歴史の不在証明(22)
「意思伝達の際に生じる誤りをゼロにすることは原理的に不可能である」──これを否定できない場合(実際できないが)、意思伝達をする際に必ずなにがしかの誤りが紛れ込むことを我々はあらかじめ織り込まなくてはならない。このことは一見、我々の社会が正常に機能することを妨げるようにも思える。しかし、それは間違いである。以下、その理由について論ずる。
誤りが生じるとはいっても、前述したように、外形的な表現が可能なもの(色や形状など)を伝達する際の誤りは非常に小さい。それは便宜的に「誤りが無い」と見なしても、実生活の上では何ら不都合がないと言って差し支えない。そして、我々の社会における意思伝達は、ほとんどがこの分野で行われている。したがって、伝達誤りにより社会が機能不全に陥ることは基本的にない。これは言い換えると、外形的な表現可能物に関する意思伝達が社会を機能させるための土台になっている、ということである。その上で、外形的な表現が不可能なもの(感情や抽象概念など)に関する意思伝達が行われているのだ。
例えば、ある会社の経営会議において、売上や費用、利益といった数字、それに関する会計士や現場責任者、所轄官庁の見解、といった外形的な表現可能物によって、自社の現状に関する客観的な事実が共有されたとする。この時点では、後々問題となるような認識の相違は通常生じない(配布された資料に誤りがない限り)。この「事実」を土台として、経営幹部は自社の経営状態について各々の見解を表明する。会議が揉めるのは大抵この時だ。ある者は費用や負債の額が過大であると言い、別の者は将来の投資として考えれば健全な額と言う。また別の者は、問題は額ではなく投資の決定手続にあると言う。この状況を本論における我々の視点で見れば、「各々の見解」という外形的な表現不可能物の意思伝達において伝達誤りが生じている、となる。
このような伝達誤りが生じる原因は、目前の対象物を媒介に認識をすり合わせる(外形的表現可能物のように)ことが出来ないため、ある概念、例えば「健全」という語のクオリアが各自でバラバラとなる、ひいては、クオリアから惹起される別の認識や感情に食い違いが生じるためだと考えられる。無論、そのような食い違いが生じることは会議のメンバーとてあらかじめ百も承知である。そのための認識合わせの場として用意された場が「会議」である。となると、会議の参加者は相手の見解が示された時点で自分との食い違いをすでに前提としていることになる。この食い違いは「情報の欠損」と言い換えることもできる。例えば経営上の「健全」という概念は、ある人の中では「遵法性」「将来的な収支」「社内政治」といった関連概念と有機的に結びついて認識されている。つまりこの人にとっては、「遵法性」「将来的な収支」「社内政治」に関する副次的な情報を合わせて受け取らないと、「健全」という情報を完全に受け取ったことにはならない(つまり「健全」を完全な形でイメージできない)。しかし、言い出した側は「健全」の副次情報として必ずしも「遵法性」「将来的な収支」「社内政治」を内面で結びつけてはおらず、むしろ別の概念と結びつけている可能性の方が高い(つまり「遵法性」「将来的な収支」「社内政治」のいずれか、あるいは全部について特に「健全」と結びつけて考えていない)。にもかかわらず、会議の場において示された「健全」という見解に反論、あるいは同意する者がいるならば、それはおそらく、(「遵法性」「将来的な収支」「社内政治」のような)副次情報について「相手はおそらくこのように考えているのであろう」という類推を働かせた、すなわち、自分の内面において「健全」の福次情報について自ら補ったことになる。
では、欠損を埋めるために「彼」はどのような情報(概念)を選んだだろうか? クオリアが共有されていない以上、「どのような情報が欠けているのか」について手がかりはゼロである。そのような状況下で、「彼」が選択できる最適な選択肢(副次情報)は厳密な意味で「何でも良い」である。どうせその後のゲームの展開によっては選択肢をいかようにも変更せざるをえなくなるのだから「初手としては何でも良い」ということだ。このように相手が次に何を出すかの情報が一切ない状況をゲーム理論では<不完全情報ゲーム>と言い、ジャンケン(※初回1回限り)等が相当する。ジャンケンでの最善手は、事前に出す手を決めることなくランダムに出すことである。
さて、それではさらに詰めて考えよう。「何でも良い」とされた時に「彼」が出す手は一体何になるだろうか? この問いは、上のゲーム論的な文脈で考えた場合は意味がない。「最善手はランダムに手を出すこと」というのは、その後のゲーム展開を有利にする特定の手が存在しないということである。したがって、実際に何の手を出すかという問いに対する答えは存在しない。しかし、経営会議のような、我々が現実で直面するより複雑なゲームにおいては話が別である。その場合は、事前情報がないこのような状況下でも、以後のゲーム展開を有利にする手が存在する。