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『O-282. 浦上-イオニアの反乱劇(ヘカタイオスの歴史)』  作者: 誘凪追々(いざなぎおいおい)
1/1

・第一幕「蜂起」その1(前)


     

『ミレトス(柔①)人のヘカタイオスはかく語りき。私は真実と思うものしか書かない。残念な事に、ヘラス(大和)民族の伝承は荒唐無稽なものだらけで、私の目には悪ふざけとしか映らない。……』(ヘカタイオス著『系譜』の冒頭より)




 事実だけを書き記す、それが「歴史」であるべきだと私はそう思っている。しかし言うは易し、行うは難し。それを改めて思い知らせる事件が私の地元で起こった。しかもただの事件ではない。あの巨大なペルシャ帝国を七年間も巻き込んで騒がし続ける特大級の事件であった。


 私は歴史家として、その事実だけを書き残すことを試みる。




<O-277(紀元前499/498)年><秋><イオニア(浦上)地方><ミレトス(柔①)市にて>



 事件の発端は、突然であった。


 私はイオニア(浦上)地方で最も大きく最も栄えた町であるミレトス(柔①)市の出身であり、ここで学問の探求にいそしみつつ、ポリスの運営にも関わって来た。

 この町には十二年ほど前まで、「ヒスティアイオス」というひとかどの人物が居り、彼がポリスのほとんどを取り仕切っていた。いわゆる「僭主せんしゅ」というやつである。僭主とは、言い換えれば「独裁者」という意味であり、つまりヒスティアイオスはこの町の独裁者であったのだ。

 しかし彼は他の数多の市民に抜きん出て有能であり、またその行動が概ね常識的で妥当であったためか、さほどの嫌悪感を抱かれず、彼の支配的地位はミレトス(柔①)人の間で普通に許容されていた。いや、「許容」などという消極的なものではなく、もっと積極的に支持されていたと言うべきか。

 というのも、彼はペルシャ語に堪能であり、ペルシャ人との付き合いも幅広く、あろうことかペルシャ帝国の大王・ダレイオスとも親しかったからである。


 わがミレトス(柔①)市を含むイオニア(浦上)地方の全土がペルシャ人の支配下に入ったのは、もうかれこれ五十年も昔のことであるが、それ以来、支配階級たるペルシャ人の好意を得られるかどうかは、我々にとってまさに死活問題であり、イオニア(浦上)地方にある数十のポリスたちは、ペルシャ人に気に入られそうな人物を町の代表者に各々仕立て、ペルシャ帝国の悪意にさらされぬよう身を守る必要があった。

 少なくともよその町よりかは悪目立ちせず、ペルシャ人の無茶ぶりを上手くやり過ごすには、代表者の選抜が何より重要であったのだ。


 そしてわがミレトス(柔①)市にとってはヒスティアイオスこそが、それに最もふさわしい人物であった。


 イオニア(浦上)地方のすぐ近くにはサルディス城という、今は亡きリュディア王国の都でもあった軍事拠点があるが、ここにはペルシャ本国から送られて来るペルシャ人の総督が居を構え、イオニア(浦上)地方を含む「沿海地方」全体の統括を担当している。

 そのため沿海地方にあるポリスや国々の代表者たちは、先を競うように総督のもとへ出向き、彼の歓心を得ようと、そして彼の怒りを決して買わぬよう、細心の注意を払いながら社交にいそしみ、総督以外の高官たちとの人脈作りにも精を出していたのであるが、その中でも目立つほど抜きん出ていたのがヒスティアイオスであった。

 既に述べた通り、彼にはたぐまれな語学の才能があり、ペルシャ出身かと間違われるほどの流暢なペルシャ語をたちまちものにすると、人を飽きさせない豊富な話題や、ペルシャ人に劣らぬ逞しい肉体や優れた運動能力を武器に、サルディス城に居住するペルシャ人たちの多くを「親友」と呼んで差し支えないほどの関係にまで、またたく間にたらし込んでしまった。

 これにより、わがミレトス(柔①)市はそれ以前からも豊かな町ではあったが、ペルシャ帝国のさらなる寵愛を背に、「イオニア(浦上)のはな」とたたえられるほどの誰もが羨む繁栄を手に入れることとなった。


 しかし何事も、良い事と悪い事とは表裏の関係にあるらしく、ヒスティアイオスはその抜きん出た才能がゆえに、抜きん出た不幸に見舞われることとなった。というのも、ペルシャの大王・ダレイオスが彼を気に入り過ぎたために、彼をアジア大陸のはるか奥地、ペルシャ本国の都へと連れ去ってしまったのである。

 なお、大王・ダレイオスにそのようにするよう進言したのは、主にサルディス城に在住のペルシャ人たちだったと言う。彼らはサルディスに住む同僚たちの多くがヒスティアイオスに籠絡されているらしいことに気づくと、それを大いに危惧して「このような有能な男を辺境に野放しにしておくのは帝国にとって必ず仇となる」と大王の耳に吹き込んだらしい。


 実際ヒスティアイオスは、大王・ダレイオスのスキュティア遠征に従軍した際、大王・ダレイオスと数十万とも言われるペルシャ軍が危うく全滅しかける絶体絶命の窮地に陥った時、それを救うという抜群の功績を立てており、彼が抜きん出て有能であることはペルシャ人の多くも等しく認めるところであった。

 大王・ダレイオスもこの命の恩人を痛く気に入り、褒美としてトラキア(陸奥)地方の要地・ミュルキノス(咲花)を彼の希望のままに拝領させるほどであった。そこには有力な金山があるだけでなく、交通の要衝にもなっており、ヒスティアイオスはそこにトラキア(陸奥)地方全体を統括するような強力な町を建設しようと考えていたし、実際あと数年もすれば十分あり得た事であろう。

 このような動きを、ペルシャ人の高官たちが危険視したのも無理からぬことではあり、彼らがこぞって大王に告げ口したことを、単なる嫉妬ややっかみに矮小化するのは誤りであるようにも思える。


 そして話を戻すが、おかげでヒスティアイオスは、ペルシャの大王・ダレイオスに伴われまだ見ぬアジアの奥地へと、イオニア(浦上)地方から陸路三ヶ月もかかる遥か遠くの場所へと連れ去られてしまったのだ。

 こうして彼はペルシャ帝国の都に暮らすことを強要され、愛する故郷には帰れぬ身の上となってしまったのであるが、ただし、これは大王に冷遇された事を意味しない、むしろ厚遇された証しであると見做すべきか。彼の住居はペルシャ人の高官に匹敵するほどの豪華なものが与えられたし、大王の宮殿にしばしば招かれ食事を共にするだけでなく、重大な政策の審議等にも頻繁に助言を求められるという破格の待遇であったのだから。

 これはある意味、大王に会える機会の少ないペルシャ人の高官たちより上の立場であり、大王の判断に影響を与え得る存在であるからには、大王への取りなしや口添えを期待して彼におべっかを使う者も出て来る始末であった。ヒスティアイオスもこうした立場を抜け目なく利用して、ペルシャ人の高官やその他の役人たちとの間に浅からぬ関係を築いていったため、同胞のイオニア(浦上)人たちが大王や彼らと交渉する際には、まずヒスティアイオスに会って彼の助言や助力をい願うほどであった。


 一方、大王に連れ去られるまでヒスティアイオスが独裁者として直接支配していたミレトス(柔①)市には、長期間離れる自分の「代理人」として従兄弟のアリスタゴラスを指名し、この者に一人娘を嫁がせた上でポリスの留守を委ねた。ヒスティアイオスが不在でも、彼が大王のそばはべっている限り、わがミレトス(柔①)市の地位も繁栄も安泰なはずであった。


 しかし、それから十二年ほどの年月が経ったある日、突然このアリスタゴラスが「ペルシャ帝国に叛旗を翻す」と言い出したことにより、その後七年にも及ぶ「イオニア(浦上)の反乱」が始まってしまうのであった。

 

※ この物語の本文において、古代ギリシャの地名に日本の地名等を併記させていますが、これは古代ギリシャにあまり詳しくない方向けに日本の似ていると思われる地名等を適当に添付してみただけのもの(例:「アテナイ(山口)市」「アッティカ(長州)地方」など)ですので、必要ない方は無視していただいて問題ありません。


※ 古代ギリシャ世界には統一された暦がなく、唯一それに該当しそうなものとして「オリンピックの第○回目の第○年目」という表記法がありました。そこで、この物語でもオリンピックの第一回目が開催された年(紀元前七七六年)から数える方法(例:O-276年(=初開催から二百七十六年が経った年)、O-280年(=初開催から二百八十年が経った年)など)で表記しています。


※ 古代ギリシャ世界の一年の区切りは基本的に夏でしたので、現在我々が使っている西暦では二年に跨がることになってしまうため、例えばO-276年の年は「紀元前500/499年」、O-279年の年は「紀元前497/496年」などと表記する慣例になっていますので、この物語でも「O-276(紀元前500/499)年」や「O-279(紀元前497/496)年」というような形で表記しています。

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