表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪魔ちゃん  作者: 神保 知己夫
理論編
137/182

要約:歴史の不在証明(12)~(24)

 <物語>が時々の新媒体を欲したのは「歴史映画」が始めてではない。それ以前にも、口承から手書き文字、印刷文字、音声、映像と、コミュニケーションの新機軸が生まれる度に、それ用(・・・)の「物語」が翻案され流通量も拡大していった。特にマスメディア(印刷文字、音声、映像による)が登場した時は中央集権化と近代工業化の波に乗って莫大な読み手/観客を獲得した。


 <物語>がこのような貪欲な拡大欲を持つのはそのように自己規定しているからである。物語の存在理由は“面白くあること”と言って良いが、これは①可能な限り多くの受け手(聞き手/読み手/観客)に、②高く評価されるという2つの要素に換言できる。しかし、そのように定義されたとたん、受け手の一群が特定の「物語」を高く評価すれば、さらに大きな一群の関心を引き、そこでまた高く評価されればもっと大きな一群に……と、①→②→①→②→……が永久に続く機構が回転しはじめる。かくして<物語>は常に媒体を食らいつくし急成長する貪欲な怪物饕餮(とうてつ)のような存在となった。


 結果、現在マスメディアを流通するのは、報道・ニュースを含めほぼ全てが<物語>となっている。報道・ニュースまでが<物語>に分類されるのは、ストレートニュース(事実関係のみを記述した最も簡潔な記事)ですら1文より小さな単位(単語等)まで分解すると文章自体が壊れる(意味をなさなくなる)有機的構造を持つからである。そういう意味では記事に限らず、論文、ビジネス文書、法律条文等、文章で表されるものは全て(程度の差こそあれ)<物語>といえる。さらに、映像や音声、演劇等も全て、文章に変換できるという意味で<物語>である。


 <物語>がこれほどの隆盛を誇っているのは、取り入れる側にも少なからぬメリットがあったからである。それは、定義により<物語>=“面白いもの”であるがために、その訴求力を己がものにできることである。これは権力層や知識層の基盤となるよう地道に権威を高めていくよりは、はるかに手っ取り早い影響力の高め方であった。例えば、現在最も新しい部類のメディアであるインターネットの娯楽動画も、誕生してからほどなくして<物語>性を帯びるよう進化している。


 <歴史>もかつては<物語>性によって影響力を獲得したが、時代を下るにつれ科学的客観性や国家的権威を具える代わりに、<物語>性による“面白さ”をしだいに失っていく。逆に、時代を遡るほど<歴史>の<物語>性はしだいに濃くなってゆき、有史以前の原初に至っては、科学的客観性や整合性はないが、超自然的あるいは象徴的な出来事までをも含む、<物語>性の粋ともいえる<神話>へと回帰していく。


 <神話>にまで遡ると、内容は「ドラゴン退治」や「神による宇宙創世」になるが、これを現代人の視点で「野生動物の狩猟体験」や「過去の天変地異や民族移動」を脚色したものなどと安易に解釈すべきではない。なぜなら、有史以前のそれらの出来事は物的証拠や信頼できる証言がない(「神話」そのものが証言といえるが各々の内容は相矛盾している)ため、真実が何であったのかは我々に知るすべがないからである。それに「脚色」と一言で言うが、その目的や原理が不明なまま考察を重ねた場合、脚色の方向性はランダムに決まったと見なすことになる。しかしそうなると、国や民族が違えど宇宙創世や英雄譚に似通ったモチーフがあることの説明がつかない。つまり、この解釈の方がよほど非科学的なのだ。


 そこで本論では、有史以前の<神話>が口頭伝承によって変遷するプロセスには合目的な動機があったとする立場を採用する。その前準備として、口頭伝承による意思疎通のメカニズムに関する予備的な考察を行う。まず、外形的に認識可能な事物(物体や身体的動作等)について意思疎通する場合には、目前の事物を指し示して発声することにより意味の共有を図る。これにより意味の伝達誤差は極限まで低減できるが、個々人の遺伝的特性と社会的環境の差から生じるクオリア(内面で感じる事物の質感)の違いまで埋め合わせることはできない。このことから、誤差のない伝達手段は原理的に存在しないことがわかる。


 次に、内面的な事物(感情や抽象概念等)を伝達する場合には、外形的な事物の場合とは異なり、クオリアのすり合わせを行うための目前の事物がないため伝達誤りが格段に大きくなる。その前提条件は改善しようがないため、この条件下では初手の意思表明で十分な認識の共有ができると最初から考えない。その代わり、議論や反論の応酬によって徐々に認識合わせをすることが前提となる。しかしこれは全くもって敵対的なゲームの状況であって、なれば、こちらが主張する議論の前提を相手に飲ませることで議論の趨勢を支配することができる。この場合、議論の聴衆が立会者として勝敗を決することになるが、そこで力を持つのは理論的整合性(無矛盾性)ではなく、「意外性のある因果関係」=「面白い話」=「物語」を提示することである。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ