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悪魔ちゃん  作者: 神保 知己夫
本編
100/182

2017年3月(14)

 ……なんか言いたそうだな。


“私はアンタのことをずっと見てきたから、こうして小説を書いてるときのアンタも、研究者として論文を書いてるときのアンタもよく知ってる。でも、だからこそアンタが急に始めたこの「論文もどき」をどう受け取ったらいいのかわからない。だって、「論文」にしては議論の展開があまりに雑すぎるし、「小説」にしては脈絡がなさすぎるわ。”


 なるほど、そういうことか。そうだな、まず、コレは論文っぽく見えるかもしれないが論文じゃあない。論文ってのは学術的な研究成果を報告する文書のことだからな、もしこの内容で「論文」だと言うなら、それを書いた俺は物理学と数学と情報処理工学の専門家じゃなきゃならない。でも俺は「経済・経営分野のコンピュータ・シミュレーションの分析者(今や研究者であるかも微妙)」にすぎないから、そのどれにも該当しない。じゃあ俺が書いたコレは何なのかというと、あくまで「俺が病室の天井を見ながら考えたこと」だ……って、最初にそう言ったよな? そのとき、コレは「考察」や「思索」だとも言った。それってつまり、必ずしも実験や観察といったエビデンスに基づかないから真実性は担保されないよってこと。


“ああ、そうなの。だから数学の「不完全性定理」を、本来適用できないはずの「物理法則」に無理矢理当てはめたりしたのね。”


 まあ、そうなんだけど、でもその部分に関しては一部の「物理法則」が公理系(定式化された命題とその前提となる仮定の体系)に変換可能だし、その範囲でなら「不完全性定理」を適用してもまるっきりデタラメとまでは言えないはずだけどなぁ……ああ、いや、違う違う。言いたいのはそこじゃない。コレはそういう立証が目的で書いたんじゃなく、俺がこの病室で何をどう考えどういう(自分なりの)結論に至ったか、そのときに辿(たど)った思考のプロセスをありのままに再現することを目的として書いたんだ。そこで「物理学」とか「情報処理工学」っぽい用語がやたら出てくるのは、俺がベッドで自由気ままに夢想したとき実際にそういう言葉で「思考」したからだ。なんでそういう言葉で思考したかっていうと、それはたぶん、単に俺の「趣味」だ。だから「物理」とか「情報処理」の用語を使わずに説明し直すのも出来なくはないんだけど、それは正直シンドイから勘弁してほしい。だってさ、本当はコレよりもっと長大な、ノート1冊分をゆうに超える文量の「論文もどき」があって、ここに書いたのはその超短い要約版なんだから。そういうワケなんで、ここはなんとか最後の結論部分まで、どうかコレと同じ文体で書かせてはもらえまいかね。結論までたどり着ければ、お前やアスタロト、アスタルテなんかの「悪魔」に関しても、本質的に一体どういう存在なのか、俺の考えの中ではどういう風に位置づけられるかを説明できると思うんだ。それってさ、いわばこの小説のテーマっていうか物語の根幹部分じゃん?……たぶんだけど。だったら、ここから先は本作品のクライマックスと言っても過言ではないんじゃないだろうか。


“わかったわよ。じゃあいいから続けなさいよ。”


 そう? えっと、どこまで話したっけ? ああ、宇宙全体としての「目的」か。とにかく、俺にとっての宇宙は「全知全能」でも「無限」でもなく、全ての物理現象を説明できる「究極の法則」も存在するかは疑わしいと思ってる。そう思う理由は、何も小難しい「不完全性定理」を持ち出さなくても、俺がそう直感するからで十分だ(最初からそう主張すればよかった……)。なにせ、俺自身が見て、聞いて、触って、感じることのできる一切の事物(「観測可能な宇宙」全体と言い換えてもいい)に関して、これまでの人生で一度たりとも「無限」と呼べるようなモノに出会ってないんだからな。だから、例えば「観測可能な宇宙の外側なら無限はある」なんて言われたとしても正直にわかには信じられん。そういう経験に基づいて、俺は自分が直接知覚できない領域に対しても「有限であるはず」という保守的な仮説(=できるだけ突飛に感じない仮説)を無意識に採用してるんだと思う。それは俺が、観念や理想よりも行動や事実を重んじるプラグマティスト(実践主義者)を自認してるせいかもしれない。


 前も言ったように、宇宙が「無限」ならそこは「何でもアリ」(少なくとも可能性としては)の世界なんだが、俺にとっての宇宙は「無限」じゃなく「有限」なので制約のある不完全な世界ってことになる。そんな世界では、宇宙を動かす基本ルール(物理法則)ですら完璧ではなくバグ(不備、矛盾)を含みうる。それは、宇宙が常に突然死(予期せぬ中断)の危険にさらされることを意味するが、宇宙自身(宇宙全体としての「自分」)がそんなリスクを許容できなければ、どこかに隠れてるバグを探し出して修復することに彼のリソース(「計算量」と「記憶容量」)の大半を傾けるはずだ。と、ここまではさっき説明したので、このまま先へ進むこととする。


 バグの発見と修復にリソースの大半を費やした結果、致命的な障害の発生を首尾よく抑え込むことが出来たなら、いつかは宇宙も「終焉」を迎えることになる。現在の宇宙論で考えられているそれなりに起こりうる「終末」の姿は、膨張しきった宇宙が絶対零度(マイナス273度)となり何も存在せず何も動かなくなるというもので、そうなった状態のことを「熱的死」と呼んでいる。つまり、「熱的死」は「何もない世界」が到来することを意味する。そんな結末は、我々人類の今の感覚で考えるとあまり楽しい未来とは言いがたいが、宇宙をシミュレーションだと見なした場合、(前にも言ったように)何にせよ終わることが出来るなら立派に「一歩前進」と言える。実際、宇宙論の一種である「インフレーション理論」では、「熱的死」の状態で「相転移」と呼ばれる現象が起これば、そこから新たな宇宙が生まれるとする説もある。これなどはまさに「一歩前進」のわかりやすい例といえよう。それに対して、バグによる突然死は(これも前に言ったが)「一回休み」である。しかも、突然死の原因となったバグを修復してシミュレーションを再起動しても、他のバグが残存していれば再び「一回休み」となる。しかしその原因を修復してもまた……となるので、バグを1つ残らず全て潰さない限り、宇宙は永久に「一歩前進」することなく足踏みするしかない。なので、もし宇宙に意思、すなわち宇宙全体としての「自分」があるならば(俺はそう考えているわけだが)、「一回休み」の連続で無為に時間を浪費するぐらいなら少なくとも「一歩前進」の方がマシだと考えるのは想像に難くない。これが、宇宙はやっきになってバグ取りに励むはずだと俺が考える理由だ。それだけでなく、俺は経験主義的にもこの考えは正しいと思っている。なぜなら、我々がいるこの宇宙において、これまで「一回休み」を示す現象が観測されたことは一度たりともないからだ(宇宙は「有限」ゆえに不完全、なのにもかかわらずだ)。よって、我々の宇宙は今のところ、「終焉」=「一歩前進」に向けて順調に進行しているものと考えられる。もっとも、俺が今まで手がけてきたような実際のコンピュータ・シミュレーションでは、「一回休み」(「アボート」)が起きたらバグの修復後に「アボート」直前の状態までシミュレーション内の時間を巻き戻して再起動をかけるので、もしシミュレーション世界の中に「誰か」がいたとしても「アボート」が起きたことには気付かないだろう(文字通り「無かったこと」にされるので)。なので、我々の宇宙で今まで「一回休み」が無かった(と認識している)からといって、それが本当に無かった証拠にはならないという反論もありえる。しかし、もしそれが本当、つまり「我々が知らない間に誰かが宇宙を再起動している」のだとしたら、それこそが、「終焉」=「一歩前進」を目的と定め、宇宙が必要な対策をとっていることの証拠だと言えるだろう。なぜなら、宇宙に再起動をかけることなど(「神」のような「全知全能」「万能」の存在を仮定しなければ)宇宙自身にしか()しえないからだ。以上のことから、最初に言ったように、宇宙の目的は「宇宙を終わらせること」なのだと類推される、というのが俺の結論だ。それに対しては、そもそも宇宙は最初から「一回休み」など発生しないように出来ているのでは?という反論が出てくるかもしれないが、もしそうだとしたら宇宙は「無限」(=「全知全能」「万能」)ということになるので、それはありえないということはすでに述べた。


 次に、この宇宙の目的と、我々をはじめとする生命体の目的との関係性について説明しようと思う。前に、“自身の目的を達成するために「宇宙」が我々「個人」の目的に「繁殖」を設定した” と言ったが、「繁殖」を目的とするのは人類に限らず全ての生命に共通する特徴なので、 厳密にいうと “「宇宙」が生命体の目的に「繁殖」を設定した” である。全ての生命体が「繁殖」を目的とするのは、それを実現するような命令が遺伝子に刻み込まれているからだ。そして、「繁殖」という目的が達成されるには第2の目的である「自己保存」が先に達成されていなければならないため、「自己保存」を達成するための命令も遺伝子に組み込まれている。これらの目的を達成するための生命体の行動は、俯瞰して見ると、いずれも「生命活動」という秩序を維持または創出するための行為と考えられる。一方、「生命活動」以外の自然現象はほとんどが秩序の破壊という結果をもたらす。例えば、地球上の生物の多くは酸素を取り込み体内の分子と結合させる「酸化」という化学反応を起こすが、一方で、体内分子と酸素を分離させる「還元」という反応も起こすことで、結果として「酸化」および「還元」という双方の反応を長期間持続させることができる(この「生命活動」を「呼吸」という)。一方、自然界でもっともありふれた「酸化」反応は「燃焼」と呼ばれるものだが、これは、酸素と結合する分子が尽きれば即座に「酸化」が停止するので長期間持続することはめったにない。このことを俯瞰すると、生命は「酸化」を持続させることで「呼吸」という秩序を維持し、生命以外の自然現象は「酸化」を一過性に終わらせることで「燃焼」という秩序を破壊していると考えられる。では、宇宙全体で見ると「秩序の維持、創出」と「秩序の破壊」ではどちらにつながる物理現象の方が多いだろうか? それは言うまでもなく、「形あるものは必ず壊れる」の例え通り、圧倒的に「秩序の破壊」の方である。宇宙全体の総量としては、「秩序」は常に「破壊」によって減少しており、その流れは宇宙が誕生してから現在に至るまで一度も逆転したことはないと考えられている。このような、「秩序の総量は一貫して減り続ける」という宇宙の普遍則のことを、物理学では「エントロピー増大」の法則と呼んでいる。名前からもわかるように、ここでいう「エントロピー」は「秩序の破壊度」を表しており、「秩序」の反対語である「乱雑」を用いて「乱雑さの程度を表す指標」と言われることもある。このように宇宙全体では「エントロピー増大」の方が圧倒的に優勢であるため、「エントロピー増大」の法則に逆行する「生命活動」は宇宙でも極めて(まれ)な物理現象といえる。


 一方、「エントロピー増大」の法則は、先述した「インフレーション理論」における「熱的死」とも密接に関連している。端的にいうと、「熱的死」は宇宙において「エントロピー増大」が行き着くところまで行った結果である。したがって、宇宙の目的は「宇宙を終わらせること」だと上で述べたが、その目的を実現するための原動力が「エントロピー増大」の法則なのである。しかしそれは、一見矛盾を生じさせるように思える。なぜなら、「生命活動」は「エントロピー増大」の流れと逆行する現象なので、生命体の目的は宇宙の目的と齟齬(そご)(きた)しているようにみえるからだ。では、先述した “「宇宙」が我々「個人」の目的を設定した” という俺の結論は誤りなのだろうか?


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