するのは可能かを検証するコンピュータシミュレーション」だったんだけど、シミュレーションに使うプログラムは、入り直した理系大学院の研究室で代々引きつがれてきたものを改良して使うよう指導教官に言われた。でも、そのプログラムには致命的なバグ(不具合)があったんだよ。それを指摘した上で、プログラムはゼロから俺に作り直させてほしいって申し入れたんだけど指導教官は許してくれなくて、あくまで「引きつがれたプログラムの改良で何とか頑張れ」って態度だった。だから俺の方も一応改良に改良を重ねたんだけど、もつれた糸をいじくってるうちに余計グチャグチャになるように、プログラムも全然まともに動かなくなり収集がつかなくなった。
そうなるとモチベーションもダタ下がっちまって、何かもう研究が全然手につかなくなった。その一方で、非常勤講師のアルバイトのギャラはまあまあ良くて、土曜の午前と午後ぶっ通しで講義をすれば1日で4万は稼げた(たぶん、証券系の資格をとるコースで「経済学原論」を教えるっていうニッチな分野だったからと思うけど)。ってことはさ、週に1日働くだけで月16万の収入になるってことじゃん。もちろんそれだけじゃちょっと足らなかったけど、日本経政総研を辞めた時の退職金とかもあったし、それを少しずつ切り崩していけば経済的にレッドに頼らなくても最低限の生活は維持できた。というワケで、んー、なんて言うかなー、専門学校のバイトに行く週末を除いて、平日は家でネットとゲーム三昧っていう、ほぼ「引きこもり」の生活に転落した。それもあっという間に。
その頃の俺の生活は、朝出勤するレッドを見送ったら布団に入って眠り、午後のワイドショーをやってる時間に起き出して何か適当に飯を食う。ちょっと「プレステ2」でゲームやってから、外出してスーパーで夕食の材料を買い出し。レッドが戻るまでに米を炊いてオカズを1、2品作り、帰宅したレッドと一緒に晩飯を食う。飯の後は夜のテレビを一緒に観て、12時を過ぎた辺りでレッドが先に就寝する。その後は1人で深夜アニメを視聴。アニメが終わったらネットの掲示板に今日の作品批評を投稿。そこで他のオタクと作品の評価をめぐってレスバトル(ネット上の口ゲンカ)をしてるうちに夜が明けてくるので、レッドを起こして朝飯を食わせてから仕事に送り出して寝る、といったローテーションだった。
“よくそんな生活レッドが許したわね。”
いや、許してねえよ。朝見送る時はだいたい「プレステ2」でゲームやってんだけど、ゲームでちょっと攻略が難しいトコに引っかかっちまったらレッドが帰ってきた時もゲームやってるってことが時たまあった。そーゆー時は「あたしが働いてる間1日中何やってたんだよ!!」って、本気のボディーブローを何発も入れられたぜ?
“いや、そこまで堕ちたら普通刺されるか追い出されるけどね。”
刺されはしなかったけど、追い出されそうにはなったよ。なんつーか、そんな生活を2年くらい続けてたらネットで友達もいっぱい出来てさー、一緒にエロゲを作ろうってサークルを立ち上げたし(ゲームのデモ版を作っただけでサークルは解散しちゃったけど)、そのサークルで知り合った若者と共同執筆で小説書いたり(新人賞に投稿したけど落ちた)、漫画やアニメの表現規制に反対するデモに参加したりとか、それなりにエンジョイしてたんだよ。なんかもう、あの時はある意味今まで生きてきた中で一番楽しかった時期って言っても過言じゃないだろうな。退職金も減ったとはいえまだ残ってたし、あともう少しこーゆー生活続けれるかなーって思ってたんだけど、今年の正月、寝起きに冷たい布団の上で正座させられてさ、その前に立ったレッドが俺を見下ろしながら
「オイ、お前仕事辞めてから何年だ?」
「……3年、くらい?」
「ああ!?」
「3年です。」
「この生活、これからも続けるつもり?」
「いや、それは……」
「言っとくけど、あたしはお前を養うつもりはないぞ? ヒモを飼ったおぼえもねえ。」
「…………」
「いい加減にしねえと、もうそろそろ追い出すからな?」
「……ああ、はい。じゃあ就職します。」
ってな感じで、今年に入ってから就活始めたのよ。でもさー、もう半年ぐらい経つけど仕事全然見つからなくて。最初はどっかのシンクタンクの研究員とか、大学の非常勤講師とかの募集をネットで見つけては応募書類を送ってたんだけど全く何のリアクションもなくて、だから転職サービスの会社に登録して担当の人に相談に行ったのよ。そしたらさ、その担当が問題にしたのはやっぱ職歴のない「空白の3年間」で、「どっか雇ってくれるところないですかね?」って言ったら「ないですよ。この3年間一体何やってたんですか?」って言われたんだわ。「じゃあどうしたら?」って聞いたら「さあ、ご自分でネットの募集案件探してみたらどうですか?」って言われて結局元に戻る、って今そんな感じ。専門学校のアルバイトは続けながらだから何とか生活はできてるけど、でもそろそろ就職先見つけないとマジでレッドに追い出されそうだから、悪魔ちゃんに何かアドバイスして欲しくて今日は来た。
“お前さ、今意図的に言わなかったことあるよな?”
え、何?
“とぼけんじゃねえよ。引きこもってる間、レッドに隠れて何してた?”
なんだろ。浮気はしてないし(金ないから)、犯罪的なことも、してないよなぁ俺、たぶん。
“お前引きこもってる最中、実はメンタルやられてたんだよ。おちゃらけて話してるから自覚ないだろうけど。で、それから逃避するために無意識にやってたことがあるんだよ。”
ああ、オーバードーズのことか。まあ逃避というか、暇にあかせて市販の鎮痛剤を遊びで大量に飲んだりとかしてたな。まあ、それで数時間はトベるからなー。一時期、ちょっと癖になってやめれない状態になってたわ。でもさ、就活始めてからはスッパリ辞めたぜ?
“わかった。じゃあ、こちら側で起きてたことを教えてやる。お前が引きこもったり、クスリでジャンキーになったのは、お前が一貫してアスタロト側から精神攻撃を受けてきたからだよ。”
そうなの? ……俺的にはあんなに楽しかったのに?
“楽しかろうと何だろうと、お前がこの3年で堕落の際まで行ってたことの自覚はあるよな?”
まあ、それは否めないが。
“いや、何でそうなったか不審に思えよ。博士論文の研究に挫折したくらいで、何でそこまで堕落するんだよ? どう考えたっておかしいだろ。”
あー、言われてみれば。え、じゃあ俺の周りに兄貴の嫁みたいなアスタロトの回し者がいたってこと?
“まず、専門学校を紹介してくれた日本経政総研の先輩研究員な。あと、何かとお前に便宜を図った専門学校の一部スタッフ。それから、ネットでお前とバカみたいなレスバトルしてる奴ら。というか、お前の言う「ネットのお友達」はほぼ「アスタロト側」だ。まあ、中には無自覚にそう振る舞ってた奴もいるみたいだが。というか、前にも悪魔は「太古の昔から快楽や怠惰に人類を誘なうことで堕落させてきた」って警告したよな。その時「アンタは常人よりもはるかに執拗かつ集中的に誘惑を受けた」って言ったのを覚えてるか?”
ああ、思い出した。
“なのに簡単に相手の術中にはまりやがって。”