四十話
二階に戻ると、簡易的な寝室が作られていた。ソフィーがやったのだろう。彼女が寝ていたベッドで寝ることに抵抗はあるが――まあそんなことを言う状況でもあるまい。
横になって体を休める。戦況が気になって眠れない。というか上がうるさかった。魔力の残量は四割。できるだけ回復させるべく、冴えた目を無理やり閉じた。
上から小さな爆発音。ダンジョンが微かに震えた。叩き起こされないことを鑑みるに問題はないらしい。
ソフィーの魔力量は異常だ。実家を勘当されて出てきたという話だし、詮索してはいけないのもわかっている。
その上で、彼女が相当な名家の生まれだという疑念を持たずにはいられなかった。
貴族には魔力の多い傾向がある。それは爵位の高い――もっと言うと、高貴な者同士でしか結婚しない――家柄ほど、より魔力量は多い。
そもそもベリアレ家やラコニア家、ミュンヒハウゼン家などの公爵、元公爵の家柄は何万もの魔力量を持つと言われている。彼女はどこの出身だろうか。これ以外にも公爵家は多くあるし、魔王のような突然変異的な可能性もあるだろう。そうすれば平民でもおかしくはない。彼女は何者なのだろうか?
色々考えていると、やはり疲れていたようだ。こんな状況でもゆっくりと意識は落ちていった。
いきなり身体を揺さぶられて、俺は目を覚ます。
「どうしたんだい?」
「眠いんで寝ます。あと上が壊れて凄いことになってるんで、できれば直してください」
「……D魔力がもうほとんどないから、土魔法でね」
「修理できればなんでもいいっす」
俺が身体を起こすと、ソフィーがそこに倒れ込んだ。
時間は――だいたい四時間眠っていたらしい。彼女に布団を掛けてから辺りを見回した。
病院用ベッドには何人かが運び込まれていた。一見すると傷はないが、失った血はすぐには回復しない。相当な量の失血を伴う怪我をしたということだ。
この数時間で何があったのか。階段を上って、絶句した。
階段の目の前は然程変わりない。しかし、何歩か進んで城門前を覗き込むと、左右の防壁に亀裂が入っていた。一人くらいなら身体をねじれば通れる隙間だ。しかし何よりも戦いの凄惨さを物語っていたのは、死体で隙間を埋めて塞いでいたことだった。
そうこう考えている間にも、散発的な攻撃は続いている。さすがに突っ込ませる暴徒が尽きたのか、それとも火薬が尽きたのか。どちらかは知らないが、今は二、三十人の一団が時折降りてきて、壁に取りつくまでに八割が死に、死体でふさがれた壁をこじ開けるのでさらにもう一割死んで、最後の一人二人が軍団兵に剣で突き刺されて死ぬという状態だった。
確かに、このままだと危険だ。ソフィーに頼まれた通り、土魔法で壁を修理していった。幸い攻撃の手が緩んでいるから、さほど難しい作業でもない。壁を直し終わると、城門前に散らかった死体が気になった。このまま放っておくと疫病が発生しかねない。敵の進路妨害にもなっていたのだが、仕方ない。
土魔法で床を操作して、死体を全部階段前に移動させた。そこに火魔法を掛けて焼き払う。数百か、いや、数千だろうか。それだけの命が失われたというのに、何も感じなかった。
俺はその後、外壁修理や自爆処理のために魔力を残し、戦いを見守ることにした。
封鎖開始から二ヵ月が経過した。彼らは激しく攻撃したり、緩んだり、を繰り返していた。
もはや俺たちにとって狂気の集団自殺も自爆特攻も日常と化している。
今のところ出た損害は、数名の領民兵に四肢の欠損が出たことだ。魔族の場合は半年ほど治癒魔法を掛け続ければ生えてくるので、そんなに深刻な話ではない。
ただし軍務が出来なくなったのに代わりはなく、それにここまで深手を負ったわけでないとしても、血が足りなければ即出撃できるわけではない。死人こそ出ていないとはいえ、戦況は不利になりつつあった。二階の防壁は未だ保たれているものの、今や総兵力七百のうち、常に百名ほどが前に出られないほど追い込まれていた。
もちろん兵が減るのは痛い。しかし一番の大きな問題は、迎撃能力の低下だった。自爆攻撃をまともに食らえば、壁は数発で吹き飛ぶ。最早修理は間に合わなかった。
誰もが疲労を表情に湛えていた。解決策として、二階からの撤退時に壁を倒壊させることにした。これで一日くらいは時間を稼げるはずだ。その時間で兵を休める。取れる手段はこれしかなかった。階段を封鎖しようにも、もはや大穴になっていて塞げなくなっていた。
ただ、悪い知らせばかりでもない。
前線の危機的状況を聞いてか、非戦闘員は限界まで納税を行っている。おかげでD魔力が多少は回復しており、三階には魔物部隊を配備する予定だ。
そして何よりの吉報は、ようやく待ち望んだセレーネからの連絡がきたことだった。
セレーネはあれから即座に新魔王城に向かい、真横に乗り付けて謁見した。ちょうど四大公とエリザベートの定例会議のタイミングだったので、そのまま四大公の耳にも入ったらしい。彼らもさすがに協力を決めて、魔界は辛うじて団結した。
エリザベートと四大公の連名で、魔界全土に向けて召集令が下された。ただし北部の諸侯には、兵は出さなくて良いから防備を固めろという指示が出た。
また、臨時政府側はラコニア公とも休戦に合意した。内輪で争っている場合でない、とラコニア公が言い出したらしい。休戦協定を結ぶと共に魔界防衛に燃える旧第七軍を率い、北部に向かって進発した。彼の名声は鰻登りだ。上手いことやるものだと感心してしまった。
このように自発的に協力する諸侯もいるが、全員がそうとは限らない。名門としての誇り、旧第七軍としての魔界防衛への責任感のあるラコニア公が例外なのだ。
もちろん一兵も出さなければ逆賊として討伐されてもおかしくないが、日和見で兵数を絞ることは容易に想像ができた。これは大諸侯よりも、逆に中小諸侯にこそ起こり得る。面子を気にせず保身に走るのだ。
特に魔王国は中小諸侯が多く、隣人が半分兵を残せば、同じくその隣も半分兵を残すだろう。隣人に襲われる可能性を否定できないからだ。食糧難の時期にばら撒かれた相互不信の種が、今や一気に芽吹きつつあった。
負の連鎖は現実の物となった。
二月。召集命令から一ヵ月は経っており、最南端の諸侯でなければ集合場所の北部中央に到着しているはずだ。しかし、圧倒的に数が足りなかった。
当初の予定では百万の軍勢が揃うはずだったが、実際に北部辺境地域に集まったのは四十五万ほどだった。一部は人界への援軍に行ったらしいが、それにしたって数が少なすぎる。
対する大聖戦軍は、森を抜けてどんどん南へ進んでいった。ちょうどサレオス伯領とその他の領土の境界線辺りに、砦を林立させているらしい。
セレーネからの連絡が来た時、彼女は微妙な表情を浮かべた。四十五、四十五と呟いて、溜息をついた。
「微妙っすね。絶対負けってわけでもないけど、絶対勝ちとも言えない数っす」
「一応希望はある、と見て良いのかな?」
「はい。とりあえず今のうちから首を括る準備はしなくていいと思います」
「……あんまりそういうこと言わないの」
「えー、だって私慰み者にされて殺されるくらいなら普通に死にたいですもん。それとも先輩そういう趣味なんですか?」
「俺が悪かった。でも、ソフィーがそういう目に遭っているのは想像したくない」
「毒吐けるうちは元気っすよ。さ、戦争戦争また戦争っと」
ソフィーは訳の分からない歌を歌いながら出て行った。
彼女が言った可能性は真実起こり得る。姿が似ている以上、女であるというだけでそういう目に遭ってもおかしくはない。敵の命を奪うことよりも、その恐ろしさの方が身に染みた。
考えに耽っていたところ、上から大きな爆発音がした。これは怪我人が出ただろう。
俺は指揮所から病院へ向かい、待機するのだった。




