2000年8月(1)
自分で予告してた通り、今年に入ったあたりで悪魔ちゃんはいなくなった。 と思う。
ただ、今でも呼び出して会話することはできる。できるんだけど、うーん……おーい、悪魔ちゃん。
“なに?”
お前本当に悪魔ちゃんか?
“そうとも言えるし、そうでないとも言えるわ。結局はあなたの認識次第よ。”
んー……この時点でなんかもうなぁ。アスタロトにせよ、悪魔ちゃんにせよ、自分がイマジナリーフレンドだと認めるようなことは決して言わなかった。たぶん、超自然的な存在だと主張するなら絶対に譲れないラインだったんだと思う。
“そもそも「超自然」ってどういう意味? 自然って森羅万象を指す言葉だけど、その範疇を超える存在なんて論理矛盾じゃないの。それってつまり、客観的には存在してないってことよ。存在するとしたら主観的な観念だろうから、あなたがいると思えばいるし、いないと思えばいないの。何か間違ったこと言ってる?”
わかったわかった。こいつと話してるとなんか自分と会話してるような気しかしない。前にアスタロトのことを心理学的な「シャドウ」、つまり内面にいるもう1人の自分だって言ったけど、こいつはまさにそんな感じだ。少なくとも、あの悪魔ちゃんじゃない。
なんだか空しくなるから最近はほとんど呼び出すことはない。
(こっちが話しかけるのを止めるとずっと黙ってるとこも何かイラつく)
悪魔ちゃんが約束した通り、俺の修士論文は完成した。英語の試験にも合格して(最下位だったらしいけど)、無事4月に博士課程に進学することができた。博士課程に入ると取らなきゃならない単位数もぐっと減るから自由な時間も増えて、その分自堕落な生活に戻った。他の院生と共用の研究室も与えられるんで、夜は大学に行って一晩中ネットやって、明け方に下宿に帰って録り溜めておいた深夜アニメ見て、それから寝て夕方に起きて大学に行くみたいなサイクル。たまにゲーセン行って、最近出たガンダムの対戦ゲームにハマったりもした。あ、断っとくけど、博士課程に進んだ院生がみんなこんな腐った生活してるわけじゃないよ。むしろ課程終了までの3年間で、修士論文とは比較にならないくらいの分量で内容の濃い博士論文を書かなきゃいけないから、普通は年に何本も論文を書いて各地の学会で発表して、ってな感じで超忙しい人の方が多い。
俺がヒマなのは、博士号を取るのを早々に諦めたから。なんで諦めたかっていうと、俺、修士論文の一部にコンピュータシミュレーションの結果を使ったんだけどさ、進学と同時に指導教官から「今後もシミュレーションを使った研究を続けるなら博士論文の指導はできない」って言い渡されたの。指導教官って数理経済モデルの研究者なんだけど、数理っていっても紙と鉛筆で計算する数学の世界の住人だからきっと理解できなかったんだと思う。でも大学院の世界では「指導教官から博論指導を受けられない」イコール「博士号を取るのは不可能」なんだわ。「いや、シミュレーションを使わない研究すればいいじゃん」って思うかもしんないけど、それってこの指導教官の下では紙と鉛筆の数学をやるってことだ。けど、俺そっち分野の才能明らかにないし……例えばさ、俺が数学モデルの計算をして出てきた結果って1行に収まりきらないくらい大量の記号がゴテゴテとくっ付いた分数式になるの。計算プロセスだって何ページにも渡る長大なものになる。でも、例えば、2学年くらい下の数学の才能ある後輩が解いたら、内容は同じなのに「E=mc 」ぐらい単純な式で計算過程も1ページで済むのよ。これって生まれつきのセンスみたいなところがあってさ、努力じゃどうしようもないってことを嫌ってほど見せつけられる。そういう意味じゃ囲碁とか将棋の才能に似てるかも。で、博士論文で求められる「濃い内容」って、そういうセンスのある奴らに認められなきゃならないわけだから最初から勝ち目なんかないんだよ。だから、連中が比較的苦手とするIT技術を武器にしようと思ったんだけどねー、それを封じられちゃったのよ。加えてさ、数学の結果って「美しい」(複雑な関係を単純な式で表せる)ことが素晴らしいって世界観なんだけど、俺の指導教官ってさ、結果の微分方程式を見ながら「もしこの美しい式と現実が食い違ってるなら、それは現実の方が間違っているということだね」って言ったのな。それ聞いてさ、「ダメだこりゃ!」って思いましたよ。いやそっちの世界じゃダメじゃないのかもしれないけど、少なくとも俺はとてもついて行けんって思った。
「だったら指導教官をシミュレーションやってる人に変えればいい」って思うかもしれないけど、指導教官って院生にとっては「盃もらったヤクザの親分」みたいな存在でさ、親分を変えるような子分ってヤクザの世界じゃ爪弾きにされるそうだけど、大学院の世界も同じだった。「そんな封建的な」って思うかもしれないけど、少なくとも俺が入学した大学院はそうだった。
そこで俺は指導教官と直談判したの。「数学はやりません。シミュレーションをやります。その代わり博士号はいりません。シミュレーションのスキルを活かせる民間企業の就職先を自分で探します」って。そんでまあ、だらけきった今に至るってわけよ(笑) 「いやいや、だったらシミュレーションを一所懸命研究しろよ」って思うかもしれないけど、それについては……ごめん。いやー、指導を受けないって監視の目がないってことだから、そうなると人間だらけるもんだねー。
とまあ、そんなくだりを書いたところで面白くもなんともないだろうから、この小説もすっかり中断してた。それが再開したってことは、何か別の展開があったってことだ。