二十七話
レジアスは送った職人たちを保護してくれていた。まあ、当然と言えば当然だ。あいつに唆されて行ったのだから。
彼の送ってくれる職人三十人と引き抜いた五十人で、合計八十人。彼らは高度な知識を有していて、非常に貴重な存在だ。各分野揃っているし、シアンも満足してくれるはず。
少し街から離れたところで天空城を待っていると、遠くに影が見えてきた。
「あれが動くって、すげぇな」
隣のステラから素朴な感想が聞こえ、俺も頷いた。
数分後俺たちの直上で天空城は止まり、セレーネが転移で現れた。
「これで全部?」
「あ、あぁ。久しぶり、セレーネ」
「ん。じゃあ、行こう」
何やら急いでいるように見えた。セレーネが焦るのは随分珍しい。ここで尋ねても良いが、彼女はそういう無駄を嫌う。飛ばされてから聞くことにして、俺は天空城に乗り込んだ。
天空城の中は、凄まじい数の人間で溢れていた。畑だったはずの場所にも人がいる。土魔法で作ったと思われる、急ごしらえの家があちこちに立っていた。というか、家がない場所の方が珍しい。どうしてしまったのか。
やがて天空城が動き出し、セレーネが現れる。その額には汗が滲んでいて、疲労が伺われた。どう考えてもおかしい。俺は彼女の私室で二人きりになると、さっそく尋ねた。
「セレーネ。何があった?」
「……隠すだけ無駄?」
「無駄だね。俺はセレーネが困ってるなら、絶対それを聞こうとする」
彼女は俺をベッドに手招いた。本当はどうかと思うのだが、今は甘やかしたほうが良いか。
無抵抗のままでベッドに引きずり込まれると、俺は抱き枕にされた。
セレーネがここまで疲弊している理由。それは、魔王の後始末だった。
魔王の後始末と言うからには、魔王がそもそも何を仕出かしたのかを知らなくてはならない。
俺も詳細を知らない部分があったが、セレーネが詳しく解説してくれた。臨時政府から聞いた話だと言っていた。
組み合わせると、随分昔を思い出してきた。
魔界を統一して数年で、魔王は人界侵攻を計画し始めた。
当時はケーバルトンネルもなかった。人界との接続は、北の呪いの森――俺の領土に接しているあの森だ――と、南のヴェーゼル河――急流過ぎて山越えの方がマシと揶揄されている――の、二つしか経路がない時代だったので、当然魔王の提案は一蹴された。
しかし、魔王は人界攻撃に拘り続けた。思うに理由は三つだろう。
一つ目は魔王家、ひいてはベリアレ家の権勢拡大。今の魔王国の惨状を見れば、政府直轄地の重要性はよくわかる。
二つ目は財政問題。人間が弱いのは良く知られていたから、彼らを攻め滅ぼし奴隷化、収奪経済を構築すること。個人的に賛同できないが、まあ、理屈はわかる。
三つ目は、要は魔王個人の趣味だ。征服、制圧、とかく支配下に置くことが大好きだった魔王は、魔界を統一したことで攻撃先を失った。黒竜山脈の三種族を支配することは物理的に不可能で、魔王個人が行くのは可能だが軍勢が動けない。そこで、人界だったのだろう。
俺はこの三つ目の理由が最も大きかったと考えている。当時の俺は内務長官として、文化の違いによる統治の困難さ、そもそも統治機構の拡大が追い付かないこと、人員不足などを理由に反対した。まあ、正直に言えば無駄な血が流れるのは嫌だっただけなのだが。
後は難しい話ではない。俺が解任され、魔王は人界侵攻を一年後と決めた。ケーバルトンネルを魔王が開通させ、大軍勢が一気に通れるようになった。魔王という一人軍隊に、魔界統一戦争時代からの精鋭部隊、魔王軍九個軍団、合計十三万五千。徴兵され一年の訓練を積んだ領民兵、合計二十六万五千。
合計、四十万と魔王の大軍勢だった。
人間は弱い。身体も弱く、病気や怪我で簡単に死ぬ。暑くても寒くても死ぬ。数日の絶食で体調を悪くする。寿命も短く、どんなに長くても八十くらいで死ぬ。
しかし何より哀れなのが、彼らは魔法を使えなかった。
正確に言えばゼロではない。が、千人に一人の割合でしか魔力を持って生まれてこないらしい。その貴重な魔力持ちも、多くは魔力量五十程度――つまり、俺たち魔族の平均程度だった。魔王を殺した勇者とは、文字通り人間が砂粒一つまで探し回って育てた存在なのだ。
大雑把に言って、魔族兵一人は人間兵五人に匹敵した。その上、俺たちは怪我しても治癒魔法で治る。
正面から戦って魔族が人間に負ける道理はなかった。なので人間は正面から戦わなかった。正確に言うと、正面で戦いながら、背後でも戦った。大規模な抵抗活動を占領地において彼らは繰り広げ、時として毒や暗殺を繰り返した。
魔王を擁護するつもりはないが、魔族はそこまで苛烈な統治を行ったわけではない。略奪がゼロだったとは言わないが、基本的には統制が取れていたはずだし、支配しに行ったのに皆殺しにしては意味がない。それなりにまともな統治が行われたはずだ。が、それでも人間は抵抗をやめなかった。
人界侵攻から三か月後、人界の四分の一を制圧した魔王は決断した。
人間を絶滅させる。支配に服さない存在は不要だ、と。無茶苦茶な決定だと思うが、仕方のない面もある。兵站や守備隊への悪影響は、看過できるものではなくなっていた。彼らも、俺たちもやり過ぎた。
その日から人界は地獄になった。都市農村の別を問わず、人間を全滅させるべく行動した。幸か不幸か、それは容易いことだった。火魔法ですべてを焼き払うだけで彼らは死んだ。
殺すことが目的だから、逃げれば追いかけた。結果として、この魔王軍侵攻初期に占領された地域は焦土と化し、人間の人口は文字通りゼロになった。
補給拠点となる街や村が消えて兵站は一時不安定になったが、やがて回復した。補給部隊を襲う者は、すべて地上から消し去られていた。魔王は再び進撃を開始した。この再開した侵攻が、狭義に言う“大遠征”だ。
人界南西部――最も魔界から遠くにあった国家、ワールディア教会総大司教領。要するに人間の宗教的本拠地だ。魔族への抵抗を呼び掛けた諸悪の根源でもある。魔王はこれを潰せば抵抗を諦めると考えた。第三軍をケーバルトンネルの守備に残し、残りの八軍すべてで総大司教領へ向かった。
総大司教領は大聖戦を宣言した。無事だった人間国家はこの期に及んで総力を挙げて抵抗を始め、魔王軍は少しずつ損耗していった。三か月に渡る進軍の後、魔王軍は人間の宗教、ワールディア教の聖都ワールディアを包囲した。この時が魔王軍の絶頂期だった。
包囲戦は難航した。聖都に張り巡らされた五重の大防壁と、文字通り負ければ死ぬ人間側の決死の反撃により、魔王軍はついにワールディア攻略に失敗。
帰還準備に入った魔王に対し、人間は反撃に出た。魔王個人には勇者をぶつけ、軍勢の方には世界中から総動員した部隊を当てた。総数二百万と聞いているが、真偽は不明なままだ。
結果、魔王は討たれ、勇者もまた倒れた。総大将を失った魔王軍は崩壊。一応規律を保った部隊もあったが、各々退却していった。人間側も致命傷を負っていたので、追撃はできなかった。
しかし、ケーバルトンネルと人界奥深くはそう簡単に帰って来れる距離ではない。取り残された魔族たちは焦土に各々集落を作り、小規模国家を林立させた。
人界の三分の一が焦土と化し、数千万の人間が命を落とした。その屍の上に、魔族が住んでいる。当然だが人間は奪還を考え、つい最近散発的に攻撃が始まったらしい。
ここで、話がセレーネに戻る。ラクトル子爵家はこの魔王のバカ騒ぎに参加しなかったので、人界の惨状はほとんど知らなかった。が、この度魔王国臨時政府から事の経緯を知らされ、人界に赴いて敗残兵の小国家たちを回収して欲しいという依頼が出たそうだ。
「じゃあ、あの外にいるのは」
「みんな“大遠征”上がり。強い」
「……欲しいな」
「私は、正確には“魔界に連れ帰ってほしい”という頼みを受けた。エリザベート……なんだっけ」
「魔王代理?」
「そう、その人から」
魔界に連れ帰る、ねぇ。
俺とセレーネの仲が良いのはエリーも知っているだろう。とすると、これは、そういうことで良いのだろうか。この兵たちを吸収してしまっても良いと、そういうことだろうか。
セレーネは珍しくもニマニマとした若干気持ちの悪い笑顔を浮かべた。
「この人たち、ジャークの領地に下ろしても良い。でも条件がある」
「なんだい?」
「私を守って。こんな……こんなことに気を煩わされなくても済む、ずっと研究できるような世界を作って」
なんだ、そんなことか。もうとっくにそのつもりだったから、笑ってしまった。
俺の額を、彼女は指で軽く弾いた。
「わらうな」
「ごめんごめん。セレーネを守る、だっけ?」
「うん。あと、落ち着いて研究できるようにして。“力あるものの義務”を、果たさなくても良いように」
「それはすぐには無理だね」
「もちろん、わかってる。現実を見るのは研究者の務め。この無茶な夢を言ってるのは、私の研究者じゃない部分」
偉く遠回しな言い方だが、要は一人の魔族として心を痛めているというわけだ。随分いじらしいことを言う。シアンにせよステラにせよ、最近流行っているのだろうか。
だんだんセレーネの頬が膨らんできたので、俺は慌てて言った。
「正直言うと、元からそのつもりだった」
「……そうなの?」
「シアンと話して、俺たちは“手の届く範囲の人を助ける”ってことに決めた。今はその手を広げてる最中かな」
「……とってもいいこと」
セレーネはそのタイミングで俺を抱きしめた。顔が見えなくなる。ただ、声の感じからして喜んでいるのは伝わった。
今言うと口説いているようだが、いつ言っても口説き文句になるだろう。諦めて俺はもう一つも伝えることにした。
「あと、セレーネを守るのは当たり前だから。今更頼まれることじゃない」
「……ん」
力が強まった。少し痛かった。五分ばかりそうしていると、彼女は満足したらしい。力が緩み、彼女は起き上がった。彼女は例によって無表情なままだったが、少し顔を赤くしていた。
澄んだ目が俺を見ていた。気恥ずかしくなって話題を探すと、あれを思い出した。今渡すしかない。この好機を逃せば、また恥ずかしくなって渡せなくなる。
「あ、あー。ちょっと、荷物を取ってもいいかい」
彼女は無言で身体を脇にずらした。どうぞ、ということらしい。そっとベッドから起き上がり自分の袋に手を伸ばす。この部屋をちらと伺った。本立てはない。よし。
「これ、作ったから。あげるよ」
可能な限りさりげない調子で、俺は銅製の本立てを差し出した。
彼女は目を丸くしていたが、やがてふっと表情が緩んだ。
「ありがと」
優しい目をしていた。こんな顔もできるのか。しかしよく似合っていたので、実はこっちが素なのではないかと感じた。彼女は本立てを抱いてころころとベッドを転がり、満足すると本立てを自分の机に置いた。
「約束ね」
「ああ、守るよ」
「……ん」
優しく微笑みかけてくれる彼女を前に、俺は決意を新たにした。
約束が増える度に、俺は力が湧いてくるような気がしていた。




