歴史の不在証明(13)
最初に登場したマスメディアは印刷文字を媒体とするものだったので、文字が読める人間の集団がドメイン(生存領域)となった。これだけでも手書き文字に比べれば劇的な版図拡大であったが、<映画>のような音声付映像媒体を取り込むことで国民全体をもドメインにしうる発信者となった。なぜなら、教育によって文字、単語、文法の基本スキルを体得せねば読者となることができない文字に対し、「映画」は日常会話で見聞きし、話すことさえできれば誰でも観客(視聴者)になりうるからだ。
もちろん、無制限な拡大欲求を持つ<物語>がこの魅力的な乗り物を見逃すはずもなかった。当然のごとくマスメディアに巣食い、乗っ取り、「物語」をまるで工業製品のごとく大量生産して国民全体に配布した。このプロセスはマスコミュニケーションと呼ばれ、今日まで隆盛を誇っている。今日、マスコミを通じて配信されるコンテンツはほぼ全てが<物語>となった。
“マスコミの制作物≒物語”と言うと若干の違和感を覚える人もいるかもしれない。それはおそらく、「マスコミ」という語から真っ先に思い浮かぶのが報道・ニュースだからであろう。しかし、報道・ニュースは歴然と<物語>である。くり返しになるが、<物語>の生存戦略が「より多くの受け手に高く評価されること」であったことを思い出してほしい。日々配信される新聞記事やニュース番組はまさにこの条件に合致するではないか。
それでも、日常生活やネット空間では「物語」≒「フィクション」のように扱われることが多いため(付言しておくとこれは誤りである)、まだ得心がいかない人もいよう。しかし改めて言う。論評を加えた「社説」や「特集記事」のみならず、「ストレートニュース」ですら<物語>である。ちなみに、「ストレートニュース」とは次のようなものだ。
“元交際相手の女性(30)を殺害したとして、〇〇署は××日、△△市△△区△△町の会社員、□□□□容疑者(28)を殺人の疑いで逮捕した。”
これを<物語>でないように表現するなら次のようになる。
“被害者:女性
被害者年齢:30
加害者に対する被害者の関係:元交際相手
加害者:□□□□
加害者年齢:28
加害者居住地:△△市△△区△△町
加害者職業:会社員
事件の所管:〇〇署
逮捕日時:××日”
これは「事件情報」と呼ばれるもので、箇条書きにした行が各々単独でも機能するのが特徴だ。つまり、行を一部だけ取り出しても、何なら1行だけ抽出しても、ある特定の事件に関する「事件情報」であることに変わりはない。後に新たな事実が判明すればいくらでも行を追加してよい。そうなってもやはり、「事件情報」のままである。行の順番に決定的な意味があるわけでもなく、もし行を入れ替えてシャッフルしても「事件情報」としての意義は損なわれない。しかし、意味する情報の内容が全く同じであっても、この形式で発信されるわけではないので報道・ニュースにはあたらない。捜査機関や学術研究者のデータベースには、まさに「事件情報」の形式で情報が格納されている。彼らはたった1行分の「事件情報」でも興味を持つ(ここでは「面白がる」と同義)ことがあるかもしれないが、「より多くの受け手が面白がること」という<物語>の条件に合致しないため、「事件情報」は<物語>でもない。
一方、「ストレートニュース」は1文に盛り込まれた情報(氏名、年齢、住所、職業、関係性など)を切り離して取り出すと文章の体を成さなくなる。文脈や文法を無視して新たな情報を追加したら、その部分は読解不可となる。文章を書き直すことなく情報の順番を入れ替えても同様だ。したがって、文章であり、順序よく事物を簡潔に叙述するのが<ストレートニュース>の生存戦略といえる。そのような戦略がもたらすのは<読みやすさ>であり、<読みやすさ>を付与する側(書き手)が期待するのは当然ながら「より多くの受け手に届くこと」である。以上から<物語>の必要条件は満たされる。さらに「受け手が興味を持つ」が加われば必要十分条件も満たすが、記事やニュース番組がそのために制作されていることについては上ですでに述べた。
以上から、マスコミの制作物はほぼ<物語>であることが証明された。その過程で、ストレートニュースの必要条件に「文章であること」が含まれたことに留意されたい。それがひいては<物語>の必要条件になることを考えれば、「文章であるものは全て<物語>である」が<真>となってしまう。例えそれが新聞記事でも、学術論文でも、政府答弁書でも、業務日誌でも、法律の条文でもだ。そう、その通り。
文章であるものは全て<物語>である。
「事件情報」との対比で「ストレートニュース」が<物語>であることを証明した上のロジックは、学術論文、政府答弁書、業務日誌、法律の条文、その他あらゆる文章からなる事物に対しても適用可能であることを確認してほしい。