三十三話
十二月の暮れ。年越し寸前にセレーネが戻ってきた。今年は彼女と新年を祝うのも良いだろう。そんな風に呑気に思っていた時のことだった。
天空城の帰還に伴って五人執務室に集まっていると、転移でセレーネが現れた。
「おかえり、セレー……どうした?」
彼女は明らかに憔悴していた。額には汗が滲んでいるし、目が開かれている。硬い表情は普段の無ではなく、張り詰めた緊張によって起きていた。呼吸を整えてから、辺りを見回した。
「今、転移してもいい?」
「構わないよ。それよりどうしたの」
「……見てから判断して」
異議を唱える者はいない。しかし、彼女の口ぶりには不安を抱かずにはいられなかった。
数秒後、景色がぐわんと入れ替わる。ここは……天空城の城壁か。慌ただしく天空城が動き始め、俺たちは一瞬揺さぶられた。余程焦っているようだ。
「あっち。見てて」
セレーネの指差した方向を全員で見た。が、特に何も見当たらない。無駄なことをセレーネがするとも思えないので、見つめていた。ゆっくりとそちらに向かって行くと、やがて何かがおかしいことに気づいた。
「煙、か?」
「……まさかっ! セレさん、高度上げて!」
「わかった」
天空城が昇って行く。視点が高くなり、全体像が見えてくる。地平線の向こうが、はっきりと認識できた。
「呪いの森が、燃えている……?」
「いや。違うっすよ、先輩」
いつになく硬い声で、ソフィーが言った。
「燃やしてるんです。人間が」
「燃やす……」
「人間が森切り開いて、こっちに侵攻してきてるってことっすよ!」
薄々、わかってはいた。しかし現実を認めたくなかった。眩暈がする。
人間がこっちに侵攻する? あり得ない。魔族が攻撃する側で、人間が防御する側だ。彼我の戦力差を思えば、必然的にそうなるのではないか。そんな疑問を皆が抱いたらしく、全員がソフィーを見つめていた。
「ここで説明してもいいっすけど、今大事なのは時間っす。とにかく本国に――あいや、魔王政府に状況を伝えて、救援を要請しないと。セレーネ子爵」
「え、は、はい」
「救援要請は頼みました。物資を下ろしたら、すぐに引き返して四大公と代行に謁見してください。子爵の言うことですから、さすがに聞きはするでしょう」
「うん」
「じゃあ、帰りましょう。説明はその時にします」
人間の魔界侵攻。そんなことがあり得るのだろうか。しかし呪いの森を焼き払うのだとすれば、それくらいしか考えられない。
その時に最前線になるのはサレオス伯領であり、うちのダンジョンだ。仮に人間が反撃をしてくるならば、この魔界本国だけでなく、人界側にも大規模攻勢が掛かるだろう。
援軍は来るはずだ。いくら四大公といえども、事態が事態。しかし、どれくらいの規模で?
不安を抱えながらも、俺はできるだけ表情を保ち続けた。
呪いの森。大層な名前がついているが、要するに魔力の溜まりやすい森だ。ダンジョンなんかの自然発生率も高く、動物は魔物になりやすい。そのため危険で、通るには難しい地域だ。
しかし通れないわけではない。実際、人界と魔界を繋ぐ道の一つではある。ただ、今まで人間では魔物に勝てず、通れなかったというだけだ。
セレーネはソフィーに言われる通り物資を下ろすととんぼ返りした。
執務室で五人集まって、ソフィーに話を聞こうとしたのだが、彼女は何も言わなかった。
場を繋ぐように言った。
「それで、人間が反攻作戦を企んでるのはまあ、見ればわかった。規模はどれくらいだと思う?」
ソフィーは重苦しい表情を変えず、黙り込んでいた。
「何でもいいよ。怒らない。非現実的だって、笑ったりもしない」
彼女は何も言わなかった。
無視している訳ではないらしい。考えているのだ。彼女の頭の中では無数の要素が絡み合い、敵兵力の概算を出そうとしている。紙とペンを取って、何かを書き始めた。そして五分後、はああと長い息をついた。
「笑ってください、先輩」
「はぁ」
「最悪、百万ですかね」
「……は?」
百万。人間では十万のことを百万と言ったりするのだろうか。
「先輩って、人界に詳しいですか?」
「いやぜんぜん。まったく」
「じゃ、説明しちゃいますね」
彼女は人界情勢について、詳しく語り始めた。
人界には、魔王侵攻以前いくつかの国があった。魔王が五つの国を滅亡させ、一つの国を半壊させた。しかし、無傷の――少なくとも国土が焼かれていないという意味で――国があった。
「人界北部に巨大な帝国があるんです。ヴォルムス帝国、って言うんですけど」
「それと、一番奥の南東部だっけ? に、ワールディア教会総大司教領」
「や、それ南西部の間違いっすよ。南東部にあるのはストラス君侯国です」
セレーネ、間違えて覚えてたな。ストラス君侯国なんて聞いたこともない。ただ、ストラスというのは魔界の名家のはずだ。視線で促すと、彼女は溜息をついた。
「田舎は情報がないんですねぇ」
ストラス君侯国は、領民兵を率いて大遠征に従軍していた魔界貴族、ストラス家が大遠征の敗北後に敗残兵をまとめて樹立した国家らしい。人界南東部にあり、人間がまだ生き残っていて彼らとの協調を行いながら生きているのだとか。
「大森林の横ですね。大遠征後の泡沫領主の親玉みたいな奴です。人間との友好路線を掲げていて、そのために独立宣言したとか」
「はぁ」
「ま、実態は普通にあれなんですけど。って違う違う、今はヴォルムス帝国っすよ」
「その国は強いのか?」
「そりゃもう。確か人口は四千万ですよ」
「……は?」
ちょっと待て。内政長官としての記憶が”あり得ない“と言っている。
「魔界の全人口が二千万くらいのはずだぞ」
「何せ人界北方はこっちほど寒くはないですし、そのすべてを統一してますからね」
「そうか。でも、なんでヴォルムス帝国軍だってわかった。位置関係?」
「旗見りゃわかりますよ」
旗まで見えたのか。やはり本職の軍人は目が違う。
そこで、シアンが初めて口を開いた。
「ちょっとわからないことがあるわ。その、ヴォルムス帝国? が勢力を拡大するなら、こんな無茶なことしないで弱った人間国家を取り込んだ方が良いじゃない」
「それはそうっすね。けど、宗教上の理由って奴ですよ」
宗教。その言葉に聞き覚えがあった。
「……聖戦、とやらか? ワールディアを防衛する時に言ってたらしいな」
「そうそう、それっす。多分ですけどね。それで、ヴォルムス帝国の規模から鑑みると、本気でやれば二百万くらいは出せるはずなんすよ。でも、あそこはなぜか魔王様の侵攻の時でも、対応が鈍かった」
「とすると、その半分の百万くらいかなあ、ってことか」
「そうっすね。それに、間違いなく総大司教領も、スヴェアラント王国も、残りの人間国家も攻めてきます。ケーバルトンネル前に布陣してるウヴァウル軍団指令の所はまだしも、昔の私らみたいな小規模領主は、恐らく……」
スヴェアラント王国。聞いたことはないでもない。確かケーバルトンネルの対面にいた人間国家だ。口ぶりからして、まだ生き残っているのだろう。いや、今は他人の心配をしている場合ではない。
「とにかくっすね。ヴォルムス帝国が攻めてくる以上、数万程度じゃない数が押し寄せてきます」
「……うちはどうなる?」
「十中八九攻撃されますね。人間の足でいくと……森の外れから一時間ってとこですからね、無視はできない」
「ああ、それはまあ、そうなるな」
百万。その数を一気にこの場所に展開できるわけではないから、実際にうちが当たる数ではない。
しかし、間違いなく数万はここを攻略しようと動くだろう。対するこちらは領民を総動員しても千人ばかり。執務室に薄っすらと絶望の気配が漂った。逃げようにも、逃げる先などない。
そんな折、パンと手を叩く音がした。
「なーに辛気臭い顔してるんすか、こっちは副指令補佐っすよ。十万人が攻めてくるとして、こっちは千人もいるわけです。こんな硬い城に籠ってれば、戦力差百倍くらい余裕っすよ。今さっき食糧も届いたばかりですしね」
ソフィーの明るい声が響いた。
士気を上げるには、まずは俺が暗い考えを持ってちゃいけない。
「まあ、ソフィーが言うなら何とかなるんだろう。嘘はつかないからな」
「そうっすよ! 隠し事はめっちゃしますけどね」
「……不安だな。俺も前に出よう。これでも一応、魔法は使える」
「え、先輩そんな実用的な魔法使えるんすか?」
「火の上級くらいは使えるぞ。使ったらぶっ倒れるけど」
「じゃあ入り口を火の海にして放置しましょう! それで数時間は稼げます。とにかく籠城して籠城して、救援部隊の勝利を待つ! どうっすか!」
「そうしよう。他の人も意見はないかな」
全員の表情を見た。あからさまに落ち込んでいたシアンも、今はやる気に満ちていた。救援を待つという明確な目標が定まったからだろう。
「あの森の焼け具合からして、一日二日でここに来るとは思えませんから。今のうちに準備をしましょう」
「うん。頑張ろう、生き残るために」
「そうそう。野戦で十倍の敵に囲まれるよりよっぽどマシな戦況っすよ」
ソフィーはどんな戦場に居たのだろうか。それを聞きたかったが、今は時間が惜しい。
俺たちは籠城策を練り始めた。




