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悪魔ちゃん  作者: 神保 知己夫
理論編
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歴史の不在証明(37)

 以上の議論によって、当初の疑問であった「キリスト教の幽霊にお経を唱えるのは最適な行動か?」については(霊が実在しようとしまいと)間違いなく最適行動の1つと言えること(※1)、一方、「霊(に思える現象)を前にして何の行動もとらないこと」は最悪の選択であることが明らかになった。


(※1)

ただし、その場でとり得るありとあらゆる行動のうちどれを選択しても(その中には「霊などいない」とハナから無視して行動することも含まれる)、「キリスト教の幽霊にお経を唱える」と完全に等しい最適性をもつ。つまり行動しさえすれば、それがどんなものであろうと常に最適なのである。


 では、上述したように「(個人や社会に改善をもたらすという意味での)有効性」に差がないのだとしたら、「霊(に思える現象)」と遭遇したとき我々は具体的にどのような行動をとればよいのだろうか? これは意外にやっかいな難問である。なぜなら、人間は「どれも同じならどれも選べない」となりがちだからだ。この問題を心理学者のバリー・シュワルツは「選択肢のパラドクス」と呼んだが、彼によれば解決への近道は「選択肢を減らすこと」だという。すなわち、「有効性に差がない」のなら別の基準を当てはめて選択肢に優劣をつけ、劣位の選択肢を捨てればよいのだ。問題は「別の基準とは何か」ということだが、これは選択する個人の嗜好で特に問題ないだろう。例えば、「霊」遭遇時の具体的な行動選択肢には{有効的アプローチの宗教儀式を行う, 敵対的アプローチの宗教儀式を行う, 霊などいないと考え無視する,……}のように「霊肯定派」の見解と「霊否定派」の見解に準じたものが混在しているが、これらは「有効性」の基準では同等でも、「霊肯定派」あるいは「霊否定派」個人から見た場合は「好ましさ」の度合いが異なるはずである。一般的には、「肯定派」にとっては「宗教儀式を行う」の選択肢群の方がより好ましく、「否定派」にとっては「無視する」の選択肢群の方がより好ましい傾向があるだろう。ならば、各々が好ましいと思う選択肢を実行すれば良いのだ。とするなら、ここでの長々とした議論を経ずとも普段から我々がとっている行動、すなわち、霊を信じる人は祈禱をしたり霊能者にすがる、信じない人は霊など無視して暮らす、ということで何ら問題ないことになる。そして、それは実際にその通りである。ただし、「有効性」の観点から見ると、霊を「信じる人」と「信じない人」の間に優劣など全くないこと、また、一見思慮深く理性的な行動にも思える「霊(?)現象に対しては態度を保留し何もしない」が実は最悪の選択であることだけは押さえておくべきである。


 加えて、「霊を信じる人は祈禱をしたり霊能者にすがる」とひとまとめにした行動の中にも、子細に眺めれば、より「有効(個人や社会の改善につながる)」なものとそうでないものがあることがわかる。厳密に表現するなら「有効なもの」というより「有効と期待されるもの」なのだが、結論から言えば、「伝統的宗教に根ざした祈禱や霊能者の方がより有効と期待される」ということになる。ここで言う「伝統的宗教」とは、仏教、神道、キリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教、儒教・道教などを指すが、これらに共通するのは長い歴史(多くは成立から千年以上が経過)と信者数の多さ(多くは億単位)であり、この2要素が「有効と期待される」と判断した主な根拠である。この判断は、「個人や社会の改善をもたらすことができなければ、長期にわたって莫大な信者を獲得することはできなかっただろう」という仮説に基づいている。だが、必ずしも「長期にわたって莫大な信者を獲得」していれば「個人や社会の改善をもたらす」とは限らないので、上の2要素は十分条件でなく必要条件である。そのため、結論部も「有効である」ではなく「有効と期待される」とした。とはいえ、期待値は蓋然性(確率)と便益(個人や社会の改善)により統計な解析も可能なので、「有効と期待される」という表現はあくまで客観的な判断結果であり、筆者個人の主観的な感想でないことには注意されたい。いずれにせよ、ここで言う「有効」の概念に則るなら、新興宗教(伝統的宗教から近世~現代に派生した分派も含む)や秘教(教義や儀式の詳細を公開していないもの)の類いは、上に挙げた伝統的宗教と比べ有効性が期待できないと言わざるをえない。なお、ここでの「有効性」の判断には、教義の内容、(各々の宗教が主張する)神聖性、(開祖からの直系という意味での)正統性などは一切考慮していない。なぜなら、それらはいずれも他宗教との公平な比較が可能な客観性をもつ基準ではないからである。


 なお、上のような事情は「霊肯定派」に限った話ではない。「否定派」にも「(個人や社会に改善をもたらすという意味での)有効とは期待されない」タイプは多い。まず、「自分は信じない」「常識的にありえない」「インチキ霊媒師を知っている」等々の理由で「霊など無視して暮らす」という一派はまとめて「有効とは期待されない」という扱いで良い。彼らの理由はおしなべて主観的で、「自分が霊を否定する」ことにのみ関心があるので他者や社会に対し特段の効用はない。対して、「無視する」理由を客観性、特に「科学」に置く一派がある。その中でも、根拠に挙げる「科学」が「最有力仮説」であるタイプは「有効と期待される」と言ってよいだろう。ここで言う「最有力仮説」とは、公開の議論の場(査読付き論文誌や学術学会)での長年にわたる反証や批判に耐え生き残ってきたもののみを指す。「霊の否定」を通じそのような仮説を(学問的に)補強あるいは反証することができれば、「科学のさらなる発展」という形で個人や社会に改善もたらすので「有効」たりうるのである。しかし実際は、「科学による否定派」を自称する者にいわゆる「偽物」が混じっていることがあるので注意が必要である。代表的なのは「サイコキネシス等の超能力が霊の像を作り出す」のような仮説の信奉者で、仮説を構成する要素のレベルから「最有力仮説」でない仮説群を信じる者である。このような仮説は「疑似科学」と呼ばれ、一般に立証も反証できないものがほとんどである。よって個人や社会に益となることもないため有効と期待されない。次に、「携帯や地磁気、岩盤由来の電磁波が脳に作用し幽霊の幻覚を見せる」説のように仮説を構成する個々の要素自体は「最有力仮説」である新興仮説群を信じる一派がある。このような新しい仮説は一見科学主義に基づいているように見えるため「有効と期待される」と主張する否定派も多い。しかし、「最有力仮説」の基準は「公開の議論において長年反証や批判に耐えること」なので、新興仮説群は「新しさ」ゆえにこれを満たさないことは自明だろう(※2)。したがって、新興仮説群も有効性が期待できないと言わざるをえない。そう考えると、「霊に関する最有力仮説」に立脚する否定論は、種類としては存外少ない。筆者から見て、該当するのは今のところ「心理的な暗示や疾患により幽霊の幻覚を見る」説ぐらいしかないように思える。


(※2)

それだけでなく、ここで例に挙げた「電磁波と脳の相互作用」説の場合は他にも致命的な欠陥がある。詳しくは https://ncode.syosetu.com/n3382hb/53/ の後段を参照。

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