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悪魔ちゃん  作者: 神保 知己夫
理論編
153/182

歴史の不在証明(40)

 結論から先に言えば、「金銭的補償」を導入することで特定の選択肢だけが選ばれやすくなる偏りを防止することは、結果的に「有効(個人や社会に改善をもたらす)」となる。なぜなら、それは社会全体の「多様性」を担保するからだ。ただし、近年は「多様性」というだけで無条件に肯定する風潮があるため、ここで改めて「多様性」が有効となる条件を整理しておく。


 まず、「多様性」はいついかなる場合も有効なのではない。例えば、「生前浄土真宗の仏教徒であった幽霊が部屋にいた」という先の例では、「仏教浄土真宗の儀式を行う」が最善の選択肢であった。もし、今後我々が出くわす「幽霊」も全て「浄土真宗の教徒」なのであれば、人々に他宗派(真言宗や天台宗等)や他宗教(キリスト教やイスラム教)の儀式の実行も選ぶように促す「金銭的補償」は明らかに愚策であり、当然ながら有効ではない。この場合は、社会を構成する全員が「仏教浄土真宗の儀式を行う」という特定の選択肢を選ぶことが唯一有効といえる。そこには、各人各様の選択肢が選ばれる「多様性」は全く必要ない。


 しかし現実には、「幽霊が全て浄土真宗の教徒」という前提が論理的に成立しない。なぜなら、前にも言ったように「霊(に思える現象)に遭遇する」というのは「未知なる事態」だからである。「未知」となる原因は(これも前述したが)「幽霊」の定義が不完全だからであり、それゆえに、今後同様の現象に遭遇したとしても今回と同じく「浄土真宗の教徒」である保証など全くない。それどころか、「幽霊などいない」という可能性も含め、考え得るありとあらゆる選択肢を我々は何一つ否定できない。あるいは、そこまで厳密に考えなくても、「生前人間だったものが幽霊になる」という霊肯定派の「常識」に照らしてですら、現状人間が多様な信仰を持っているという事実から、将来出会う「幽霊」も「浄土真宗の教徒である」などとは決して言えないことがわかるだろう。以上のことから、「霊(に思える現象)」に対しては、あらゆる可能性を想定した多種多様な選択肢を用意すべき、という意味での「多様性」が有効であると言える。


 実は、「多様性」が有効であるのは「霊(に思える現象)」に限った話ではない。一般に、「未知なる事態」に対応する最適解は「多様性」であることが知られている。そもそも「多様性」という語は、予期せぬ自然環境の変化に適応するため多種多様な生態を獲得するように生物が進化した「生物多様性」から来ている。つまり、「未知なる事態」=「自然環境の変化」であり、「多様性」=「多種多様な生態系」である。また、株や債権のどの銘柄が値上がり(または値下がり)するのか予測困難な金融市場では、対応として多種多様な株や債権の組み合わせを購入する分散投資(「ポートフォリオ」ともいう)がなされるのが一般的である。ここでは、「未知なる事態」=「株や債権の価格変化」、「多様性」=「分散投資」である。他にも、「未知なる事態」に「多様性」が処方される実例には枚挙にいとまが無い。


 ただし、上で述た「有効性」は「社会全体」というマクロな人間の総体に対してであり、社会を構成する個人というミクロレベルでも「有効」かどうかはまた別の話である。例えば、再び「霊(に思える現象)に遭遇」したケースに戻ると、現象の正体を事前に知ることは不可能なので(なぜなら「未知なる事態」なので)、「何もしない(行動しない)」「無視して行動する」といった選択肢から、仏教浄土真宗、仏教真言宗、仏教天台宗……、神道、キリスト教カトリック、キリスト教プロテスタント……、イスラム教スンニ派、イスラム教シーア派…といったあらゆる宗教・宗派の儀式を実行するといった選択肢まで、それぞれが一定以上の数の人々に選ばれている状態(=「多様性」が実現された状態)というのが社会全体での最適解(つまり「有効」)である。しかし、今回のケースでは「生前イスラム教スンニ派の幽霊」が正体であったとすると、それ以外、つまり「外れ」の選択肢を選んだ個人は全員損害(たたりや呪い等の霊障)を被る。それでも「多様性」が「有効」たりうるのは、何が正体であったとしても、社会全体で見れば必ず「当たり」を引いた個人が出るからである。生物進化においては「外れ」を引いた生物種は死ぬか退場(別の環境に移住)し、「当たり」を引いた種が繁栄することで自然界を支える。つまり、損害を被った個体はいなくなるのでマクロ(自然界)に事後的な悪影響を及ぼさない。しかし人間の場合は、「外れ」を引いた個人は不満を持ったまま社会に残る。結果、異議申し立ての行動(デモや暴動等)によって社会の不安定化(治安悪化等)といった無視できない弊害が起こる。仮に弊害の除去(国家権力による鎮圧等)に成功したとしても、不満そのものが解消されなければ次に「未知なる事態」が起きた時、人々は「多様性」の維持に消極的(非協力的)になるだろう(※)。そうなると、「多様性」を実現した結果「多様性」が実現できなくなるという自己矛盾的な状況に陥る。これに対処するために考え出されたのが、「金銭的補償」をはじめをする「補償」の施策である。「補償」によって救済されることで、「外れ」を引いた人もようやく「次も何かの選択肢を選ぼう」という積極的な心理に変わりうる。特に「外れ」が金銭的な損害をもたらした場合は、同額の保証をすることで消極的な心理をほぼ完全にリセットすることができるだろう。そうなれば、次なる「未知の事態」に遭遇した時も、「多種多様な選択肢を選ぶ」という積極的な行動を人々から引き出すことが可能となる。


(※)

具体的には、「何もしない」以外の選択肢は全て行動に移す時に大なり小なりのコスト(労力、時間、金銭)がかかるので、どうせ「外れ」を引いて損害を被るのなら(実際、「当たり」以外の大多数は「外れ」となる)、コストをゼロにすべくほとんどの人が「何もしない」を選ぶだろう。


 以上をまとめると、「未知なる事態」に「多様性」が「有効」であることは間違いないが、人間社会においては、あくまで同時に適切な「補償」が実施されることが(十分)条件となる。当初、「金銭的補償は結果的に有効となる」と述べたが、より正確に表現するならこのようになる。


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