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第十話


 執務室には俺の背丈を超えるような大きな本棚が二つあり、一杯に紙束が詰められていた。

 全部俺の私物である。それなりに良書を揃えたつもりだし、蔵書数も個人としては破格の量だと思う。つまり何か知恵が埋まっているかもしれない。俺たちは本という本をひっくり返していた。


 シアンが声を上げた。


「ダンジョン内に温室を作って農業!」


「日光の問題がある。さすがにガラスは作れないぞ。ダンジョン魔力……D魔力って呼ぶか、面倒臭いし」


「ってことはD魔力なら何とかなる?」


「なるけど馬鹿みたいな魔力量が必要になる。百万単位で」


 シアンは何も言わなくなったが、数秒後に威勢よく声を発した。


「商人を連れてくる!」


「そんな知り合いはいないから、情には頼れない。利なんてあるわけないから、来るわけがない」


「ジャックのカリスマ性で商人を篭絡!」


「アホ」


 そんな魔性の男なら、そもそもこんな状況にならない。

 さっきから却下してばかりで悪いとは思うのだが、シアンが適当なことを言うのが悪いのだ。

 また彼女の目が輝いた。


「じ、じゃあ、何かこう……あ、そうよ。転移魔法とか使えないの? 街で買い付けて、こっちに送って来るとか」


「街からダンジョンは遠すぎる。俺には無理だ」


「街で買って飛行魔法で全力輸送!」


「今日やってわかったんだけど、シアンを乗せるくらいで限界だ。というか行きしか飛んでないのに、もう魔力が二割しか残ってない」


 最寄りの街へは“身一つで”飛行魔法を使って片道六時間と考えれば良いだろう。往復するだけで一日潰れる。六十人分の食料調達は非現実的だ。


 シアンはベッドの上で足をばたつかせた。


「どうしよう。どうすりゃいいのよ」


「他所から持ってくるのは確定だ。仮に作物を育てるにしても、成長を待ってる余裕がない」


「他所って言ったって……ねえ、本当に商人の知り合いとかいないの? 伯爵家の御用商人とか」


「いたら従士のシアンには絶対に伝えてるよ。わかってて聞いてるでしょ」


 それに付け加えて、そもそも品が手に入るかもわからない。こんな田舎にまで賊がやって来るからには、中央の惨状は容易に想像がつく。食糧の値が吊り上がっていてもおかしくない。


「というか六十人分の食料を数か月って、いくらかかるんだ? 金がそもそも足りるのか?」


「……ないわね!」


 その声には自暴自棄が滲んでいた。


 課題は三つ。まず食料を買い付ける難。恐らく品薄だろうから、現物があるか、値がどうなっているかという問題がある。次に輸送の難。買ったところでダンジョンへ運べなければ意味がない。外は雪が積もっていて、街道からも外れている。というか、街道は最寄りの街までしか着ていなかった。


 どちらも難題だが、値段については伯爵家の権威とかつての虚名がいくらか効くだろう。最悪名誉や肩書が欲しい相手になら、伯爵家の御用商人とか従士くらいなら与えられる。


 ただ輸送ばかりはどうしようもない。行商を組んで貰ったとしても無理なものは無理だ。雪がひどいのに加えて魔物も大発生、賊までいるかもしれない。飛んでいれば大部分の問題は解決できるが、飛行魔法で大規模輸送なんてほぼ不可能……。


 待てよ。


「シアン」


 彼女は不機嫌そうに応じた。


「何よ」


「貴族名鑑、取ってくれない?」


「はぁ? まあ、いいけど」


 分厚く豪華な装丁は、この本に書かれた者たちの権威を表している。重すぎてやっていられないのでベッドの上に移動すると、シアンもついてきた。隣で覗き込んでいる。まあ、放っておこう。俺はペラペラと子爵の項を探し始めた。


 あった。シアンが不思議そうにしていたので、読み上げた。


「ラクトル子爵家。当主、セレーネ=ラクトル。拠点は、天空城だ」


「それの何が嬉しいのよ」


「天空城に飯を運んでもらう」


「え、いや、無理でしょ。いや原理的にはできるけど、ラクトル家がどう思うか」


「セレーネなら多分大丈夫。何を要求されるか分かった物じゃないが、手心は加えてくれる」


「……セレーネ?」


 食いつくのはそこなのか。しかも声には凄味があった。何か悪いことをしたか。実はラクトル家が嫌いなのかもしれない。しかし、今頼れるのはセレーネだけだ。


「貴族名鑑を作るときに世話になった。というか、天空城に乗せて貰って貴族の間を飛び回った」


「ふーん」


「三か月くらいかな、一緒に住んでいた。それなりに仲は良かったと思うし、門前払いはされないはず」



「へー、三か月も」


 ますます彼女は機嫌が悪くなっていた。もしかして、言わなかったことを怒っているのだろうか。悪いとは思うが、俺にも言い訳はある。当時の彼女は魔王軍の内政官として仕事に忙殺されていたし、俺とは従士と伯爵の関係でもなかった。ただの上司と部下だった。そんなことを伝える間柄じゃなかったのだ。


 シアンも貴族名鑑編纂の時と言えば、当時の俺たちがどんな間柄かわからないはずがない。ついでに俺に呆れたらしい。疲れたように言った。


「ま、いいわよ。それで? ラクトル子爵はどこにいるの?」


「知らない。多分大陸中を動き回ってる」


「探しに行くってこと?」


 街から街へ飛び回り、情報を探し求めることになるだろう。まして数か月以内に戻ってこなければいけない以上、機動力が最重要だ。


「シアンは連れていけない」


「や、それはわかってるわよ。そうじゃなくて、全部任せっきりみたいじゃない」


「逆だよ。俺がダンジョンの管理を丸投げしてる」


 実際、危険なのはシアンの方だ。万一間に合わなかった場合、彼女自身が飢えることになる。しかし何より恐ろしいのは、暴発した村人に襲われる可能性だ。彼らのことは信用しているが、飢えた群衆は何をしでかすかわからない。シアンは見た目が良く若い女だ。どんな目に合うかは容易に想像がつく。


 ドアを伺った。誰もいない。彼女の耳元に顔を近づけた。


「シアン、自分の身の安全を一番に考えて。わけのわからない要求は断るんだ。最悪帰ってきた時にシアン一人になっててもいい。とにかく無事でいてね」


 彼女は恥ずかしいような、困ったような顔をしていた。しかし俺の言わんとすることも、恐れている事態も伝わったらしい。彼女もドアに目を向け、小さく頷いた。


「善は急げって言うし。明日には出発する」


「……ジャックは中央に行くんでしょ。気を付けてね」


 気を付けて、には二つの意味があった。一つは単純に身を案じる意味。もう一つは、気を付けてちゃんと見てこいという情報収集の意味だ。頷くと、彼女はにこっと笑った。


「そういえば、ジャックは私に会えないと寂しいのよね? ちょっと待ってて」


 有無を言わさず部屋を出て行ったかと思うと、一分も経たずに戻ってきた。彼女の手には小さなのブローチが握られていた。


「これ、貸してあげる」


 俺も身分証明用に伯家のブローチを持っていくつもりだから、二つも要らない。という野暮な考えは置いておくことにした。要するに形見の一種だ。寂しくなったらこれを見てね、という彼女なりの心遣いらしい。俺も何か渡した方が良いだろうか。いや、求めてないか。仮に寂しくなったら勝手に本でも漁るだろう。


「ありがとう。まあ、できるだけ早く戻るけどね」


「うん。お願いね」


 それから他愛もない話をした。これを今生の別れにしないためにも、急がなくてはならない。彼女が自室に戻ると、俺はすぐに意識を落とした。


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