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悪魔ちゃん  作者: 神保 知己夫
理論編
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歴史の不在証明(53)

 その「神経系による情報処理活動」が何を意味するかについても明確である。情報処理活動の主な場である脳には約1000億個の神経細胞ニューロンがあり、個々の細胞は長い「足」を持つタコのような形状をしている。「足」は神経細胞同士を結びつけ、そのつながりはさながら脳内に縦横無尽に張りめぐらされた網(ネットワーク)のようだ。このネットワークに「電気信号」が流れることで情報が伝達されるのだが、ただ、この「電気信号」は通常我々が想像するような電子回路の中を流れる電気信号とは大きく異なるため注意が必要である。神経細胞が情報を伝達する時、伝達先である隣りの細胞まで伸びた「足」(軸索(じくさく)という)の中を電位と呼ばれる「状態」が移動する。電位にはプラスの電気を帯びた状態とマイナスの電気を帯びた状態があり、それぞれに強弱がある。何もない時の軸索の内部は弱いマイナスの電位に保たれているが、それはプラスの電気を帯びた化学物質(イオン)が軸索の外側に比べやや不足するように管理されているからである。イオンは電解質とも呼ばれ、ナトリウムやカリウムのような化学物質が水に溶けたものである。化学物質は水に溶けると通常プラスかマイナスの電気を帯びるので、神経細胞を浸す体液中にプラスのイオンがあること自体は別に珍しいことではない。しかし場所によってプラスイオンが密集すると、他所(よそ)よりも相対的に強いプラスの電気を帯びることになるため「プラスの電位」という状態が生じる。逆にプラスイオンがまばらな状態だと「マイナスの電位」になるが、平常時の軸索内はそういう状態である。しかし、情報を伝達する場面になると一転して神経細胞が軸索内にプラスイオンを取り込み始め、結果、電位がマイナスからプラスに変化する。軸索は数珠(じゅず)つなぎのような構造になっているが、細胞本体とつながる根元の数珠でそのような電位変化が起きると軸索の先端に向かって次々に連鎖していく。軸索の先端は隣接する神経細胞との境界になっているが、結構大きな隙間が(細胞のミクロなスケールでは)空いているので電位変化の連鎖はそこを越えることができない。では隣接細胞にどうやって情報を伝達するか。それは、軸索の先端にあらかじめストックされた神経伝達物質(「ドーパミン」や「セロトニン」といった種類がある)をシャワーのように放出するのだ。これを浴びた隣接細胞は、前の細胞と同じように自身の軸索内で電位変化のリレーを開始する。このようにして、神経細胞のネットワークを情報が伝播していくことになる。これが脳の神経網を流れる「電気信号」であり、脳内の情報処理活動の正体である。同様の「電気信号」は背骨の中を通る脊髄や、全身の末端(手足の先、頭頂部)まで伸びる末梢神経にも流れているので、それらを総称して「神経系による情報処理活動」という。それに対して、電子回路内を流れる電気信号はコンデンサやコイル、抵抗といった部品をつなぐ金属線の原子間を電子(正確には自由電子)が流れることを指すので、神経系の「電気信号」とは全く異なる(たぐい)の物理現象であることがおわかりいただけるだろう。


 と、長々説明したが、ここで本論が示したのは「神経系による情報処理活動」が電位変化や化学反応というれっきとした物理現象であり、物質の働きのみで100%説明が可能だということだ。神秘主義者や特定宗教の帰依者であればそれに独自の説明を加えるか、一部を修正、さもなくば上の説明自体を否定するかだろうが、少なくとも科学を信条とする唯物論者や無神論者にとっての「自己」は、ここで示された物理現象がその全てである。そして彼らは、その物理現象が死によって継続されなくなるのが「怖い」と言っているのだ。


 では、死によって「神経系による情報処理活動」がどうなるのかを改めて考えよう。一般的には呼吸と心拍が停止し、瞳孔が光に反応せず開きっぱなしになると臨床上は死と判定されることが多い。このうち呼吸停止は体内に新たな酸素が供給されなくなったことを意味し、心拍停止は心臓が停止した結果なので、まだ体中に酸素や栄養素が残っていたとしても血液によって各器官に届けることができなくなったことを意味する。どちらも「神経系による情報処理活動」を担う神経細胞にとっては致命的で、酸素と栄養素の供給が絶たれれば速やかに機能停止に陥る。それはすなわち、軸索を「電気信号」が流れることもなくなり、次の神経細胞に向けて神経伝達物質を放出することもなくなるということだ。そうなると機能を停止した神経細胞で神経系の情報伝達が途切れ、そこが情報処理ネットワーク上の「通行禁止」ポイントとなってしまう。それでも最初のうちは「通行禁止」ポイントを迂回する情報伝達経路を構築したり、酸素や栄養の欠乏に比較的強い細胞だけで何とか情報処理機能を維持しようとしたり等するが(もっともその段階に至れば例え蘇生しても後遺症は免れない)、「通行禁止」ポイントが増えていくにつれ神経系が処理できる情報量は急速に低下していく。この過程で、目の動眼神経が機能しなくなり瞳孔が開きっぱなしになる。そして、ついに情報処理機能の維持に最低限必要な情報量すら伝達できないほど神経網が寸断され尽くした段階で「情報処理活動」は一切の活動を停止する。おそらくこれが、唯物論者や無神論者の恐れる“「神経系による情報処理活動」という物理現象が「継続されなくなった」状態”を指すと思われる。言い換えれば、それが彼らにとっての「自己の消滅」であり「死」ということだ。


 このことからわかるのは、唯物論者や無神論者が「神経系による情報処理活動」という物理現象を殊更に特別視しているということだ。例えば、上述した「自己の消滅」=「死」の後であっても、直後数秒から数十秒の間なら生きている脳神経細胞がわずかながら残っていることもありうる。それらの細胞は顕微鏡で見れば散発的に「生きているかのような反応」を示すこともあるが、そのような物理現象が確認されても彼らが「死」の判定を覆すことはないだろう。細胞単体で見れば、脳が「情報処理活動」をしていた時と同じ物理現象が起こっているにもかかわらず、である。また、心臓が停止した遺体からでも腎臓や膵臓は移植が可能なことから、脳以外の器官には神経細胞よりも長時間生存する細胞があることは容易に想像がつく。であれば、そのような「生きている器官」を持つ身体はまだ「生きている」とみなしてもよさそうなものだが、やはり彼らは認めないはずだ。おそらく彼らは、一部の脳神経細胞や器官が生き残っているのもれっきとした物理現象だが、それだけでは「情報処理活動」という物理現象が持つ(「人として生きている」とみなされるための)何らかの要件を満たしていないと考えている。言うまでもなく、死後の身体で進行する「腐敗」や「分解」、それを取り巻く自然環境の中で起こる燃焼、酸化、還元、蒸発、凍結、帯電、放電、磁場変動といった普遍的な物理現象も、彼らはその「何らかの要件」を満たしていないと考えているだろう。ならば、筆者は再び彼らに問わなくてはならない。


 あなた方が「死」によって断絶することを恐れている「神経系による情報処理活動」は、その他の物理現象と一体何が異なるのか? 一体何が特別なのか?


 特に、ここで扱っているのは唯物論者や無神論者にとっての「死」なので、その差異は科学的かつ客観的に示されねばならない。そして、それを示す義務があるのは他ならぬ唯物論者や無神論者だ。もし彼らにそれができないのならば、それは自分が何を恐れているのかについて彼ら自身が理解していないことを意味する。


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