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三十八話


 俺たちは現状を、“封鎖”と呼び始めた。

 封鎖は今日で始まってから二週間になる。四日目以降、攻撃が一度も行われていない。

 地下三階の指揮所には少し弛緩した雰囲気が漂っていた。まあこれでは仕方ない。長丁場になることを思えば、少しの気の緩みは認めざるを得ないだろう。


 一方、俺は気が気でなかった。上手くいっていれば、そろそろセレーネから連絡が来てもおかしくないが、まだ何も連絡は来ていない。天空城の性質からして無事だとは思うが、どうしても不安が拭えなかった。

 いや、俺が焦っていたらまずい。落ち着こう。こういう時は吉報を思い出せ。


 まず、小型通信板は無事に開発成功した。ダンジョン内連絡にしか使えないが、五台配備されて各幹部に配られている。

 実験農場の方でも、一つの照明装置で目覚ましい効果を上げたそうだ。無事に生育できそうなので、今は他の照明を解体して成功したものに組み替えている。


 これは確かに大きな一歩なのだが、大躍進とはいかない事情があった。

 肥料の問題はD魔力を使えば多少はどうにかなるが、今は無理だ。そして植物の生育を極端に促進できるわけでもないので、この先実験農場が全力で稼働したとしても、完全な自給は不可能だ。半年で尽きる予定の食糧が、九カ月で尽きるようになった。良いことではあるのだが、いまいち素直に喜べなかった。


 それにしても。嵐の前の静けさという表現がこれほど相応しい状況はないだろう。

 セレーネのことは気がかりだが、現状のことは不安だと感じなくなりつつあった。泰然としたままぼんやりと地下三階の指揮所にいると、明らかに異質な気配を感じた。

 来る。俺は銅板に魔力を流し込み、ソフィーの銅板と接続させた。


「ソフィー、聞こえるかい」


「なんすか?」


「来る」


「……了解」


 その瞬間、ついに一階に人間の一団が現れた。武装は貧弱な上に脆そうで、防具と言えるのは防寒用の厚着くらい。しかし一応の統制が取れているらしく、並んで階段を下りてきた。


 そこにすかさず狼が襲い掛かった。一人を食らっている間に、その脇を人間たちがすり抜けていく。とにかく奥へ、奥へと言わんばかりの猛進だ。狼では処理できず、抜けられた者もいる。

 俺はそこで違和感を覚えた。何故止まらない。躊躇がない。なぜ、こうも行列を為して途切れずに入ってくる?

 彼らは何人が途中で牙の餌食になろうと、炎に焼かれようと、落とし穴に落ちて串刺しになろうとお構いなしに、まるで昆虫の大群のように押し寄せてきた。


 百、二百、三百、四百。

 その様は黒竜山脈の雪崩を思い起こさせた。狭い入口を封鎖しようにも濁流に押し流されてしまい、狼たちは有効な間合いを取れずにいる。


 おかしい。どう考えても。常道から考えれば、狼を潰してから奥に進んでもいいはずだ。なぜ無理やり奥に進もうとするのか。この曖昧な感覚だけでは限界がある。さらにダンジョンに感覚を集中した。鮮明な情報が入るにつれて、怖ろしい事実に気づいた。


 ダンジョンの中に入ってきた者たちは、皆貧しい身形をしていて、悲壮感と絶望を背負い、上げている声は鬨の声ではなく悲鳴だった。意味はわからないが、あんな顔で言うのは悲鳴に違いない。奥へ奥へと進むのは、後ろから押しつぶされないためであり、そして後ろからの逃避なのだ。

 最後に遠く階段の奥、地上の方から聞こえたのは、人が死んだ音だった。肉が切り刻まれ、血だまりが地面に出来た音がした。もちろんそんな場所に魔物はいない。魔族だっていないだろう。

 つまり、同族の――人間が人間を殺していた。


 俺は吐き気を催さずにはいられなかった。

 これはなんだ。

 いや、わかっている。薄々感づいている。だが現実を認めたくなかった。それでも俺はソフィーとの約束がある。逃げてはならない。踏みとどまる。俺は可能性を恐る恐る頭の中で読み上げた。


 恐らく。何者かが兵士でない者を追い立てて、このダンジョンに無理やり突撃させている。だからダンジョン内に踏み入れた彼らは背後を気にしているし、無謀でも後退が許されない。


『魔族と人間では命の価値が違う』


 そんな言葉が頭をよぎった。しかし、魔族ならやらないと言えるだろうか。言えやしない。あの四大公なら平気でやるだろう。

 人間とはいえ、彼らに同情せずにはいられなかった。だが躊躇いはしない。必ず、一人残らず、皆殺しにする。しかし自分が手を下しているという事実からほんの少し目を逸らしたくて、俺はある狼との戦いを眺めた。


 狼と兵士――いや、群衆が戦っていた。それは理不尽と理不尽の戦いだった。

 狼が尾を薙ぎ払えば一人の首が飛ぶ。噛みつかれた者は死ぬ。食いちぎられた肉片が直撃した男は、その衝撃でまた肉塊に変わる。


 しかし狼がどれ程人間を殺そうと、彼らが尽きることはない。死に際の一撃が何十と続き、狼たちは傷を負っていく。囲んで、囲んで、囲んで、周囲のすべてを屍で積み上げ、狼の動きが悪くなったところで一人の人間が剣を突き出した。

 正直に言うと、俺は素直に感心していた。防衛戦力が削られる司令官としてではなく、一個人としての俺がそう思っていた。


 俺に都合が良い現実は、彼らにとって不都合だった。

 大狼の強靭な毛皮は刃を突き通さなかった。剣を叩きつけていたならば傷は負っただろう。しかし、突きだったのが失策だった。鈍らを持っていた男は絶望を顔に浮かべ、たちまち狼に喉笛を噛み切られた。鉄の棒が転がる。それをすかさず別の男が拾い上げ、狼に上から叩きつけた。狼はよろめいて、その隙に追撃が行われた。


 このダンジョンでの初めての被害が出た。

 ソフィーに一階の戦況と、聞いた音からの考察を伝える。彼女の舌打ちが聞こえてきた。


「あざっす。先輩はそのまま観察を」


「人間語を覚えておけばよかったよ」


「はっ。悲鳴で覚えたらどうっすか」


 ソフィーは音声を切った。声に余裕がないし、かなり焦っている。

 つまり、人間側のこの策は有効だということか。二週間は確かに経過した。領民兵を投入できるか、シアンに尋ねることにした。


 すぐに連絡は繋がった。


「シアン、領民兵の仕上がりは?」


「八割ね。動揺したらまずいけど、普通に戦う分には大丈夫だと思う」


「どうせ逃げたって死ぬだけだから、今回は大丈夫だろう」


「そうね……そんなに?」


「ソフィーの声が険しかった」


「わかった、緊急事態ね。じゃあそっちに回すから」


 俺は暴徒と化した人間たちの動きを見ていて、わかったことがあった。

 実践は何より優れた練習である、ということだ。人間も魔族も変わらない。序盤の余裕のあるうちに、領民兵を前に出しておこう――殺すことに慣れさせる必要がある。


 何処までも冷徹に、合理的に考える領主としての自分。個人としての同情をせずにはいられない自分。どちらも俺だ。そして、今は領主たる俺として振る舞おう。

 上から響く音に動揺する後衛を宥めていった。


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