歴史の不在証明(9)
しかしながら、やはり今はまだ<物語>=<映画>ではない。現在の「映画」は、本来の「物語」に含まれる人間の内面や抽象概念などの無形物を実装できず、外形的表現のみを再現している(注.ナレーションで内面や概念を説明するような「映画」は「物語が外付けされた映画」の例であって実装でも再現でもない)。したがって、今の「映画」は「物語」として不完全といわざるをえない。当然ながら、「映画」から概念化された<映画>もまた<物語>としての要件を欠く。そのような出来損ないの<物語>をここでは<擬物語>と呼ぼう。
<歴史映画>もまた<映画>の一部である以上、<擬物語>の一種である。それだけでなく、先述したように<歴史映画>は<事物の変遷の軌跡>という本来的な意味での<歴史>とは関わりがない<擬歴史>でもあった。つまり概念としての<歴史映画>を構成するのは、<擬歴史>や<擬物語>といった出来損ないの概念ということになるのだが、そこに私は一種の違和感を感じる。なぜなら、まるで突貫工事した未完成の建築物を急いで竣工させたように見えるからだ……しかし、一体誰が? また、未完成の欠陥建築にもかかわらず曲がりなりにも現在機能しているのはなぜか?
これについては盤面をひっくり返して考えると真相が見えてくる。そもそも<映画>が新種の眷属を誕生させるべく<歴史>や<物語>といった相異なる概念を取り込んでいったと考えるから矛盾が生じるのだ。そのように考えれば、なぜ不完全な<擬歴史>や<擬物語>のような概念を取り込んだのか? それはいかにも拙速で不味いやり方であるにも関わらず、なぜ<歴史映画>は機能不全を起こしていないのか?といった疑問がわくのも自然であろう。
しかし<歴史映画>の誕生を望んだのが<映画>の側でなかったとしたらどうだろうか? よくよく考えてみると、<映画>の側には必ずしも<歴史>や<物語>を取り込みたいという強い動機がなかったことがわかる。なぜなら、<映画>には今日みられるような入出力媒体としての映像、 図像あるいは記号による抽象概念の直接伝達など、他に独自の発展をとげる余地が十分にあったからだ。
では逆に、<歴史>が<映画>を必要とし取り込んだのだろうか? 実はそれも考えにくい。<映画>誕生時の状況を考えれば、その時点で<歴史>はすでに十分発展しつくしていたからだ。<映画>を導入することで<歴史>がさらなる発展を遂げられると言われても、すでに「何を今さら」な状態だったのである。
前にも述べたように、我々が通常想起する「歴史」はイベントが時系列で串刺しにされた年表のようなものだ。しかしそれ自体の成立は人類史上に残る大変な偉業であった。なぜなら、地理的にも地表全てを網羅しており、議論の余地なく唯一であり、有史以来のイベントが正しい順序で整然と配置されいるという条件を満たさねばならなかったからだ。実際、全世界で統一された年表型の「歴史」が確立したのは近代に入ってからである。したがって、概念としての我々の<歴史>(時系列で串刺しされたイベント群)が誕生したのも近代以降である。それ以前は、また別の「歴史」と<歴史>が共有されていた。
近代以前の<歴史>はプラトンやアリストテレスが語った概念が典型であろうが、その多くは「歴史とは、云々という状況下においては、必ず何々という現象が生じる」といった普遍則を論じたものであった。現在のような、過去から未来へと直線的に連なった変遷たる<歴史>というよりも、どちらかといえば、「歴史は繰り返す」といった周期的に同じ場所へと戻る円環型の概念に近い。
一方、現象としての「歴史」は列伝書や国史の形で数多く存在していたが、自国内の、しかも現政権の誕生と今に至る軌跡をまとめたものがほとんであった。大抵の場合、現政権に属する個人や権力(王や王族、貴族など)を顧客やパトロンとして編纂されたため、各歴史書の記述には互いに矛盾する箇所が少なからず存在した。ただし、これは必ずしも歴史家が顧客に忖度して過去の事実を捏造、改竄したということを意味するわけではない。そういう例が皆無であったとは言わないが、むしろ記述の不整合性の原因は、当時、王といえども国家全体を中央集権的に統治していたわけではなく、貴族や豪族といった地場の権力者と分権的に統治を行っていたという事情によるものが大であったろう。また、国家間を統制する条約や国際機関が不在であったことも影響したと考えられる。その結果、編纂を依頼した権力の統治が及ぶ範囲、言い換えれば、時間的にも空間的にも非常に限られた範囲内でしか検証作業ができなかったため、その範囲外で編纂されたものと矛盾が生じるのは不可避であったと考えられる。ただし、そのように限られた予算と期限の中でも歴史家は最大限の検証を行ってきたようであり、現在の我々が先入観で想像するほど多くの矛盾があるわけではない。しかし一国家全体で無矛盾な「歴史」が編纂されるには、やはり中央集権的な近代国家の成立を待たねばならなかった。