歴史の不在証明(24)
これら2つは隠されていた情報の開示という点では同じなので、もしそれが意図的な隠蔽であったならコスト重視派、成長重視派ともに等しく非難されるべきだろう。しかし、この経営会議において、非難の度合いは本当に「等しく」なるだろうか? ここではそれぞれ開かされた情報の内容に注目して、より現実に即した想像力を働かせてみよう。
一方の「巨額損失をもたらした過去案件が隠されていた」の悪質性は、隠したという行為よりも、隠されていた情報の内容次第だろう。しかし、一般的に考えて、隠された案件の損失が成長重視派の主張を根底から突き崩すほどの「ネタ」だったとはちょっと考えにくい。過去案件の業績資料が正式なものなら探す気になれば見つかるようなものであるし、損失額が巨額だったなら当時の関係者の記憶にも残っているだろう。また、その1件をもってして今回の案件も失敗に終わると断じるのはさすがに無理がある。なので仮に隠したのだとしても「今回の会議でいちいちツッコまれたくないから」程度の動機であったことが考えられる。もちろんこれは推測に過ぎないので、実際には私文書偽造やトンネル会社を使った粉飾決算のような違法行為までしていたというのなら相当悪質である。
もう一方の「会計業者が敵対派閥幹部の友人だった」件についても、友人というのがどれほどの交友関係だったかで評価は変わってくる。が、こちらの場合は色々と良くない推測が入り込む余地がある。もし普段から度々ゴルフや酒宴を同席するほどの「友人関係」であるなら、本案件が不利になるような会計操作を行うよう働きかけをしたのではと疑いたくもなるだろう。もしその見返りにリベートが支払われていたなら、その悪質性は業績資料隠蔽の比どころではない。なので、通常はそのような「利益相反」を疑われないよう、何も後ろ暗いところがなくても付き合いの深い友人には仕事を頼まないというのがビジネス上の慣習である。もちろん、友人関係というのが、近年は年賀状をやり取りする程度というのなら利益相反の疑いもないのだが(それでも付き合いの程度を証明する必要はあろう)。
現実の経営会議では自派閥が優勢になるようこの後も双方の応酬が続いていくのだが、我々はこの辺りで本題に立ち戻ろう。ここで考えたような、より現実に即した想定で考えた場合、ゲームにおいて最善手となる条件は何だったであろうか?
上の例での追加的な反論は双方とも「秘密の暴露」とでもいうものであった。秘密の暴露は裁判や刑事捜査であれば重要視されるが、上の例では、有効手となるかについては「秘密」の内容次第ということだった。さらなる秘密の暴露がなければそのまま膠着状態となるが、その状況下でも、想像力で補完した主張事実の「背景」が双方の手の評価を上書きしていた。つまり、「巨額損失をもたらした過去案件が隠されていた」という事実の背景には「会議で不利になる過去案件を隠蔽した」があり、「会計業者が敵対派閥幹部の友人だった」の背景には「会議で有利になる会計操作を友人に依頼した」があった。これらに関して、私は「会議で有利になる会計操作を友人に依頼した」の方が「会議で不利になる過去案件を隠蔽した」よりも有効打であると評価している。もちろん双方とも事実に基づかない、推測による(私の)主観混じりの評価であることは承知だが、この、後者の方が前者よりも有効であると判断した基準が重要なのだ。
これらの「背景」に関して共有しているのは、P(過去案件の発覚)→Q(会議で不利になる)、P(会計操作を友人に依頼)→Q(会議で有利になる)という<因果関係>について述べていることである。最善手の条件として<因果関係>が必要になるのは、ここでの「反論」に対して<説明力>を付与するからである。ではP(過去案件の発覚)→… とP(会計操作を友人に依頼)→… の<説明力>の程度によって最善手としての評価が決まるのだろうか? いやそうではない。<説明力>がなければ最善手としての資格を失うが、だからといって過度に<説明力>(より「もっともらしい」=「現実に起こっていそう」な程度)があれば経営会議で有利な立場に立てるというものではないのである。実際、必要となる裏工作の手数や労力を考えれば、P(過去案件の発覚)→… の方がP(会計操作を友人に依頼)→… よりも現実にありそうである。しかし私は、最善手としては全く逆の評価をしている。
P(過去案件の発覚)→… とP(会計操作を友人に依頼)→… の根本的な違いとして私が考えたのは<意外性>である。これは一般的に<説明力>とは真逆の位相を持つ概念である。つまり、<説明力>がある(もっともらしい)ということは、すなわち<意外性>がない。しかし<意外性>さえあれば無条件に有利になるというわけではない。<因果関係>を無視すれば、いくらでも<意外性>のある(とても起こりそうもない)主張をすることは可能だ。なので、最低限<因果関係>を満たした上で、より<意外性>のある主張、というのが最善手となる条件だ。ギリギリ起こりうる中でもし起こったら大変意外に思う主張と言い換えてもいいが、もしそれを我々の日常会話言語で置き換えるなら「面白い話」だ。不正を暴く会議での主張に「面白い」という表現が不適切なら「聴衆の関心を引く」と言い換えてもいいが、大意としては同じことである。つまり、現実的なゲーム(会議、議論、日常会話を含む言語コミュニケーション)における最善手は、「意外性のある因果関係」=「面白い話」を提示することである。そして、「面白い話」のことを我々は日常的に「物語」と呼んでいる。