歴史の不在証明(18)
それに対し、我々はダーウィニズム的な<科学主義>アプローチではなく、<目的主義>とも言うべきアプローチを採用する。ここで言う<目的主義>とは、<神話>が口頭伝承によって変遷するプロセスに合目的な動機があったする考え方である。それを明らかにするため、まずは口頭伝承のメカニズムを子細に考察することにしよう。
口承による意思伝達は、他者間で情報を共有することを目的として行われる。情報共有の最も理想的な形態は情報を統括する身体器官である脳同士を直に接続することであろうが、それが物理的に不可能であるため、代替的な手段として口承伝達を採用するのだ。そこで実際に行われるのは、発話者の発した音声を聞き手が聴取するという行為である。音声は「語(Word)」に分割することができ、「語」は「文」に、「文」は「文節」に、「文節」は「段落」に統合され、さらに「段落」は「章」に、そして「章」は「物語」を形成する。これについては、本論でも前に述べた。ただし、その時の前提は「物語」が文字、すなわち書き言葉であったことを思い出そう。書き言葉を前提としたからこそ、最小の構成単位である「語(Word)」の意味が、書き手と読み手の間であらかじめ(文字以外の方法で)共有されていることが暗黙のうちに想定されていたのだ。その想定の下であるならば、そもそも意思伝達を口承に頼る必要はなく、文章によって空間(距離)や時間を隔てた他者とも情報を共有することが可能となる。しかし、今回ここでの考察は、<神話>時代、文字文化が登場する以前の口承による手段しかないことを前提している。したがって、ここでは口承によってのみ可能となる意思伝達の手段を考えねばならない。
それを考える手がかりとしては、乳児が言葉を覚えるプロセスを観察してみるのが良い。乳児は最初「あー」や「だー」といった意味のない発声を行っている。この段階では、彼/彼女は話し手でも聞き手でもない。そのうち、喃語と呼ばれる複数の音の組み合わせ(「まんまー」や「ばーば」など)を発声するようになるが、ここで大抵は<親>という聞き手が発育プロセスに介入してくる。<親>は子が「まんまー」と発声した時、もし母親ならば自分を意味する「ママ」という発声をしてみせる。ただ発声するだけではない。笑顔のような好意的な態度で、自分を指さす、首を振る(乳児は動くものに興味を引かれやすい)等のような身体的な動きも加えつつ、我が子にシグナルを送る。また、これらが衣食住や安全が保証された好ましい環境下で行われることも副次的なシグナルになる。このやり取りを何度も繰り返すうち、乳児は自分が「まんまー」と発声した時にのみ、この自分に好意的かつ安心な目前の「他者」が「ママ」と発声する規則性を理解する。また、彼/彼女の内面では、<自分に好意的かつ安心な直近の他者>という概念が「まんまー」あるいは「ママ」という音声と関係づけられる。この段階で、乳児は<聞き手>という機能の原初的な第一歩を体得したことになる。さらに、好意的な相手に自分も好意を返すため相手の行為を模倣するという現象が野生動物に見られるが、類似の行為として、乳児も特定の概念で紐付けられた「まんまー」と「ママ」を近づけようとする。つまり、「まんまー」という自分の発声を「ママ」に寄せようするのである。この行為も何度も繰り返した後、彼/彼女はついに「ママ」と発音するのに成功するだろう。かくして、乳児は<話し手>としての第一歩も踏み出したことになる。
以上が、乳児と他者(親)の間で口承のみによる意思伝達が可能となるプロセスであるが、その成立条件として、先天的にもっている遺伝質的特性が関与していると考えられる。なぜなら、同じプロセスを試行しても、人間と異種の動物(ペットや家畜、野生動物等)間では口承のみによる意思伝達が可能になったと信じるに足る証拠はいまだないからである(異種動物側が<聞き手>としての能力を発揮したという報告は一部にあるが<話し手>としての能力発露についてはほとんどない)。したがって、遺伝的・身体的な特性がある程度共通している者同士の間で、特定の情報の音声インプットに対して決まったパターンの情報群を音声アウトプットできるよう何度となく試行を繰り返して得られる能力、それが口承のみによる意思伝達だと考えられる。このように規定した場合、その能力は演算式もしくはアルゴリズムという概念に当てはまる。それは例えて言うならコンピュータのプログラムのようなものだ。ただし、「ママ」→<母親>のような簡単な変換を行うプログラムならともかく、成長の過程で体得する様々な名詞、動詞、形容詞、副詞等の変換は他者と共有不可能な内面において各個独自に書かれる複雑なプログラム群になるはずなので、アルゴリズム自体を他者と共有することはできない。共有することが可能なのは、<話し手>による発声に対し、<聞き手>が相対する<話し手>として返した発声の規則、言い換えるならば口承における入力に対する出力の仕様のみである。それは、「お袋は怒ってる?」(入力)→「怒ってるよ。」(出力)→「やっぱり俺が原因?」(入力)→「わかってるなら聞くなよ。」(出力)といった入力と出力の発声群の対応である。このやり取りの間に両者が内面において考えたこと自体は共有することが不可能である。そしてこの入出力の対応規則が、口承のみによる意思伝達のプロトコルとなる。