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悪魔ちゃん  作者: 神保 知己夫
理論編
173/182

歴史の不在証明(60)

 ここまで、「不要な身体パーツ」(例:「再接合が不可能な分離した腕」「爪切りで切った爪」)であるにもかかわらず部位によっては「所有権」を主張する人がいるのは何故(なぜ)かという問題を考えてきた。その結果、ある人が「所有権」を主張する部位としない部位の間には、必ずしも明確な「外形的違い」(ここでいう「外形的」とは部位自体の形状や中身を構成する物質だけでなく、部位が置かれた物理的環境や社会的環境をも含む)がないのではという結論に至った。しかしながら、少なくとも我々の社会では、到底「分離した腕」と「爪切りで切った爪」が等しく「所有権」を主張すべき対象とは思えないという感想をもつ人が多数派になることも容易に想像がつく。ならば、「外形的」以外の差異についても目を向けてみようというのがここからの考察である。


 外見や内容物だけでなく置かれた環境にいたるまで、およそ目視が可能な範囲という意味での「外形」以外で差異を探すのであれば、逆に目視が不可能なものを考えてみるとよいだろう。とはいえ、物質や物理現象の中にも空気や電磁波のように目視できないものはあるが、それらについては除外する。なぜなら、例えば空気は大気中の微粒子や風車、電磁波はアンテナやコイルといった特定の物質に(規則的かつ再現性の高い)影響を与えることがわかっており、それらを利用した観測機器が存在するからである。そのような、観測機器を使えば存在を可視化できるようなものは、ここで言う「目視が不可能」にはあたらないとして除外する。それに対して、愛や社会、無限のような<概念>、喜びや悲嘆、好奇心のような<内心>などは、その存在自体が特定の物質に直接影響を与えることがないため可視化が不可能である(※)。よって、上で「目視が不可能なものを考えてみるとよい」と述べたのを微修正するなら、多少冗長ながら「(現状)いかなる物理的観測手段によっても直接の目視が不可能なものを考えてみるとよい」となろう。


(※)

もちろん、<概念>や<内心>を動機として人間が行動する等すれば物質に影響を及ぼすことはできる。しかしその影響は「間接的」にとどまるため、ここではわざわざ「直接影響を与えることがない」と表現し区別している。しかも、その「間接的な影響」は規則的でなく再現性も高くないため、それを応用した観測機器が(現在の科学技術では)存在しない。よって今のところ<概念>や<内心>の存在を可視化することはできない。


 そのようなものとして<概念>と<内心>を本論の考察対象とした場合、「所有権」主張の根拠としてよりふさわしいのはどちらだろうか。我々の社会において、ある人が「所有権」を主張したことを他者が認知するのは、主張する当人が言葉や態度でその意思を表明した時である。ならば、主張者の行動(言動)が社会的認知のすべての発端になっている以上、まずは当人が行動を起こした動機が問われねばなるまい。そして「動機」とは、言うまでもなく<内心>の一種である。


 以上から<内心>、とりわけ主張者の「動機」が「所有権」の根拠であるという仮説を組み立てるとするなら、“当人が「欲しい」と感じたので「所有権」を主張した”といった感じになるだろうか。しかし、いざこうして組み立ててみると、そんなことは言われなくとも誰でもわかっている、というようないかにも凡庸な仮説である。しかも、「欲しいから所有権を主張する」というのは前述の例と同じくトートロジーなのではないか……。そのような感想に対して、筆者も前段については必ずしも否定するものではないが、後段のトートロジーという指摘はあたらないと考える。


 トートロジーという評価は、事前にA=Bであることが自明にもかかわらず、“AなのでBである”と主張するような者への批判として用いられる。それは、何かを証明したかのような言説でありながら「何も言っていないに等しい」という主旨の批判である。「欲しいから所有権を主張する」という言説ではAが「欲しい」、Bが「所有権を主張」に相当するが、もしここで「欲しい」=「所有権を主張」であるならトートロジーが成立する。しかし実際はそうではない。なぜなら、ここでの「欲しい」が不完全定義(意味が一意的でない)だからである。なお、「所有権を主張」の方は、定義としては「それは私のものである」と他者が解することができる言葉や態度のことであり、同じ文化圏なら周知済みの個別具体的な単語や文、ジェスチャーを指すので完全性に問題はない。しかし、「欲しい」の具体定な内容は、常に人と状況によって異なる。具体的には、「何が欲しいのか」「なぜ欲しいのか」が一般に一意的ではない(=意味するところが一通りに決まらない)。


 まず、「何が欲しいのか」に関して、ここでは「不要な身体パーツ」の例として「再接合が不可能な分離した腕」や「爪切りで切った爪」、「抜け落ちた乳歯」を挙げたが、他にも「髪の毛」、「垢」、「摘出した腫瘤(いわゆるコブのこと)」、「美容手術で切除した顔骨」等々がありうる。そして、これらのパーツにはそれぞれ「欲しがる人」がおり実例も報告されている。例えば、「爪」「髪の毛」「垢」のように自分で収集できるものは「集めて所持している」とネット上でもリアルでも表明する人が(少数ながら)いる。「再接合が不可能な分離した腕」については、腕のみを火葬するため引き取りたいという人が一定数おり、(あまり知られていないが)合法でもあるので医療機関は求めがあれば引き渡しに応じている。「腫瘤」は子どもから摘出したものを手もとに置きたいという両親の求めに応じホルマリン漬けにして渡したという病院の事例がある。「切除した顔骨」は、施術したクリニックによっては持ち帰りの希望に応じているという。問題は、「所有権を主張」する人が必ずしもこれらのパーツを全て「欲しがる」わけではないということだ。人によっては、「髪」なら欲しいが「爪」はいらない、「腕」はいるが「爪」「髪」「垢」は捨てる、「腫瘤」は手もとに置きたいが「分離した腕」は病院に標本として提供する、となる。そうなる理由は、次に説明する「なぜ欲しいのか」が大きく関わってくる。


 「分離した腕」に関しては火葬、つまり供養のために「欲しがる人」の例を上で紹介した。しかし「供養」とひと言でいっても、そこに込めた思いは「これまで自分のために働いてくれたことへの感謝」「病変した腕の切除で完治した証として」「骨になっても自分のもとに取り戻したい」「寺などで読経をあげ腕だけでも成仏させたい」等々のパターンがあるそうだが、厳密な意味で同じものは一つとしてないそうだ。また「供養」以外の目的、例えば切られた自分の腕を食べるために要求した人がいたという話もある(医療機関に断られたため実現しなかったそうだが)。「腫瘤」のケースは両親の「動機」について事例報告の中で触れてないので真実は不明だが、「完治した証」「成仏させたい」のどちらであっても不思議はない。あるいは、「二度と再発しないように」という一種の願掛けも考えられる。「切除した顔骨」は「完治した(美しくなった)証」という理由が最も多いそうだが、中には「私のために切られた骨への同情」といった感傷的な理由もあるそうだ。以上まとめると、「なぜ欲しいのか」の理由については(上の再掲になるが)「厳密な意味で同じものは一つとしてない」ということに尽きる。そして、各人固有の理由によって「何が欲しいのか」も変わってくる。例えば、「完治した証」が理由の人であれば、どのパーツであっても病変部位であれば「欲しがる」だろうが、そうでなければ「所有権を放棄」するのだろう。一方、「成仏させたい」が動機の人は、病変部位を「自分を苦しめたもの」と認識していれば「供養してやろう」という気にはならないかもしれない。しかし、「自分を苦しめたもの」と認識していても「最終的には我が身を犠牲にして私を守った」と考えれば「供養してやろう」と思うかもしれない。あるいは、時間経過によって「自分を苦しめた」→「我が身を犠牲にして私を守った」と心境が変化するのかもしれない。そう考えると、「所有権を主張」する理由だけでなく、その対象もまさに人それぞれ千差万別ということになる。


 したがって、「欲しい」=「所有権を主張」が成立するならトートロジーであるが、「欲しい」の内実が人と状況によって「同じものは一つとしてない」ため“=”は原則的に成立しないことがわかる。しかし、それでも“対象と理由が千差万別であっても、結局は「欲しい」という共通(・・)の心理に帰結するならやはりトートロジーなのではないか”という反論があるかもしれない。だがここで、「所有権」問題を考えた大本(おおもと)の理由をもう一度思い出してほしい。それは、上の議論で考察対象とした「所有権派」について、「私」に含まれる範囲(=「所有権」を主張する範囲)が「いついかなる時も変化しない」グループであると分類した(暫定的な)結論が妥当であるかを再検証するためであった。その再検証の結果の方が、本論にとってはトートロジーであるかどうかよりはるかに重要である。そして、上で行った再検証の議論によって、「いついかなる時も変化しない」グループとした暫定的な結論は誤りであったことが立証された。


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