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悪魔ちゃん  作者: 神保 知己夫
理論編
122/182

歴史の不在証明(12)

 近代以後、中央集権および近代工業国家の成立を機に「物語」が一般大衆にも流通し巨大な市場となったのはすでに述べた通りである。<物語>の乗り物たる媒体も口承から手書き文字、印刷文字、映画と乗り換わる度に規模拡大していった。<映画>の物語性獲得や<歴史映画>の誕生はそのサイドストーリーだったと言えよう。


 しかしこれも盤面を返せば別の様相が立ち現れる。すなわち、媒体を乗り換えることで規模拡大していったのではなく、まるで中国神話にいう饕餮(とうてつ)のように、規模を拡大するため媒体を次々に食らい己が身体としていった<物語>の姿である。


 <物語>の目的が「面白くあること」というのも前述した。しかし、それは「目的」というより「生存戦略」と言った方がより実態に即している。どのような戦略かといえば、①可能な限り多くの聞き手に、②高く評価されることという2つの要素から成っており、①→②→①→②→…… と際限なく続く再帰的プロセスである。なぜなら、ある聞き手の一群が特定の「物語」を高く評価すれば、さらに大きな一群の関心を引き、そこでまた高く評価されればもっと大きな一群に……と同じことが無限に続くからである。したがって、これは自身の中に停止条件を持たない永久拡大戦略と言える。自然界で永久拡大戦略をとる生物は資源を食い尽くして自滅するのが避けられない帰結である。抽象概念としての<物語>が自滅するというのは、概念から得られる便益(娯楽の享受)がコスト(資金、労力、時間)に見合わず使われなくなる、ということになるだろうが、実際にそうなっていないのは、自身の外に拡大を阻害する制約条件があるからである。それは、媒体の物理的制約である。


 <物語>の媒体が口承であった時代、語り手に必要なのは言葉の力であった。それも、空想上の怪物や英雄を見知った動物や人物になぞらえて説明せねばならなかっただろうから、日常会話レベルでは甚だ不十分であった。「言葉の力」の背景には、現存する多くの事物と対応する語彙力、すなわち人並以上の「知識」が必要だったはずである。となると、語り手を担うことができる人材は限られ、多くは部族の長かシャーマン(呪術師、祈祷師、巫女等)、あるいは両職の兼務者が担ってきたと考えられる。部族長やシャーマンは当然ながら誰もがなれるわけではなかったため、当時の語り手は希少であった。また、聞き手の側も特有のスキルが必要とされた。前に<映画>を解釈する上でのプロトコルについて述べたが、<物語>の場合は最低限の文法や発音に関する素養が必要となったろう。それらが<物語>の拡大時に物理的制約となり、逆説的に、<物語>が自滅することを防いだ。<物語>の媒体が手書き文字に代わってからの語り手は王族や聖職者になったが、やはり限られた担い手であることに変わりはなかった。また、「物語」を読解するには、口語の文法や発音だけでなく文字の文法やつづりの知識も必要となったため口承の時代よりもプロトコルのハードルが高くなった。そのため、手書き文字時代の<物語>は拡大どころか規模としては縮小する傾向があった。ただし、語り手、聞き手とも高スキルのサークル内で再生産が行われたため品質としては歴史的に傑出した書き手を排出した。紫式部、近松門左衛門、シェークスピアらはその時代の賜物といえる。


 近代以前も<物語>は無制限の拡大原理を内に宿していたが、口承や文字といった媒体の物理的制約があったため、拡大規模はその限界内に限られていた。あたかも閉じた容器に封じられ内圧を極限まで高めたボイラーのように。そういう意味では、成長の極限を人間界の大きさ定められた、北欧神話に登場するヨルムンガンド(世界蛇)の方がイメージに近いかもしれない。その大蛇の拡大欲がついに開放に向かって動き出すのは、印刷物の登場がきっかけとなる。書き写しを自動的に大量生産できるだけでなく、それまで欧州ではラテン語で書かれていた「物語」が仏語、独語、英語といった地域言語で印刷されるに至って、読み手のハードルが劇的に下がったのである。ここで書き手と読み手の関係にも変化が生じる。手書き文字時代には、読み手の量は書き手よりも幾分多いといった比率であった。しかし印刷の登場によって読み手のプロトコルが広範に普及すると、圧倒的多数の読み手に対して書き手は希少な存在となった。書き手は希少性ゆえに、口承時代と同様の特権的地位を回復した。しかしその時代と大きく異なるのは、読み手の規模が比較にならないほど巨大になったことである。これは、近代工業と近代軍を確立するため教育に国家的投資がなされたため、あらかじめ読み手のプロトコルたる書き文字の読解力が全国民的に共有されていたからである。いずれにせよ、少数の書き手(作家、出版社)を中心として国家単位の読み手が「物語」を消費する社会的システムが誕生した。すなわち、「マスメディア」である。

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