表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪魔ちゃん  作者: 神保 知己夫
理論編
110/182

幽霊の存在可能性の証明(7)

 かといって、オレ自身とオレのイメージ(像)である「幽霊」の間に何の関係もないって言ってるわけじゃないよ。前言をひるがえすようだけども。


 直接の関係がないと言っただけで、間接的な関係は当然ある。前にも言ったように、オレの言動が変化すれば他人の中のオレ像も変化するし、オレの像が変化すれば他人のオレに対する態度も変化するという影響関係はあるから。ただ、影響関係があるからといって他人の行動を(オレ像を通じて)自在に操れるわけじゃない。オレ像=幽霊はオレが他人の内面に送り込んだ尖兵のようなものではあるけど、「幽霊」の目的はあくまで自己増殖だからオレ自身と共通の目的を持ってるわけじゃないしね。だが、そのことを十分理解していればこそ、オレの目的に沿った行動をとることで「幽霊」の自己増殖も達成される、という「共生関係」を築くことは可能だ。例えば、敵対的な他人を牽制するためあえて超ヤバイ奴だって思われかねない行動をする。するとオレの「幽霊」のイメージは他人の中で警戒すべき「超ヤバイ奴」にクラスチェンジする。それはつまり、思わず誰かに話したくなる(=イメージが増殖する)ような対象に強化されるということだ。前にオレ像を「子ども」に例えたけど、まさに、違う目的で生きて行動する別人格ではあるものの、世の中で最も協調行動をとりやすい「家族」のような存在、それがオレとオレの「幽霊」の関係かもしれない。それがね、他人の心の中に棲んでるわけですよ。オレの心の中にも棲んでるわけ、他人の「幽霊」が。その「幽霊」は、オレの中にいるのに他者と共生関係を築いているかもしれないよ? 怖くね? しかも、そいつが死んだ後もそいつの「幽霊」はオレの心の中に残るわけ(そうなると名実ともに幽霊だわな)。イメージ元の人間が死んでも「幽霊」はせっせと自己増殖しようとするだろう。元の人間の言動によって補正されなくなった「幽霊」はひたすらインパクト重視に自分を作り替えていく。一方で、あくまでイメージの源は実在した人間なんだから、ゼロから作り出したキャラクターよりもリアリティはある。「幽霊」の自己強化によって、宿主の人間も影響を受けるよ。「幽霊」のイメージが怖い方向に強化されれば不安になったり警戒心が強くなったり、楽しい方向の強化なら大胆になったり楽観的になったり、みたいな。よくドラマとかで言うじゃん。「彼は決して死んでなどいません。あなたの心の中で生きています」って。なんか美しい言葉っぽいけど、実際はオレが今言ったようなことなんじゃないの? イメージ元の人間が自分の目的、すなわち「こんな風に思われたい」という欲求を満たすために互いに自分の「幽霊」を送り込んで、理想のイメージを強化するように自己の行動を律することで「幽霊」を操り、ひいては宿主になった人間すら操ろうとしている。しかも、皆それを無意識にやってんだよたぶん。そういう、無自覚な主導権争いは我々が死んだ後も、我々の「幽霊」同士の間で続いていく。怖くね?


 まあ怖いけどそればっかじゃなくて、そういう「幽霊」の存在を認めると、概念的な「私」の定義が決定的に変わってしまうんだな。上で言ったように、我々の内面には他人の「幽霊」がひしめきあっている。「幽霊」は日々我々自身に影響を与え、行動や心境を変化させる。そうなるとさ、そこに「自由意志」なんてあるか?という疑問が生じてくる。自分で考え、自分で行動するのが「私」。普通はそう考えるよね。でもそれって、結局は他人の「幽霊」の影響を受けて考えたり、やったりしたことなんじゃないの?という疑いが今や払拭できない。で、やっかいなのは他人の「幽霊」はオレの心に寄生して半ば同化しているから厳密に分離することができないってこと。結果、今自分がやったことが「誰の思惑によるものなのか」という疑問には永久に答えが出せなくなる。これって言い換えると、自分の内面がどれほど他者に支配されているのかがわからない、つまり自他の区別がつかなくなることを意味している。自他不可分、これはかなり気持ち悪い結論かもしれないね。なぜか? 自分の存在範囲は自分の肉体内に限定されるという、長年当然のこととしてきた「私」の定義が覆されるからだろう。でもいいじゃん。そもそも「私は私の体内にしか存在しない」なんて一体誰が決めたの? ……そう、それは科学的な事実を積み重ねて発見されたものじゃないよ。誰かが決めた「定義」だ。ならば、既存の「定義」を放棄すれば別の公理系(ものごとの道理の解釈)が立ち現れるってもんだ。


 自分なりの信仰としてね、オレは日々実感してるんだ。「ああ、オレってオレの中だけにいないな。オレの周りにもふわーっと緩く存在してるわ」って。ここで言う「周り」ってのは、オレを見知ってる他人から成る人間関係と、それだけじゃなくて、オレが書いたもの(この文とか)、作ったもの、さわったものなんかも含まれる。なんで非生物まで含まれるかっていうと、オレが作用して形態を変えた物質には「オレ」を表す情報(記憶や行動パターン、趣味趣向)が大なり小なり転写されてるからね。いずれにせよ、オレは肉体の中に局在してるわけじゃない。自分が影響を与えられる範囲のそこかしこに偏在しているんだというのがオレの結論、じゃなくて実感。理論的にはいろいろ穴があるのは自覚してるんだけど、感覚的、直感的に「これが正しい」と思ってしまったんだからしょうがない。だから、そういう意味で「実感」。で、たまになんだけど「偏在性」みたいのをとりわけ強く感じる瞬間があって、自分の認識が広範囲に際限なく拡大していくのがわかる。なんとも表現しがたいが、現実の世界よりもはるかに広大な世界の存在を漠然と感じるんだよ。そういう時、確かにそこに実在する幽霊が見える。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ