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五十三話


 実際の指揮はシアンがやっていた。

 俺は動けないし、予備兵力も存在しない。後方指揮にしたって後方が消滅したため、階段の横に座って暇を持て余していた。今のところ脱走兵も出ていない。

 戦闘開始から三時間ほど経過したところで、敵に妙な動きがあると聞いた。


「退いた?」


「そうだ。見に行くか?」


「お願い」


 ステラに支えられて城門の脇に来て、銃眼から城壁外を覗き込んだ。確かに誰もいない。

 血がそこかしこで水たまりを作っているが、一見すると何も異常はなかった。

 そうなると、考えられるのは毒か、ミヒャエルだ。悲しいかな、どちらが出ても苦戦する。D魔力が尽きている以上空気の浄化は難しいし、ミヒャエルは……千人掛かりで殴り掛かれば勝てるだろうか?

 待ち構えていると、腐った卵のような悪臭がした。

 毒か。硫黄を焼いているらしい。

 この作戦は人間にとっては諸刃の剣になる。我々がこれで簡単に退いてはいけない。こっちは千人の大所帯、動きはどうしても精鋭の騎士と比べると鈍い。だから単に悪臭がするというだけなら退く訳にはいかないが、痛みを訴える者が出たら下がらせよう。


「ステラ。シアンに伝言」


「なんだよ」


「毒霧攻撃が続く場合は、城壁の銃眼を土で封鎖するように」


「なるほど。わかった」


 ステラを見送って、俺はダンジョンに手をついた。城壁外の空気浄化を止め、城壁内のみに限定する。これで多少はD魔力の消耗も遅くなるだろう。俺は悪臭に耐えながら、広間を見つめていた。


 六時間ほど毒霧が流れてきたことで、無常にもD魔力は尽きた。今は少し息苦しい程度で済んでいるが、人によっては体調不良を起こしたので休ませている。

 敵は誰も入ってくる気配はない。自分で進路を塞いだに等しいので、当然と言えば当然だが。しかし何の気休めにもならなかった。原因はこの風にある。毒入り空気を運んでくる風だ。

 間違いなくミヒャエルは生きている。それも魔法が使える程度には回復しているということだ。彼が再び現れた時どうするか。


 まあ、恐れたところで何もできやしないのだが。俺は階段脇に座って鼻を摘まんでいた。

 隣にいるステラは平気そうだった。彼女は硫黄臭に耐性があるようだ。ドワーフはみんなそうなのだろうか。

 種族差を如実に感じていると、狭いところを風が吹き抜ける時の音が聞こえた。

 来た。

 遠くからは鉄のぶつかり合う音が聞こえてきた。

 五分程で伝令が現れた。シアンの使いらしい。珍しい朗報だった。


 敵は騎士風の精兵だったが、明らかに呼吸に異常をきたしていたそうだ。

 ステラに頼んで銃眼を開けてもらうと、城壁の一角に穴が開いた形跡があった。爆破跡だ。

 呼吸に異常とは言うが、人間の真新しい死体はない。この毒霧、我々にとっては”臭い“程度で済むが、人間にとっては死なない程度に重大な問題になるらしい。

 そして城壁は銃眼まで塞がれているので、風で吹き飛ばしたって空気はほとんど移動しない。ミヒャエルの策は失敗した。


 それからというもの、数時間ずっと風が吹き込み続けた。奥まった階段脇からではわからないが、恐らく汚染されていない外気だろう。銃眼を再び開放するように連絡した。

 彼は自分で空気を汚し、換気をしているのだ。いかに彼が化物じみた強さを持っているとしても、この作業はさすがに堪えるだろう。できる限り消耗してくれるとありがたいが。


 深夜。予想通り、ミヒャエルは出てこなかった。

 悪臭もなく銃眼も使えるので、戦況は拮抗していた。防壁に立て籠もっても拮抗とは、恐るべきは敵兵の質だ。

 そのせいか、時折怪我もしていないのにこの部屋を訪ねる者がいた。

 こっそり階段を下ろうとしているのだ。水を飲むとか打撲とかであれば通しているが、時たま嘘吐きや泣き言を言う者が現れる。彼らを説得し、最前線に送り返すのが俺の仕事だ。

 もう五十人は説得した。地下に引き籠ったのを連れ戻す作業もした。まったくもって気が滅入る。


 しかし一番俺のやる気を削いだのは、何を言っても戻らない者の存在だった。

 彼らはいわゆる脱走兵、逃亡兵ということになるので、何も罰しないままでは他の者に示しがつかない。かといって厳罰にする余裕はないし、あまりに酷だと思う。

 そこでステラが土で包んで、即興で城壁を加工して作った檻の中に閉じ込めた。要するに見せしめだ。戦いが終わって生きていれば、一週間ほど絶食させておこう。その場で処刑しないだけマシだと思ってもらいたい。


 牢内の彼らの有様は、士気が崩れた軍隊の恐ろしさを物語っていた。多くの将が士気の維持に気を配る理由も頷ける。逃げても死ぬだけとわかっていても、逃げる者は多かった。


 最終日まで残り十二時間。徹夜のせいも相まってか、負傷兵が増えていく。同時に千人が戦闘しているという状況に、医療班の処理能力を超えつつあった。

 また一つ、俺は非道な決断をした。ステラに言伝を頼んでも良いが、自分で出向くことにした。

 負傷兵が居並ぶ中で、医療班の代表をしている医師を手招き、彼の耳元で囁いた。


「文句は俺が引き受ける。助かる見込みの低い兵は無視して、助けられる者を助けてくれ。選別の基準は任せた」


「……はっ」


 彼も、俺もわかっているのだ。一人の致命傷患者を救うよりも、二人の重傷患者を救った方が多くの人を救えることに。最早軽傷者はここにはいない。治療する余裕がないので、城壁内各地に置いた布で勝手に止血させていた。治癒魔法に使う魔力は有限なのだ。

 隣にいるステラは今にも泣きだしそうな表情をしていたが、何も言わなかった。こうする他にないのだ。

 罪悪感を押し殺しつつ、階段を昇って行った。


 残り六時間を切ったところで、攻撃法が変わった。精鋭兵が防壁に突入し、迎撃能力が落ちたからだろう。敵は自爆部隊を突っ込ませるようになっていた。特に、彼らが狙ったのは正面、城門だ。ここを突破されると部屋をいくつか挟んで階段になるので、左右の兵が分断されてしまう。そうなれば士気崩壊からの逃げ場もないのに敗走、陥落は時間の問題だろう。


 銃眼から民兵が魔法を放つが、数人で徒党を組んで突っ込んで来る自爆兵を前にしては上手くいかない。一人を爆死させたところで、その煙に隠れて残りが突っ込んで来るのだ。爆炎で紡がれた道は壁まで届き、その度に地震のような揺れがダンジョンに走る。


 今回の自爆兵たちが違うのは、表情だ。

 今までの多くは嫌々、あるいは恐怖を浮かべた者が半分くらいは混じっていた。これは違う。全員、喜び勇んで爆弾を抱え、笑顔のまま死んでいった。

 そんなものと戦う俺たちの気分は最悪だ。ただただ気持ちが悪いとしか思えなかったし、げんなりしてくる。ただまあ、良い点もあった。こんな奴らに殺されて堪るかという気持ちが働き、中央では兵の戦意が旺盛だ。騎士が少ないのも大きいが、ともかくこちらは持ちこたえていた。


 前線に居ても仕方ないので、階段の脇に戻っていた。

 どれくらい経った時だろうか。不意に一際大きな爆発音がした。それを嚆矢として、何かが崩れていく音がした。すぐさま護衛兵を様子見に向かわせると、彼は顔を引きつらせて戻ってきた。


「左側城壁が、崩壊致しました」


「被害は?」


「不明ですが、あちらには、シアン様が……」


 心臓を鷲掴みにされた、とはこんな時に使うのだろう。意識が遠のいて、眩暈がした。倒れ込みそうになった次の瞬間、腹部に鈍い痛みが走る。なんだ。殴られた? 幻覚ではない。

 隣のステラがばつが悪そうな表情を浮かべていた。


「荒療治で悪いな。で、気分は」


「……落ち着いた。ありがとう」


「壁が崩れたからって死んだわけじゃねえ。だいたい、やばそうなら撤収してくるだろ。あのシアンだぜ?」


「……そうだね、シアンならきっと大丈夫だ。君も悪かったね」


「あっ、いえ」


 護衛兵は恐縮したように小さく頭を下げた。

 さて、どうするか。俺の仕事は最悪に備えることだ。


「左側から逃げてくる兵士がいると思う。彼らを押しとどめ、説得する役割をステラには頼みたい」


「お前はどうすんだよ」


「別行動だ。城門前に行って鼓舞する」


「な、おい無茶言うな! だいたい今のお前が行ってどうすんだよ!」


「……方法はないでもないんだよ。魔族っていうのはね、強いんだ」


 ちょっと魔法が使えなくなるかもしれないが。その時はまた介助してもらうとしよう。

 俺は作り笑顔を浮かべた。


「じゃあ、行ってくるから」


「……ちっ。死ぬなよ!」


 俺は片手を上げて応じ、弱る身体に鞭打って城門へ向かった。


 用意した”方法”とは、要するに二番煎じだ。

 今の俺はほんのわずかな魔力しか操れないし、持ち合わせの上限だってないに等しい。

 しかし、この場には魔力が満ち溢れている。魔法のド素人がちょっとずつ零していった魔力が。


「魔力吸収」


 今の俺は、魔力を受け入れられる上限量が減っている。限界を超えて吸収した後遺症だ。

 要するに魔力を吸い過ぎれば死ぬ。その上、魔力を上手く制御することもままならない。集中していれば良いが、戦いながらの魔法行使は無謀だ。それでも、唯一実用的な魔法があった。


「身体強化」


 普段ならば意識せずとも行えることを、態々口にしなくてはいけないのがもどかしい。

 血が足りていない。ぐちゃぐちゃになった骨も筋肉も治りは悪くなるだろう。魔力を使う部分に後遺症が残るかもしれない。


 知ったことか。

 俺は剣を拾い上げ、構えた。イメージは十分。大きく息と魔力を吸い込んで、全身に循環させていく。周囲の民兵たちが俺を見ている。強化された知覚が告げている。


「城門から離れろ!」


 兵たちが飛び退くや否や、城門が爆ぜた。

 耳が壊れそうだったが、耳以外が壊れるのが先だろう。門の大穴から素早く敵騎士が飛び込んできた。

 傍らの民兵は怯えている。今こそ貴族としての矜持の見せ所だ。やせ我慢だ。肺のすべてを絞り出した。


「続け!」


 先頭を切って、騎士の集団に突撃した。


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