歴史の不在証明(39)
「当たり」を引く以外は必ず罰を受けるクジの場合でも、予想される利益(この場合はマイナスだが)の大きさによって行動が変わるのは、賞金が1万円か10円かでクジを引くかどうかが変わる場合と同じである。例えば、「当たり」以外の結果というと{「外れ」を引く、引かない}の2通りであるが、もし「外れ」を引いた時の罰金が10円で引かなかった場合が100円ならほとんどの人がクジを引く選択をするだろう。逆に、「外れ」の罰金が100円で引かなかった時が10円ならほぼ全員がクジを引かないと思われる。ここでは利益がマイナス(=罰金)なので、金額が大きいほど行動を抑制する効果も大きい点はプラスの利益と正反対であるが、利益の配分を変えることでプレイヤーの行動をある程度コントロールできるという意味では同様の効果と言えるだろう。
罰金のように定量化(数量化)が可能な罰は結果ごとの損失が明示的に比較可能なので、プレイヤーへの行動抑制効果が非常に強く一律的に働くのが特徴である。よって、交通違反の反則金のように、誰であろうと犯してはならないルールを遵守させたい場合には有効な社会制度たりうる。しかし自由市場のようにプレイヤーの行動にある程度のバリエーションを持たせたい場合には、皆が同じ方向へと一斉に流れる罰金制では困ることがある。そのような時は、主に2つの対応策が考えられる。
まず1つ目は、罰金に対して何らかの金銭的補償をすることである。例えば、罰金が{「外れ」:10円,引かなかった:100円}なので皆がクジを引いてしまう場合、引かなかった人に90円を補てんしてやれば、結果的な損失は同額の10円となるのでクジを引く/引かないが半々に割れることが期待できる。これは、大規模災害時の公的支援金や一般市民による義援金(寄付)といった社会制度に相当する。あるいは、引かなかった人に45円を補てんするが、その45円は「外れ」を引いた人から徴収するというやり方もある。この場合も両者の損失は同額(55円)になる。これは、保険会社が提供する各種保険や共済金制度に相当する。
2つ目の対応策は、定量化が困難な非金銭的罰を課すことである。具体的には、違反者の名前の公表や行政による差し止め命令などであるが、これらを金銭的な損失に換算した場合、その金額は個人の事情や価値観によってばらけることが予想される。例えば、罰が{「外れ」:名前の公表,引かなかった:差し止め命令}であった場合、ある人にとっての損失は 名前の公表>差し止め命令 であるが、別のある人にとっては 名前の公表<差し止め命令 であることが十分に考えられる。よって同じ罰則の下でも両者の行動に違いが生じうる。非金銭的罰の持つこれらの効果に加え、実際の社会制度では金銭的補償を組み合わせた方法もよく利用されている。具体例としては、ある罰の損失を重大に評価する人は、その評価に応じて、罰を受けた時の補償金が高い(と同時に、事前に支払う掛け金も高い)保険に加入する等である。
以上をふまえた上で、「生前浄土真宗の仏教徒であった幽霊が部屋にいた」の状況をもう一度考えてみよう。この状況下でプレイヤーが最初に選ぶのは{何らかの対策を講じて入室する,何もせず入室もしない}の二択である。このうち「何らかの対策を講じて入室する」を選んだ場合は、{宗教的儀式を行って入室,宗教的儀式を行わずに(霊を無視して)入室}の二択から1つを選ぶ。さらに、「宗教的儀式を行って入室」を選んだら、{仏教浄土真宗の儀式を行う,仏教真言宗の儀式を行う,仏教天台宗の儀式を行う,……,神道○○派の儀式を行う,……,キリスト教カトリック派の儀式を行う,キリスト教プロテスタント派の儀式を行う,……}の多選択肢から1つを選ぶ、というように、単純に{クジを引く,引かない}の選択をする場合よりもかなり複雑な意思決定プロセスとなる。しかし、このようにプロセスが複雑であっても、「金銭的補償」と「非金銭的罰」の考えを導入することは可能である。そもそも、「幽霊が部屋にいた」の例で「当たり(仏教浄土真宗の儀式を行う)」以外を選択した時の罰は「霊障(たたりや呪い等)によって心身に害を被る」という「非金銭的罰」である。上でも述べたように、「非金銭的罰」の損失をどの程度と評価するか(=「霊障」をどの程度忌避したいと思うか)は個人によって異なる。そのため個人の選択行動には各々偏り(特定の選択肢を選びたがる)が生じるが、個々の偏りを埋め合わせるように保険をかけるといった「金銭的補償」を行えば、結果的にどの選択肢の選択確率もフラットにする(どの選択肢も同様に選ばれやすくする)ことが可能である。
思考実験としてはその通りであるが、ここで問われねばならないのは霊(に思える現象)への対応に「金銭的補償」を導入することの意義と、いついかなる場合でも「金銭的補償」が可能か否かである。
上で述べたように、「金銭的補償」を導入すればどの選択肢の選ばれやすさも同等となるので、社会全体で見ると各選択肢を選んだ人の数は同数に近くなる。ここで「意義を問う」とは、そのように人々の行動を特定の行動に偏らなくさせることが「有効(個人や社会に改善をもたらすこと)」なのかどうかを考えることである。そして、もし「有効」だとするなら、「金銭的補償」ができない例外的なケースがないのかを考える必要がある。なぜなら、そのような例外があった場合は「有効」が絵に描いたモチとなる可能性が残るからである。