2005年8月(1)
お袋は昨日九州に帰ったよ。まあ、最後はたぶん満足して帰ったと思うけど、それまでは正直いろいろあって大変だった。
“でしょうねぇ。ご苦労様。”
あ、なんか今日はやさしい。
“今回はレッドやお母さんに一応の気づかいができてたからね。まあ、満点とまではいかなかったけど。それじゃあ、何があったか最初から順に聞かせてもらいましょうか。”
うぃ。お袋が新幹線で来るっていうから、事前にネット予約したチケットを郵送しておいた。お袋は当日にチケットを窓口で買うつもりだったようだが、それだと到着時刻が事前にわからないので迎えに行く俺とレッドの予定が立てづらいという事情からだった。ところが、16時に品川駅到着予定のはずが30分過ぎても改札から出てこないし携帯にかけても通じない。もっとも、携帯の操作法をいくら教えても覚えようとしないので、携帯にかけてお袋が出ること自体普段から稀だったが(周りに携帯の使い方を知ってる人がいれば出ることもある)。1時間過ぎたころやっと電話がつながったので駅構内のどこにいるのか聞いたんだが、要領を得ない受け答えばっかりするので俺もだんだん言い方がキツくなってきて、詰問調で問いただした断片的な情報から推理してやっと本人のもとに辿り着いた時には思わず「なんで遅くなるなら連絡しないんだよ!?」って怒鳴ってしまった。怒鳴った後、その場に兄貴がいることに気付いた。来るとは聞いてなかったから、この時多少違和感があった。そしたら、お袋が
「ひもじい……」
って言ったんだよ。意味がわからなかったが、とにかくお袋がこんなことを言うのは普通じゃなかったのですぐに駅構内のカフェに入った。というのは、日頃お袋は極端に少食で家では米の飯も茶碗半分ほどしか食べない。昔家族で外食した時も、いつまで経ってもお袋だけが空腹にならず、やっと「食べられる」ってぐらいの腹具合になっても結局は全部食い切れずに残りを俺か兄貴に寄こすのが常になっていた。だからお袋が自分から空腹を訴えるなんていうのは、よほどの緊急事態だとこの時俺は判断した。なのでそんなことになった事情を聞くよりもまずお袋に何か食わせることを優先した。カフェに入ると兄貴が入口近くの冷蔵ケースにあるパックのサンドイッチを指さして「これでいいだろ」って言ったが、無視してカウンターに行きサラダ付きのホットサンドとカフェラテを注文した。腹が減ってるなら何でもいいから早く食わせた方がいいのではという意見もあるだろうが、お袋は調理師免許を持っているからか少食ではあっても食そのものにはうるさい。だからパックのサンドが不味かった場合、空腹なのに食が進まないという可能性もあったため兄貴の意見は無視したというわけだ。出来上がったサンドとカフェラテが載ったトレーを受けとるとすぐにテーブルまで運び、とにかくまずは口をつけるようお袋に促した。お袋はサンドイッチを一口、二口食べてから「あー、やっと一息つけた」って言った。それを見て少し安心したんで、俺とレッドは自分達の飲み物を注文するためカウンターに戻った。待ってるときに兄貴が来て「それじゃあ俺は帰るわ」って言って店を出て行った。数日後ウィークリーマンションに兄貴一家が来る時の段取りについては、改めて前日ぐらいに電話するとのことだった。
お袋が食い終わって落ち着いた頃合いで、今日何があったのかを改めて尋ねた。後回しにしていた、なんでお袋が腹を減らしてたのか、なんで兄貴が一緒にいたのか(ついでに言うなら、奴がいたにもかかわらずお袋が空腹だったのはなぜか)を聞くためだ。すると、次のようなことがわかった。お袋は新幹線で品川まで直に来たわけではなく、新横浜でいったん下車して兄貴と待ち合わせたそうだ。その理由は、現在横浜に住んでいる、兄貴が大変お世話になった小学校時代の担任の先生と会うためだった。そのため、兄貴の指示でお袋は俺が送ったチケットを窓口で2時間ほど早い新幹線に変更した。先生には新横浜駅近くのホテルまで来てもらい、3人で昔話に花を咲かせたそうだ。まあ、ここまでは何も問題はなかったといっていいだろう(もっとも、新横浜に寄る件について俺は何も聞かされてなかったが)。ホテルのラウンジで兄貴はケーキセットを頼んだが、お袋は自分で作ってきた弁当を午前9時くらいに新幹線の車内で食べたためお腹がすいておらずお茶だけを頼んだ(普通の人ならとっくに腹が減ってる頃だが……)。先生と別れた後、お袋は「せっかく横浜に来たんだから中華街で何か食べたい」と兄貴に言ったそうだ。たぶん、この時には少し腹も減り始めてたんだろう。すると、兄貴は「予想以上に時間が超過している。すでに今すぐ出ても約束の時間には間に合わないぐらいなんだからそんな時間はない」と断ったという。しかも、「俺は在来線で帰るから、お袋は新幹線で早く品川に行け」と言って放り出そうとしたらしい。しかし初めて来た駅で放り出されても窓口がどこにあるかもわからず、品川駅に着いてからも俺との待ち合わせ場所に自力でたどり着ける自信がなかったため、お袋は兄貴の新幹線代も自分が出すから一緒について来てほしいと懇願したそうだ。そういうわけで、お袋は朝から何も食べないまま品川駅に着き、そこに本来いるはずのなかった兄貴もいたというのが真相ということだった。