二十六話
一時間ほどで、麓のミュンヒハウゼンに辿り着いた。総人口二十五万を数える領地の中心となっているこの都市は、活気と蒸気に溢れていた。
「これが、街か。近くで見るのは初めてだ」
「大丈夫。どこもそんなに変わらないよ」
「怖がってるわけじゃねえよ!」
ステラを背中から降ろすと、少し彼女は残念そうな表情を浮かべた。しかし、すぐに顔を上げて呆然としていた。
都市には大規模な城壁が作られており、ミュンヒハウゼン侯の富を伺わせる。
衛兵に伯家のブローチを見せ、俺たちは街に入って行った。
この町は数百年前から鉱山街、職人街として発展し続けている。そのため清潔ではあるし、治安の問題もないのだが、とにかくどことなく混沌とした雰囲気が漂っていた。それに充てられてか、ステラは不安気に辺りを見回していた。
彼女は誤魔化すように言った。
「で、どうすんだ。俺以外にも人を集めるんだろ」
「まずは侯爵のところに行くよ。考えがある」
ミュンヒハウゼン侯爵とは夜通し世相を嘆き合った仲だ。支援を受けられる可能性がある。
衛兵に用件と身分を伝え、謁見を申し込んだ。ステラは留守番だ。
十分ほどで侯が現れ、常の冷たい表情を少しだけ暖かな物にして出迎えてくれた。
「やぁ。よく来たね、サレオス伯」
「こちらこそ、ミュンヒハウゼン候」
お互いに慣れない呼び名だ。彼は侯爵と呼ばれるのを嫌い、俺はそもそも爵位で呼ばれない。
彼に続いて城内に入り、客間に通される。使用人が飲み物を置いて下がったところで、彼は相好を崩した。
「さて、何の用かな?」
「レジアスの顔を見に来た。それと、職人を貰いに」
「ほぉ……それはありがとう。しかし職人はただで、とは言えないな」
俺は貴族の知り合いが多い。貴族名鑑を作る時に全員と顔を合わせたから、当然と言えば当然だが。その中でも特にミュンヒハウゼン候――いや、レジアスとはお互いに極めて良好な関係を維持していた。
俺たちを結び付けているのはただ一つ。四大公が嫌いという点である。
世相を嘆き合ったとは要するに愚痴だ。あんな馬鹿に大公位は豚に真珠だとか、アカディア家滅べとか。特にレジアスはアカディア家が大嫌いだった。元々アカディアはレジアスの領土だったのである。
魔王国が魔界を統一する前から、ミュンヒハウゼン家は存在していた。当時は公爵で、アカディアとミュンヒハウゼン両方を有する強大な領主だった。合わせた人口は五十万を超えただろう。だからこそ、魔王の服属要求を蹴って争った。その降伏の時に爵位を下げられ、領地を半分削られたのだ。そういうわけで彼は捲土重来を狙っていた。
内務長官時代からあの手この手で四大公の勢力を弱め潰そうとしてきた俺と、とにかくアカディア家を葬りたい彼の利害は一致していた。俺が遠くに飛ばされてからも関係は続いた。これは位置関係のためである。
魔界西北部は南から順に、アカディア、ミュンヒハウゼン、小領主をいくつか挟んでサレオス伯領となる。要するに彼は挟撃を避けたいのだ。
レジアスは無言で顎の辺りを擦っていたが、にこりと底冷えのする笑顔を浮かべた。
「うちより北に小領主がいる。男爵や子爵、小自治都市が」
「いるね」
「それを取ってくれ。君の手で」
「……正気? うちの実態はわかってるでしょ。爵位しかないよ」
「爵位があればいい。僕が統一しても良いが、あんなお荷物は取りたくない」
お荷物か。残念ながらそれは事実。冷害が頻発し常に食糧に不足傾向のある魔界北部は、うちほど極端でないにせよ厳しい大地だ。温暖で鉱物資源に恵まれたミュンヒハウゼンと比べれば天と地ほどの差がある。
「僕が南進する時、背後で蠢かれたら面倒だからね」
レジアスは酷薄な笑顔を浮かべた。
「君なら少なくとも邪魔はしないだろう」
「ありがたい信頼だね」
「そりゃあそうさ。争いを嫌って人界侵攻に反対した挙句、解任させられる筋金入りだ。こっちがやらかさない限り、君の方から仕掛けてくることはない」
嫌な思い出だ。苦い表情になった俺を見てか、ごめんごめん、と彼は謝った。
「もちろん、北方領主の掌握にはうちも協力する。彼らは元々君の臣下になるはずだったわけだし、案外すんなりいくと思うけど?」
確かに、当初の予定通り俺が公爵辺りまで進んで居れば、あのあたりは俺の封土だった。彼らは俺の家臣をやっていただろう。そのために小領主しかいないのだから。一見すると国力が増すだけの良い提案だ。
しかし、隠れた罠がある。一つは中央に近づくこと。もう一つは他の大諸侯とも領地を接することだ。弱小諸侯は緩衝地帯の役割を果たしていたが、北方が団結すれば黙っていない勢力もあるだろう。
「はぁ」
気が重い。しかし、他に気がかりなことがあった。
「ジャック。これから先、すべてを決めるのは力だ。本当はわかっているんだろう? 僕の提案では百ではないけど、七十は君が得をする」
「そうだね」
「その過程で流れうる血を憂いているんだろう?」
頷いた。彼らは俺に仕える気だったとはいえ、今は違う。独立の味を占めている。おまけに、魔王政府からの命令でもない。確かに多くは従ってくれるだろう。だが、従わない奴がいたら――攻め滅ぼすしかない。
俺が悩んでいると、レジアスは溜息をついた。
「そういえば、君は天空城で来たんだろう。最新の中央情勢、知ってるかな」
「最新? いや、知らない。半年くらい前で止まってる」
「なるほど、だから踏ん切りがつかないのか」
彼は納得がいった、と言いたげに何度も頷いた。
何かあったのか。餓死者が大勢出ているとかか? それとも物価の高騰? いや、その程度じゃ問題にならないか。
彼は実に嬉しそうな、良い笑顔を浮かべた。
「一ヵ月前、反乱が起きた。それも、大規模な」
予想通りと言えば予想通りだ。むしろ遅かったとすら思う。中央部だろうか。それとも東部か。北部の中央寄りの地域かもしれない。俺の考えを見透かしてか、レジアスはにこりと笑った。
「魔界南東だよ、場所は」
「南東って、旧魔王城がある場所じゃないか」
ベリアレ家の発祥の地だ。そこで反乱とは無謀すぎる。さすがにアホの四大公でも討伐軍を出さざるを得ないだろう。ベリアレ家の威信に関わる。いや、しかし。俺は一瞬、考えを止めた。
「ちょっと待って、旧魔王城ってルーレス家の管轄だよね」
「そうだね」
「……まさか、負けたのか?」
彼の唇は三日月のようになっていた。それがすべてを物語っていた。
「惨敗だ。ルーレス大公は中央に近いルーレスの街以外、もはや支配できていない」
そんな芸当ができるのは、一人しかいない。よりにもよって、反乱を起こしたのは――。
レジアスは心底愉快そうに言った。
「ラコニア公さ」
ラコニア公爵セルギウス。魔界南東部に領地を有する大貴族だった。
経緯としてはこうだ。まずラコニア公がルーレス大公を攻撃した。原因は知らないが、ラコニア公は魔王を僭称した。
この時、ラコニア公の軍勢は一万五千ほどだったらしい。ルーレス大公軍は一万。数に劣る大公は政府軍の来援を待つことにして、公都ルーレスに籠城した。この時、旧魔王城は見捨てられた。
即座に救援要請は新魔王城に届いたが、大公同士で意見がまとまらなかったらしい。ただ、放置はできないという結論は出せたらしく、魔王軍第七軍、合計一万五千の兵を送り込んだ。ルーレス大公家の兵が一万だから、合わされば勝利は間違いないと思ったらしい。
「愚か」
思わず呟いていた。
第七軍は魔界の治安維持用の軍で、臨時政府に唯一残された直属の軍勢だ。魔王軍の中でも精鋭になる。残りの軍が人界で潰えたことを思えば、最精鋭と言っても良いだろう。
しかし問題がある。魔王崩御以前の第七軍司令官は、ラコニア公だった。彼は軍人肌で、将兵にも好かれていたと聞く。魔王の死後、四大公の介入で外されたと聞いていた。
「裏切るだろう、それは」
「その通り。ただ、ルーレス以外の大公もそれは気にして、第七軍将兵の家族を人質にした」
「最悪だな。余計に反乱するだろう、そんなことをしたら」
「第七軍の中堅士官たちも耐えかねたんだろう。新魔王城でクーデターを起こした。ちょうど会議を開いていた残りの大公を人質にして、第七軍とその家族、ラコニア公を慕う者たちは魔界南東部に逃れた……」
終わりだな。
結局ルーレス大公は首都近郊の惨事を聞き、アカディア大公にも救援を要請した。数度の攻防を経て、最終的にルーレスの周りで二大公の連合軍と元第七軍、ラコニア公軍が睨み合っているらしい。
「どっちも総兵力は三万くらいだ。ラコニア公としては急ぐ必要もないんだろうね」
「放っておけば、勝手に魔王国は崩壊する。そうなれば」
「アカディア家も兵を分散せざるを得ない。ってね」
この話が何を意味しているか。二つの意味がある。
一つは、力がものを言う時代になったのだという説得。
もう一つは、北方で多少の争乱を起こそうが、誰も咎める兵を持たないということだ。アカディア家も臨時政府も、今は動かせる兵がいない。
合理的に考えると、好機だ。個人的には気は進まないが、シアンと約束したこともある。
溜息を付きながらも、俺はレジアスの目を見据えた。
「仕方ない、やろう」
帰ったら軍拡だな。一心不乱に軍拡だ。頭が痛くなってきた。
比例するようにレジアスは笑みを深めた。
「では、職人を融通しよう。ただし親方衆はもう工房を構えてるからね。若いのが中心になるよ」
「初めからその層を引き抜くつもりだったから、それは構わない」
「じゃ、そういうことで。そうそう、これは雑談なんだが」
「なんだい?」
「今、アカディアでは武器生産に偏っていて、それ以外の職人が冷遇されているそうだ」
いけしゃあしゃあと言う。職人を引き抜いてアカディア家の力を少しでも削ぎたいらしい。
良い考えだ。大好きだ。アカディア大公相手ならどうとでもなるだろう。あれは軍事偏重で内政を省みないからな。
「ありがとう、興味深い情報だ。何かあれば任せても?」
「任されよう」
その後は本当の雑談をして、夜になると城を出た。城に泊まっても良いのだが、ステラが困るだろう。
明日からは南に向かうことにした。
翌日、街を出ようと大通りをステラと歩いていると、出し抜けに彼女は言った。
「下手だな」
小さな声だったので、危うく聞き逃すところだった。視線で尋ねると、彼女はくいと顎で指した。その先には鍛冶屋があり、剣や道具を売っていた。遠目だが、良くも悪くも普通の出来に見えた。
「そうは見えないが」
「形を見ればわかる。切れ味は良いだろうが、すぐに切れなくなるだろうな。使い捨てだ。下手すりゃ折れる」
「……実際の戦闘では使いにくそうだな」
「それを実用品みたく売ってっから気に入らねぇんだよ」
今にも絡みに行きそうなほどだった。彼女を宥めるには――鉄でもあげよう。指輪とかじゃなくて、インゴットで。そうすると、名案が思い付いた。
「ちょっと、次の街で鉄を買おうか」
「あん? 良いのかよ、職人集めとやらは」
「鉄を買って上手く加工して売るんだよ。儲けられるような製品、ステラなら作れるでしょ」
敢えて挑発的に言ってみせると、彼女はへへっと照れたように笑った。
数日後。俺とステラはアカディア大公領に入っていた。飛行魔法で背負っていったので、驚くほど速くついた。俺が急いだのではなく、彼女にせがまれた結果だ。空を飛ぶのが好きらしい。
アカディアの街は魔王が開削した黒竜山脈を貫く大トンネル、ケーバルトンネルの北側にある。身分を隠して街に入ると、妙にむさくるしかった。街のそこかしこに兵舎があり、通りを歩く人は軍人の方が多い。戦争前夜のような雰囲気が漂っていて、同じ鉱山、職人街でもミュンヒハウゼンとは随分違う。
俺とステラは適当に宿を取り、鉄を買いに行った。
ミュンヒハウゼンよりいくらか高かった。何本か鉄の延べ棒を買い込むと、ステラはご満悦だった。
それにしても、鉄鉱石産出量ではアカディアの方が勝るはずなのだが。それで鉄価格がミュンヒハウゼンより高いとなると、相当な量が軍需物資に取られているらしい。
期待できそうだ。俺はほくそ笑み、目立たぬようにして街中を駆けまわった。
それから二か月ばかり、俺は領主に気づかれないように勧誘した。鍛冶関係者はダメだったが、それ以外の職業の人は応じてくれた。一気に街を出ると目立つため、漸次ミュンヒハウゼン領に送り出した。レジアスが上手いことやってくれるだろう。
ステラの方は、製品を作っては売り飛ばしていた。この街にも鍛冶ギルドはあるが、元よりドワーフの野鍛冶や土魔法の使える没落貴族がいるのだ。規制力は乏しく、簡単に売りさばけた。それどころか喜ばれた。作っても作ってもノルマに届きそうにないため、大歓迎らしい。彼らは今にも死にそうな表情を浮かべていた。
俺は約二か月半で、職人五十名を引き抜いた。そしてステラの方は、純利益が白金貨五枚も出た。ドワーフの加工技術を褒めれば良いのか、ステラを褒めれば良いのかわからなかった。とりあえず両方褒めたところ、複雑そうな顔をされた。
俺は半ば戦慄しながら、ミュンヒハウゼンへと戻った。




