十六話
翌日の目覚めは最高だった。あいや、最悪だった。セレーネの寝相がとてつもなく悪いことが判明した。俺は事実上組み伏せられるような感じで、上に彼女が乗っている。
かろうじて動く首を向けると、時刻は既に十時を回っていた。我々はどれだけ眠ったのだ。というか彼女はいつ目覚めるのか。起こしたいのはやまやまだが、常々“睡眠は命”と言って憚らないセレーネである。俺は細心の注意を払って組み敷かれていた。
彼女は十二時過ぎにようやく目覚めた。寝惚けた目を擦ろうとして、自分がどういう状況なのか把握したらしい。さすがのセレーネも顔を赤らめて、のっそりと退いた。
「おはよう、ジャーク」
「あぁ、うん。こんにちはの時間だけどな」
このときにはもう、いつもの彼女に戻っていた。目は覇気がなく垂れていた。
「私ね、思った」
「何が」
「ジャーク個人に負担をかけて、ジャークの負い目を消す考え」
「はあ」
この流れで言われると、嫌な予感しかしなかった。魔族抱き枕か。それとも伯爵布団か。何を望んでいる。身構えていると、ふっと彼女は笑った。
「結婚しよ?」
時が止まった。俺の精神はどこかに転移させられて、完全に活動を停止した。
言葉を理解するのに五分かかった。次に彼女の言う結婚が、俺の知る男女の婚姻関係成立を意味する結婚であることを確認するのに三分かかった。
次になんでそうなったか聞くのに二十分かかった。馬鹿だと思う。彼女は単純に俺に負荷を与え、自分も嫌ではなく、利益のあることを提案したつもりらしい。憎からず思われているのは嬉しいが、何か根本的に間違っている。
俺は説教を開始した。そんな風では悪い男に騙されるとか、もっとちゃんと将来を考えろとか、結婚相手を雰囲気で決めるなとか、朝飯をちゃんと食えとか、寝相が悪いとか、そもそも研究しすぎで疲れ目になるのは自業自得だとか。
説教が終わると一日が終わっていた。外が暗くなっていた。意味がわからない。天空城は城の代わりに時間を飛ばしている。そして夜が訪れると、俺は再び抱き枕にされた。
天空城、三日目の朝は八時に始まった。久しぶりによく眠れたと豪語する研究馬鹿の頭をいじくって、解いてから適当に結んだ。これではポニーテールだと思った。シアンが好きそうである。今度やってあげよう。
最終的にセレーネと俺の間では、天空城の協約が結ばれた。なんだか厳かな雰囲気だが、別称はジャーク抱き枕条約である。俺は一切を諦めた。できることをする。基本に立ち返ることにした。無心で城を修理すると、二時間でやることがなくなった。
「セレーネ。終わったよ」
「これ、あげる」
すっと渡されたものは領主の印章だった。最早何も突っ込むまい。やるしかないのだ。
「前との違いは?」
「ない」
行くか。どんな惨状が待っているのだろう。前回あれだけ口を酸っぱくして言ったのだから、ある程度は片付いているに違いない。期待と不安を綯い交ぜにして、執務室へ向かった。
勝手知ったる執務室である。随分前に天空城で貴族巡りをした時に、政務を丸投げされた経験がある。だから俺はラクトル家の書類を捌ける。文官を雇えと言ったが、研究以外にお金を使いたくないらしい。つまり。
「うわっ……」
思わず声を漏らしていた。
溜まっている。というか、積もっている。うちの領内の雪よりも書類が積もっている。なんだこれは。何をしたらこうなるんだ。何もしなかったんだな。適当に手に取って読んでみた。求婚の手紙だった。もう一枚取った。人界侵攻の大遠征に使うから天空城を貸せという、魔王直々の書状だった。
「これは……何かの遺産として残した方が良いのかもしれない」
俺は書類を整理し始めた。脳内では彼女への説教が無限に溢れ出していた。




