十八話
翌日。シアンが税制の改革その他を村人に伝えると、反発は起こらなかった。受け入れたくないなら勝手に村に戻って復興すれば良いと言ったのも大きいだろう。彼らが無条件にダンジョンへの滞在を認められるのは春まで、ということになった。
一方、学者からは単純に「狭い」という意見が出てきた。さもありなん。農民よりも私物が多い。ついでに言えば、そもそも俺とシアンの部屋が領民と同じ階層にあるのも問題がある。あまり舐められるわけにはいかない。
そういうわけで、地下三階の拡張が決まった。住むのは俺やシアン、学者連中だ。研究室を兼ねたり、装備を整えたりする必要もあるので、部屋の大きさは少し広く取る。執務室も移設することにした。
まあ、計画は全部シアンに任せるのだが。
「そういうわけだから、この間みたいによろしく」
「うん。あ、そうそう。三階は二階よりも大きく作るから。いずれ二階は完全に村人用にして、三階は学者と私たち用、ゆくゆくは四階を作って倉庫にしたいわね」
「……任せたよ。建築系には詳しくないから」
何か月かかるだろうか。
人口増加の影響で、D魔力の収益は増加したが、予想より利益は伸びなかった。単純な収入はさらに増えているのだが、水源の維持費と排泄物等の処理で支出が増えた。
今のD魔力の月収は四万である。ただし有事に備えて、基本的に節約できるところでは節約する方針に変わりはない。また村人を動員しようにも道具がないので、工事は俺とシアンの二人で行った。
結局、地下三階の建設完了と雪解けはほぼ同時になった。
春になったからには、農業の時期である。しかしいきなりゼロから開墾しろというのはあまりに酷だし、この辺りには川もない。そこで魔法の出番だ。
「これから開墾作業をするにあたって。まだ泥が残っているから、ちょっと燃やそうと思う」
俺は地上に出て辺りを睥睨した。地上部の小屋の中では村人たちが固唾を呑んで見守っている。シアンが一つ頷いて、傍らに寄り沿ってくれた。
息を吸い込む。恐らくこの後俺は気絶する。後は頼んだ。
「火魔法、上級。範囲拡大。燃やし尽くせぇっ!」
言い切るや否や、衝撃音が辺りに響く。爆炎が辺りを焼き尽くした。無事なのは小屋の中だけだ。崩れ落ちる俺をシアンが支え、そそくさと引っこむ。シアンは土魔法で入口に蓋をした。
「じゃあ、あとはやっとくから」
その日の記憶は、ここまでである。
翌日。外へ出てみると、軽く土に目印が掘ってあった。どうせ何もない平地の荒野だからか、美しく正方形である。水路のことも考えてあるようで何よりだ。
小屋のすぐ真横に穴を掘り、地下にある物よりも遥かに大容量な水源を設置した。あとは設計通りに水路を作って耕すだけだ。農民が歓声を上げて大地に躍り出ていった。この分なら、一週間もかからないだろう。
この辺りでは北方麦というものが生産される。これは中央で取れる麦に対して収量も味も落ちるが、この大して気温も上がらず雨も然程降らない地域でも育つ。何より嬉しいのが、これは春に植えて秋に収穫するので、北方の豪雪地帯でも栽培が可能であることだ。
一方、中央で育てられている物は小麦と呼ばれていた。これは冬に植えて夏に収穫する。もちろん我が領内では育たない。無念である。
ひとしきり土地を耕し終えると、俺の役目は終わりだ。あとは農民の仕事になる。俺は執務室でのんびりした時間を過ごし始めた。
地下三階に新設した執務室は、明らかに広くなった。ただし置くものが少なすぎて殺風景になってしまった。管理椅子、新しく作った石の机、シアン用の、入口脇に置いてある机。あとは照明だけだ。ふと横になりたくなったので、自室へ向かった。
ベッドの上でうたた寝をしていると、不意にノックの音がした。
「どうぞー」
顔を覗かせたのはシアンだ。躊躇いもせず彼女はベッドに腰かけた。背中と脇腹、横顔が見えた。表情はよく見えないが、少し憂いがあるように見える。賭ける言葉に迷っていると、出し抜けに彼女は呟いた。
「どうするの?」
「どうとは」
すぅと彼女は息を吸い込んだ。
「今の方針のままで行くのか。何か変えるのか。食糧問題が解決して、物資補給も解決した。前みたいに戻すのも可能よ。このダンジョンに喫緊の課題はないわ」
殴られたような衝撃を感じた。そうだ、何もせずのんびりする時間なんて数か月ぶりか。確かに、急ぎで解決しないといけない問題はない。
「まずいな。これは。怠惰になる」
「や、もう五年間十分怠けてたでしょ。今まで自分が怠けものじゃないと思ってたの?」
「シアン、俺をそんな風に思ってたのか」
「だから言ったじゃん。私がいないとダメだなぁって」
彼女は少し困ったような表情を見せ、微笑んだ。
「私はね? ジャックがダメな人に戻っても、いいよ。ジャックはすごく頑張ったから、すごく休んでもいいと思う」
甘美な言葉だった。でもまあ、さすがに気づいてしまう。彼女は“いいよ”というのであって、そうして欲しいとは言っていない。彼女の望みは別のところにある。
「シアンはどうして欲しい? 聞きたいな」
「昔みたいにさ、鋭くってさ、こう、シュバッって感じのジャックに戻ってほしい。んー、まあ、あれね。政務やってる時、ジャック楽しそうだから。何かそういうものが見つかったなら、別にそっちでもいいけど」
要するに俺が楽しそうにしていれば良いということか。なんていい子なんだろう。そして的を得ている。書類を捌いている時は楽しい……というと頭がおかしい人みたいだが。政務は趣味と言っても過言ではないだろう。
ただまあ、二十四時間缶詰でやりたいとは思わない。もう一生分働いた。
「難問だなあ。政務はやりたいけど、俺にも怠けたい時はあるんだけどな」
「領主はちょっとサボっても大丈夫よ。私も手伝うわ」
「そうか。気が楽だなあ、トップは」
「魔王がそうだったでしょ?」
「ああ、確かに」
何よりも説得力がある。魔王はロクに政務も行わなかったからな。軍事バカだった。
「それじゃあ、ちょっと頑張ろうかなあ」
「どう頑張るの? 目標は何にする?」
「うーん。そうだなあ」
シアンが安心して暮らせるような領邦にする。そもそもシアンを騎士に叙任してあげたい。俺が勝手に任命するのではなく、魔王政府からのお墨付きをもらいたい。一応、権威はあるからな。あと、次代のサレオス伯ができるかはわからないが、もっと楽させてやりたい。シアンに子供ができるかもしれない。そうしたら、その子も従士として取り立ててあげたい。
そんなことを言うと、彼女は顔を赤らめた。
「じゃ、じゃあとりあえず強くしましょ。もっと人を呼んで、もっと軍を整えて、もっとお金持ちになる。適度に救える範囲で人助け、ってのは覚えてるわよね?」
「うん。その手を広げようか」
「決まりねっ」
彼女は嬉しそうに笑い、ベッドにそのまま倒れ込んできた。俺の腹の上に乗っかる感じだ。
「ね。ジャックは結婚とか、しないの?」
「相手もいないからね。求婚の手紙はたくさんもらってたけど……あの時は仕事一辺倒で」
「今は貧乏、誰も来ないってことね」
「シアンこそどうなのさ。今いくつだっけ」
「二十代前半。とだけ言っておくわ」
「俺と五歳差くらいかな。好きな人とかいないの? 応援するよ?」
「それはっ、そのー。あー、ジャックは身分違いの恋ってどう思う!?」
「本人がそれでいいなら良いんじゃない。としか」
やけに気迫のこもった質問だった。一般論を返すと、彼女は不満そうに頭を腹に押し付けた。痛い。
お互いにいまいち真剣になれないのは、まだ若いからだろうか。
魔族は最高で二百年は生きる種族だ。百七十くらいまでは然程老化もしない。二十代前後で成熟して、そのまま人間でいう三十代くらいの見た目にまで、ゆっくりと変わっていく。俺はまあ、百五十くらいまで生きれば良いかな。
つまるところ急ぐ必要など欠片もないのだ。俺とシアンはのんびりと謎の恋愛話に花を咲かせた。彼女は俺の恋愛事情なんて聞いて何が楽しいのか。セレーネに求婚された話をすると、彼女は明らかに取り乱した。断ったことを言うと三十秒くらい息をついて、胸をぱんぱんと叩かれた。
平和な日常だ。これを守るためには、力が必要な時代になる。戦おう。意欲が身体に満ちていくのを感じた。




