四十八話
どれくらい経っただろうか。
三階から四階に続く階段の手前で、俺は一人立っていた。
作戦のため、残る兵士たちも退避させてある。
俺は拳を握りしめた。
火が得意な俺と風の得意なミヒャエルは致命的に相性が悪い。ダンジョンという存在の力を借りて、ようやく拮抗できるかどうか。重要なのは、あいつも人間に過ぎず、俺が魔族だということだ。
やがて一等大きな爆発音がして、死神が姿を現した。
「おや? お仲間はどうされました?」
少しでも時間を稼ぎたかった。油断しきった彼ならば答えてくれるかもしれない。
俺は肩をすくめ、さも万策尽きたように言った。
「何だって俺たちを襲うのさ。帰りなよ」
「そうもいきません。我々には勝利が必要です」
「勝利?」
「ええ。敵城一つ落とせずに帰るには、我々は血を流し過ぎました」
「最初から来なければ良い」
「そうもいきません。神の思し召しであり、また神の為必要なことですので」
「……人間の神は魔族を殺せとでも言っているのか?」
「はい。ところで、あなたは貴族でしょう?」
何故わかる。いや、兵士から聞き出したか。
何が言いたいのか知れないが、目的は達成できる。それに、個人的に何を言いだすか興味があった。
彼はにこりと笑った。不気味だった。
「なら考えてみてください。魔族の宗教事情など興味はありませんが――察するに、宗教の力が弱いでしょう」
「少なくとも、こんなバカげたことは考えやしない」
「そうですか。しかし「宗教には様々な役割があります。統治を助け道徳を示し、野蛮人を文明人に変えます。そのような機能の一つとして、恵まれぬもの、哀れなものが縋るという物があります。お分かりですか?」
その理屈は理解できる。内務長官時代の経験が役立った。だが話が読めなかった。何だというのか。
一先ず頷くと、演説する調子で彼は続けた。
「ですから。あなた方のような“信じていないにもかかわらず救われている者”の存在は、極めて不都合なのですよ。かといって魔族が改宗したとすれば、信者同士が不平等になる」
「だから何だ?」
「いわば魔族という存在自体が不都合なのです。神にとっても、我々にとっても」
それはどうしようもなく理解できる理屈だった。
要するに神の敵の方が病にもかからず、寿命も長く、身体も頑健で、魔法も使えるというわけだ。それでは宗教として成り立たない。それと同時に、彼らとの和解が不可能であると悟った。
彼は心底悲しそうな表情を浮かべた。
「前回の大聖戦の話です。魔王を討ち取った戦いの際、当然捕らえた魔族もいる」
彼らの行く末については、もともと期待していなかった。良くて奴隷、普通は死んでいる。
しかしその先に語られたのは、想像を絶する話だった。
「参戦していたある貴族は魔族にいたく感動し、捕虜を領国に持ち帰りました。彼は“魔族を食えば不老不死になれる”という考えに至ったそうです」
「バカな。そんな訳がない」
「その通り。獣を食し獣になるようなものです。しかし彼はそれを信じた」
「……捕らえられた魔族は、どうなったんだ」
「生きたまま四肢を食らい、治癒魔法で再生させて、生えてきたらまた食す。いやあ、惨いものでしたよ」
俺は言葉を失った。
ミヒャエルは同情するような表情を浮かべた。
「哀れでしょう? 救いを求めるなら神に求めるべきであり、断じて魔族に求めてはいけないのです。魔族を孕ませようという者もいましたよ。我が子孫は神になる、とか言ってね。即座に破門して処刑しましたが。これでお分かりでしょう?」
貼り付けた笑顔のまま、彼は腕を振りかぶった。咄嗟のことに、反応が遅れた。
「魔族は――生きていてはいけないのです。一匹残らずね」
殺気。咄嗟に右に飛んだが、左腕に焼けるような痛みが走った。
落とされたか。肘から先の感覚がない。
彼は距離を詰め、さらなる至近距離からの魔法を打とうとしていた。
死んでもいい。俺はさらに部屋の隅へ走った。彼もそれを追ってきた。足に鋭い衝撃が走り、吹き飛ばされる。しかし千切れてはいない。まだ走れる。もっと引き付ける。
俺がやらなくては。
最後の一滴まで。治癒魔法の分は考えない、制御も要らない。思い出すのはソフィーの操る圧倒的な暴力だ。
「土魔法、上級」
「今更身を守っても――」
違う。俺は腕を掲げて防御姿勢を取ったあと、三階の壁と天井を内側に向けて崩壊させた。
真っ暗になり、呼吸ができない。一応呼吸できるくらいの空間は作ったつもりだったが、制御に失敗して右腕に当たってしまった。間違いなく骨が折れている。
ミヒャエルは土魔法が使えるだろう。しかし、この量の土砂に生き埋めにされて、果たして人間が無事でいられるか。適当に残余の魔力で砂を産み、隙間が残らないように丁寧に埋めていく。適宜石に変成も行ったところで、俺の魔力は底を尽きた。
俺がやったのは、要するに巻き込み自殺だ。諸共生き埋めにしてしまえば両方死ぬはずだ。
左腕の肘先からは血が流れ続けている。右腕も放置して良い訳ではないし、足は表面が切れていたが、できることはなかった。魔力がないのだ。
俺が助かるかどうかは運次第。この量の土砂を動かせるのはステラくらいだろう。言えば絶対に反対されるので伝えていないが、音で異常には気づいたはずだ。
全身から力が抜けていく。もう何分経っただろうか。目も明けられない。倒れていると、床が動いていることに気づいた。
助けが来たのか? いや、あり得ない。俺の場所はわからない以上、ここだけ動かすのは不可能。もちろん俺が動かしたわけではない。ダンジョンが動いているのだろうか?
その先を考える猶予は与えられないまま、俺は意識を失った。




