十四話
飛ぶこと三十分。空ばかり探していた俺は呆気にとられた。
天空城が――地上にある。これではただの城だ。どうしたのか。まさか故障でもしたのか。魔界七不思議の一角、誰が作ったのかわからない天空城がついに不思議の座から陥落したのか。いやこの場合墜落か。
まさかラクトル家が天空城から追い出された? そんなはずはない。セレーネはそんな馬鹿じゃない。物資の補給か? でも地上に下ろすのは危険すぎる。だいたいセレーネは転移魔法の名手だ。天空城を浮かせたまま物資を輸送できるはず。
城門の前に降り立つと、俺は仰天した。
白い髪が上二つでお団子を作っていて、まるで入道雲のような見た目をした小柄な女性がいる。それは限りなくセレーネだった。というかどう見てもセレーネ=ラクトル子爵その人だった。それ自体は見慣れた格好だが、俺が一番に驚いたのは――彼女が白衣を着て外にいることである。
俺が呆気に取られて凝視していると、彼女も俺に気づいた。何も言われなかった。
十分ほど、見つめ合った。
セレーネを一言で言い表すと、学者だ。この時点で相当な偏屈ものだというのがよくわかる。ただし、あくまで権威とか偉いものが大嫌いなだけで、人嫌いではない。良心も良識も兼ね備えた魔術馬鹿である。子爵としての権限といくらでも富を生める天空城を背景に、古今東西の学者や研究者のパトロンをやりながら自分も研究している変人だった。
つまりセレーネが城外どころか自室の外にいることは奇跡と言っても良い。天空城に居候している間、代わりに政務をやらされた俺が言うのだから間違いない。
「偽物か……?」
「幻覚魔法も変装魔法も、まだ実用化できてない」
「はぁ」
「私は私。セレーネ=ラクトル。君が追い求めた女性とは、私のこと」
「誤解を招きそうだね」
「用件はわかってる。腐れ外道の娘さんの使いから聞いた」
「へぇ」
うん。本人に間違いない。この若干話が通じないのか、通じすぎているのかわからない感じはまさしくセレーネだ。こんな奴は誰も模倣できないだろう。できてたまるか。
セレーネはその場から動かなかった。
「あー、セレーネ? 用はわかってるんだよね?」
「食料を運んでほしい」
「そう、その通り。その件について話をしたいから、中に入れてほしいんだけど」
「必要ない。もう食糧は手配した。お金もないだろうから、できるだけ安いところから買い付けた」
「はぁ」
「今は二つの意味で待っていた」
ちょっと待ってほしい。会話の流れが速すぎる。何だって。もう手配したって。何を? 食糧を。なんで? 俺が欲しているからだ。今確認するべきなのは、とりあえずこれか。
「二人分の食料じゃないんだけど、わかってる?」
「オース村の人口は百九人と聞いた覚えがある。多く見積もって百五十人分、半年は満腹にも空腹にもならない量を発注した。あ、着た」
遠くから大量の荷駄隊がやってきた。俺はまったく訳が分からないまま、搬入作業を手伝った。セレーネ本人は受領書を受け取ると代金を渡し、さっさと自室に帰っていた。
「……何だ? 何が起きているんだ?」
狐につままれたまま、俺は気づけば搬入を終える。
正気を取り戻した時、天空城は空を飛んでいた。
久しぶりに歩く天空城は、明らかに人が増えていた。農家の人は変わらないのだが、何というか、学者っぽいのが明らかに多い。窮屈なくらい多かった。前はこんなにいなかったはずだ。困惑しながら館に入り、セレーネの部屋をノックした。
「俺だけど。入っていいかな」
彼女は無言で扉を開けた。中にはティーポットが用意され、カップが二つ置いてあった。
「遅い」
「あ、いや、悪いね。えっと、食糧の件は……」
「代価は求める。大丈夫、ジャークならできる」
ジャーク、とは俺のことだ。ジャックと伯爵と邪悪とジャーン、を混ぜたらしい。理由については考えないことにしていた。頭がおかしくなる。
「えっと、代価の前にだな。いくら払ったんだ?」
「足りなかった?」
「あ、いや、十分すぎるくらいなんだけどさ。払うよ」
「白金貨五十枚、払える?」
頭がおかしくなるかと思った。白金貨は金貨十枚、金貨は銀貨十枚、銀貨は銅貨十枚。
つまり。北方辺境の街で麦酒が千杯飲める。いかん、為政者の視点に戻らねば。百五十人分の食糧を半年だ。それと麦酒千杯が同価格な訳がない。絶対に食糧の方が高い。恐らく物流が滞っているから、食糧価格は安いだろう。だが商人は買い占めているはずだ。価格崩壊が起きていないとすれば、考えられるのは一つ。
「もしかして、相当値切ったのか?」
「ジャーク困ると思って、研究結果を一部提供した」
「……ありがとう、セレーネ。ちなみに聞いていい?」
「どうぞ」
今から聞くことは、恐ろしいことだ。でも聞かずにはいられない。行政官としての本能が騒いでいた。
「例えば。値切らずに、市場の平均価格で同じ量を揃えると?」
「白金貨百五十枚」
麦酒三千杯。
「ありがとう! セレーネありがとう! 愛してる!」
「ん。良かった」
彼女はふんすと鼻を鳴らし、胸を張った。何も張られていなかったから、目をそらさずに済む。彼女はジトっとした目を向けてきた。普段との違いがわからなかった。
「でも、良かった。研究熱心なジャークで」
「研究って言うほどじゃない。どうなってるか把握したいだけだ」
「それは良いこと。データを気にするのは好感が持てる。例えジャークが上手く使えないとしても、使える人が使えばいいこと」
セレーネは優しい目をしていた。こうしていると、まるで先生のようだった。




