三十七話
敵が来てから三日目。人間が狼に食い散らされている。以上。
攻撃はあまりにも散発的だったし、敵はそもそも武装している奴の方が少ないくらいだった。革でもいいから防具を付けているのが二十人に一人。金属製の武器を持っているのは五人に一人くらいだった。
地上がどうなっているかはわからないが、ソフィーの予測からすると彼らはこの辺りに陣地を作るのだろう。もしかして、彼らは捨て石の陣地構築部隊なのかもしれない。しかし、この三日間に既に三百名ほど敵兵が死んでいる。幾らなんでも死に過ぎではないだろうか。
そう思っていると、四日目は誰も来なかった。
五日目、俺は二階を訪ねた。軽く人払いをして、ソフィーを防衛線の小部屋に連れ出した。似たような物がたくさんあるので、下手したら迷子になりそうだった。
「で、なんすか」
「今日はまだ誰も来ていない。何かすべきだと思う?」
「何もしなくていい、ってか何もしないでください。積極的に過小評価してもらわないと、あたしらはぷちっと殺されます」
「そっか」
「まあ軍事は素人でしょうから、先輩にそこらへんの機敏は求めてません。ちゃんと聞いてくれるだけ満点です、百二十点ですよ」
「またそんなこと言ってる。無理しないでよ?」
「じゃ、今日いっすか。部屋行っても」
「……どっちかは常に二階か三階にいようって話だったと思うんだけど」
「えー、じゃあこの誰か来てもおかしくない場所でいちゃつきたいんすか?」
冗談めかしているが、何か引っかかった。彼女がそんなことを気にするだろうか。“誰かが来てもおかしくない場所”。つまり、人に聞かれたくない話があるということだ。ここよりももっと安全な場所で。
「わかった、じゃあ今夜ね」
「決まりっ。また夜に」
彼女と別れて、俺はまた指揮所に戻った。
予想通りに死体から剥ぎ取った装備は職人集団の手によって分解され、再利用したり組み合わせたりして新品に仕立て上げている。死体はダンジョンに吸収させた。死体で壁を作っても良いのだが、疫病が発生すると困る。ただ、これ以上のペースで死なれた場合、D魔力が枯渇してしまうだろう。嫌な予感ばかりだ。
夜。俺のベッドを占領したソフィーは、足をバタバタ行儀悪く振り回していた。さっきまで麦酒を煽っていたからか、少し酔っていた。
「先輩。あたしぃ、知ってるんですよぉ」
「何が」
「この後大攻勢が来ます。間違いなく」
急に素面に戻った。高低差が激しい。情緒不安定だろうか。
「多分ですね、向こう指揮できてないんですよ。数多すぎ雪邪魔すぎで」
「なるほど」
「だから今まで来てたのは個人が勝手に来ただけ! 多分軍事行動じゃない! ってのが結論です」
「それで一日に百人近く死んでるのに?」
「あたしらと人間じゃ命の価値が違い過ぎるんですよ」
「……そんなもんか」
「ええ。でも、大狼それなりに被害受けてるんですよね」
「怪我をしたくらいだ。死んだのはいない」
「それでも十分っすよ。この攻撃とも言えないのでこの様じゃ、いざ攻勢が掛かれば」
「危ういか」
「はい。まぁ安心してください、最悪あたしが暴れます――むっ、なんすかその目は。疑ってますね」
どうしても内政官時代の印象が拭えなかった。ただ、俺よりも彼女の方が強いのは間違いないだろう。いつかの土木工事の時、彼女は魔力切れを起こさなかった。悪かったよ、と小さく謝った。
彼女は満足げに笑った。
「んじゃ先輩。お詫びにご褒美。ご褒美ください」
「ご褒美?」
「そうっすよ。労わってー。褒めてー、キスでもいっすよ?」
これは、あれだ。何も苦しんでない。単純に甘えながら揶揄っているだけだ。
まあいい。多分彼女は俺が断ると思っている。ならばこっちにも考えがある。
俺がベッドに座り込むと、彼女は顔を赤くした。
「え、本当に? きちゃう感じですか?」
「ソフィー……」
「なんすか、え、ちょ、こういうのは、心の準備がですね。その、もっとロマンチックな」
無言で顔を寄せると、彼女は目を瞑り、頬を真っ赤にした。額も赤くなっていた。そこに俺はすっと指を置き、弾いた。
「いっつぅ」
「あんまり揶揄うな。司令官だよ一応」
「今は上官じゃなくてソフィーとジャックですよぅ」
「はぁー。なんかして欲しいことがあるなら言ってよ。面倒くさいから」
「め、面倒……いや、ちょっと気を張り過ぎてたので。肩の力を抜きたくてですね、こういう」
「あぁ、なんだ。なら良いや」
「なんすかその興味なさげな返事!」
ソフィーは気丈に振る舞うのは得意だが、存外内心が弱い。俺は定期的に彼女を支えてあげよう。手のかかるのは昔と変わらないが、昔を思えばこんなのは誤差だと言い切れた。明日は領民を励まして回るとしよう。その予行演習だ。
彼女の気が済むまで話に付き合った。




